2014年10月25日土曜日

Japonisme美術展(続き)


 この美術展のポスターには代表的な印象派画家モネ、ゴーギャン、ゴッホ3人の名前が挙げられていることを私は先のブログに書いた。その際ゴッホの絵は数枚掲載したが、前者二人について何も書かなかったことに後で気づいた。これは片手落ちだった、と反省をしここに続編を追加することにした。

 先ず、印象派の中でも特に「印象(派)」的な絵を生涯の最後まで描き続けたクロード・モネだが、彼もJaponismeにはかなり大きな影響を受けた画家だったことを今回初めて学んだ。彼の家のどの部屋の壁にも所狭しと浮世絵等が飾られているし、自分の妻をモデルにした「日本女性」(la japonaise)という作品も残っている。これは風景画家として名高い彼の作品の中では珍しい、また人物画としても秀作であるという。

 中でも彼の最も有名な「睡蓮」の連作にも、日本美術の影響があったことを知り驚く。ハスの花の浮かぶ池をジウェルニーの自宅に作った時には、先ず日本風の橋を設計したという。お手本としたのは浮世絵に描かれた広重の橋だ。

 そして数多くのハスの花の絵の構図もasymetric(不均衡、非対称)のものが多く、地平・水平線(ホリゾント)が表れない高い視点から見て描いている。これも当時の日本の美術作品に学んだ点だ。モネの作品についてあれやこれや色々学んだ結果、今度またパリのオランジェリー美術館へ行く機会があれば、彼の睡蓮連作(チクルス)を新しい観点で鑑賞することが出来るような気がする。

 ゴーギャンと聞くとすぐにタヒチ島の女性たちの絵を思い浮かべ、Japonismeとはほど遠い画家であるという印象をもつ。しかし彼もかなり日本美術品,特に木版画を蒐集したようで、その影響の下自分の作品に取り入れている。

 彼の作風を語る時特に強調されるのはその平面性(=Flächigkeit)である。立体感や遠近性のない平たい画調と、その結果として、陰というものを全く排した色の使い方、背景や周囲にとけ込むような色の配置に、浮世絵の影響が歴然と見られる。その辺りのことは、Folkwang所蔵のゴーギャンの絵を使って館長がDVDの中で詳しく説明している。

 上の二人の画家の他にセザンヌの名前も挙るが、彼が好んで描いた故郷エクス・アン・プロバンスのサン・ヴィクトワールの山は、日本人にとっての富士山に匹敵する聖なる山だったであろう。北斎の富嶽36景やその他の浮世絵画家の描く数え切れない富士山の絵からセザンヌは霊感を得たに違いない。彼の山の絵にも同じ聖なる山に対する特別な思い(畏敬の念に近い感情の現れ)が感じられる。

 19世紀後半のJaponismeの影響は次の世代の画家たちに受け継がれ、フランスのみならずヨーロッパ全体の芸術界に、いろいろな形でもって広がって行った。この美術史上きわめて重要な動きを詳しく教えてくれる展覧会は見逃すことの出来ない貴重なものである(最終日2015118日)。

2014年10月21日火曜日

Japonisme美術展


 Essen市の Folkwang美術館で「モネ、ゴーギャン、ゴッホ−−日本の霊感」(Monet, Gauguin, van Goch... Inspiration Japan)という展覧会が(2014927日−2015118日)開催されている。

 19世紀半ば、鎖国がとけた日本から欧州に向けて多くの美術・工芸品が流出した。とりわけ芸術の都パリではそれらが重宝され、多くの蒐集家が輩出した。何千何万と集められた日本の芸術作品でもって大きな美術・博物館が設立され、それは今日でも残っている。日本では文明開化華やかなりし頃で浮世絵等は衰退の傾向があった時期に、欧州では日本美術が高く評価されつつあったのは,実に興味深い。

 パリに住む印象派画家たちは江戸末期の絵画、特に浮世絵に惹かれ霊感を受け自らの作品に取り入れた。その作風傾向を表すJaponisme(日本美術品愛好)という新語が出来、フランス語の辞書にも載るようになった。今回の展覧会はそれらの作品を,浮世絵と並べて示し、そこから得られた影響(どのように自作に取り入れているか等)の大きさを伝えるものである。

