2014年11月18日火曜日

日本旅行2014(5)


 3 連休の最後の日113日は鉄道7時間半の大移動の日となりました。勝浦を「特急ワイドビュー南紀」で9時少し前に出発、名古屋まで3時間56分。そこで妹夫婦と別れ我々は新幹線の「ひかり」「さくら」を乗り継ぎ、新大阪−岡山−福山経由で最後はローカル線に乗り換え、東尾道に着いたのは1626分でした。これはドイツでインターネットを頼りに自分で立てた旅程で、1分の遅れもなくぴったり定刻に到着、実にいい気分でした。そこで出迎えてくれたのは高校時代の同級生R君、彼は尾道で大きな家具屋を営んでいる人です。彼には瀬戸内海の旅の計画から実行まで、ずっとお世話になりました。
              (因島重井「白滝山荘」での小同窓会)
 先ずR君のお店を見学しご家族にも会い、そして34日の宿舎である向島の民宿「B&B潮風」に荷物を置いてからすぐに因島に向かいました。そこは私の高校時代の懐かしい故郷の島なのです。この機会に島に住む同窓生23人に会って食事ができれば嬉しいな、とR君に伝えておいたのですが、着いてみて驚いた!我々夫婦を入れ総勢12人が集まり小同窓会となったのです。全員相変わらず元気そう!酒を酌み交わし新鮮な魚介類を食し、大いに盛り上がった会は数時間に及びました。しかし我々のためタクシーサービスに努めてくれたR君だけは好きな酒が一滴も飲めず、気の毒なことでした。
               (生口島と大三島を結ぶ「多々羅大橋」)
 翌4日は、妻がガイドブックから得た情報で、「しまなみ海道」サイクリングの一日となりました。この海の道は本州尾道を出発点とし、6つの島(向島、因島、生口島、大三島、伯方島、大島)を橋で結び四国の今治まで続く70kmの自動車(と自転車)道なのです。しかしほぼ半日しか時間の取れない我々にとって全行程はとても無理なこと、その内2つの橋を渡り3つの島を走ることにしました。
            (多々羅大橋で拍子木を叩き「鳴き龍」を共鳴させる)

 出発点はまたR君のタクシーサービスで着いた生口島のサンセットビーチ、ここからすぐに多々羅大橋を渡り大三島となります。自転車はレンタルですが、身の程をわきまえて電動アシストつきにしました。橋のアプローチ部分がかなり長い傾斜となる、と聞いていたからです。この海道第2の大橋は印象的でした。日本最長約1.5kmの斜張橋ということで、高所恐怖症気味のある妻は左側通行で海が眼下に見えると目眩がしそうになりフラフラして一寸心配しました。

                (熟れたミカンがたわわに実って)
 幸い雲一つない快晴の日で、青い海の面に太陽がキラキラ反射し、速い潮の流れが渦を巻き、無数の島が次々に現れ、熟れたミカン畑の黄金色が目にまぶしい!瀬戸内海の景色は正に天下一、外国人サイクリストが「日本一の最高コース」と折り紙付きで賞賛するのもむべなるかな、です。

 途中で出会うほとんどのサイクリストは、ツーリング用の本格的な自転車に乗っています。「今朝8時に愛媛県今治を出発しました」という若者は2時間ばかりでもうコースの半分ほどを走破していました。ほぼ平坦な道が続き、それに先を急ぐサイクリングでもなし、我々はゆっくり辺りの景色を楽しみながら走りました。
            (船が折れそうになる急潮流と渦巻きの「船折瀬戸」)
 塩で有名な伯方島で昼食、もちろん塩ラーメンと塩味ソフトクリーム、おみやげは塩入キャラメルと塩の花です。そして今日の最終目的地は、正規の自転車路をはずれ同島の西端にある「船折瀬戸」です。ここは潮の流れが速く航行する船が折れるほど、ということでこの名があります。丘の上から見たこの急流と辺りの景色のすばらしいことは、もう表現する言葉も見つかりません。
           (伯方島と大三島を結ぶ大三島橋を背景にした「船折瀬戸」)
 電動アシストのおかげで傾斜のある場所も、時折の向かい風もものともせず,夕刻には出発点に無事帰着しました。このようにして、この小サイクリングツアーは今回の日本旅行のハイライトの一つとなりました。その実現のために終始助力してくれたR君に心からお礼を言いたいと思います。

4 件のコメント:

  1. もう数十年も帰っていませんが小学校時代から十数年、美しいとしか言いようのない瀬戸内海の島で育ったこと、幸せだったと思い返しています。申し分のない天候の中サイクリングどんなにか気持ち良かったことでしょう!何キロくらい走ったのですか?電動アシストが付いていたとはいえ、よく完走しましたね。
    懐かしい人たちとの同窓会もまた一つ思い出が増えたことでしょう。

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    1. 一体何キロ走ったのか?ママチャリについた旧式のアシストでは,一日の走行距離を表示する所がなかったように覚えていますが?とにかく旅行はどこへ行っても天候が支配しますね。この日は本当の快晴でラッキーでした。
      立派な橋が本州−四国を結んだけど、思ったほどトラックも走らず有効な産業道路にはなっていない、という記事を読んだことがあります。それと、目の前に堂々たる橋を眺めながら島の町や村は過疎のため寂れるばかり、各地の学校は生徒数が減ったため併合の連続、島の畑にはイノシシまで出現する田舎になっているとか。橋だけ使うサイクリストは寄り道をして各町村にお金を落とすわけではなし。同窓会ではそんな話が出ていました。

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  2. 三千男さん。いつもfacebookお相手の良さんのお世話で尾道ではいい気持ちでしたでしょう。因島の皆さんは、写真では昔の面影で分かる人がいません。「𡈽生だけ」の人もいるのではと、思っています。瀬戸内の故郷は残念ながら実態は私のブログの通りですね。もう貴君はドイツの人(遠い国の人)であり、故郷の趨勢にあまり関係がない扱いではありませんか。そこは何気なくお互いに珍客扱いになったのでしょう。潮風を浴びながら”しまなみ海道や”因島の周りを自転車走行したのは、いい思い出でしたね。ペトラ夫人もお元気に渡ったのでよかった。大阪の山さん

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    1. 本当に恵まれた環境と天候の中で,瀬戸内の旅を楽しませてもらいました。しかし、その反面今日の過疎化しつつある島の様子も良く理解出来、心が痛みました。1950年代のあのブームの頃の造船の町を知っているだけに、今の衰退が信じられません。産業が発展し市制が敷かれもう繁栄の一路を辿っていた頃島を離れたわけですが、それからの約半世紀は…。しまなみ海道の立派な橋と裏腹になった島の経済と人々の生活を知るにつけ、大きな現代の悲劇のようなものを感じます。

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