 「作品に取り入れる」と言っても、その方法や程度は様々であるように見える。
(1)先ず浮世絵そのものを油絵に写し描いたものがある。例 ゴッホの花魁、木 

(2)浮き世絵を自作の一部にアクセサリーのように用いたもの。例 人物画の背景、和船を見る二人の婦人 

(3)広重、歌麿、北斎等浮世絵の作品に用いられる構図(絵の中心に大きな木を描いたり、斜めの線が絵を横切る等)やテーマを借りて描いたもの。例 クールベの浪、ドガの湯浴み 


 その他にも、浮世絵独特の線や平面を組み合わせ、遠近法や立体感が表れず原色をふんだんに取り入れた作品も現れた。例としてボナールやロートレックのポスターが挙げられる。これと浮世絵の歌舞伎役者の絵との類似性を見つけるのは容易である。

 浮世絵は原画を描く絵師、それを木版に彫る彫り師、そしてそれに色を付けて刷り上げる刷り師の共同作業で完成するものであるから、当然上のような線と平面を組み合わせ、独特な色使いの結果となるわけだが、それが西欧の伝統的な遠近法と立体感をもった描写に慣れた当時の画家たちに新鮮な印象を与えたにちがいない。

 このような日本趣味、日本芸術愛好の傾向は19世紀後半の印象派画家だけでなく、20世紀に入ってマティスやピカソ等の作風にも影響を与え続けていることを、同美術展は別に一室を使って展示する。この種のものではドイツでほぼ30年ぶりという今回の大規模な展覧会において、美術史にとって見過ごしに出来ないこのような重要な動きを来訪者は再度学び、大いに楽しむことが出来るのは幸いである。
          (会場内は写真撮影禁止であったので、DVDからの絵を使った)

2014年10月13日月曜日

ノルディックウォーキングとは?



 数年来私のやっているフィットネス運動はノルディックウォーキングである。訳せば「北欧風歩行運動」か?2011年から書いているこのブログに一度は載せたか、と今日チェックしてみたがどこにもない。中秋のすばらしい日曜日の今日、妻共々歩きに出かけたので、紹介旁々書いてみようと思う。

 発祥の地はフィンランドと聞く。クロスカントリーの選手が夏期のトレーニングに取り入れ出した運動方法で、雪のない季節の体力作りのための方策だった。ここドイツでもグループでやっていると聞くが、日本でも正式な登録団体があることをインターネットで知った。

 道具は至って簡単、通常のウォーキングシューズに2本のポール(ストック)だけだが、このストックがずいぶんと体力作りに貢献してくれる。歩く時に身体のほぼ真横か少し後の地面を力を入れつつ、突いて後に流すようにして手の平を開く(リストバンドつきなので落ちない)。そして前に引き上げる時にグッと力を入れて強く握る。歩きながら「結んで開いて」をくり返すのだ。これが上半身の筋肉作りを促し、同時に首や肩の血行を良くしコリをほぐしてくれる。

 ストックのおかげで歩くリズムが生まれ、歩幅も通常より広くなる。足首、膝,腰への負担が軽減され、こうやって歩くことでエネルギー消費量は通常のウォーキングの3040%以上も上がるという調査結果も出ている。


 今朝は自宅からNordparkまで歩いた。途中電車通りを過ぎすぐに小菜園の道に入った。公園はその突き当たりにある。途中2000歩ばかり歩いた時点で汗が出て来た。最近買ったi-Podの新型にはフィットネスのソフトが入っていて、歩数ばかりでなく所用時間、エネルギー消費量まで判るのでそれを試す目的もあった。


 公園内の花壇にはまだきれいな花が残っていた。そして噴水も勢い良く水を吹き上げていた。夏時間が終わる月末までにはこれも見られなくなるだろう。噴水の前にノルディックポールを持った老女の姿を見つけたが…。近頃こういうストック2本持った老齢の人たちをよく見かけるが、その用法は「転ばないため」の杖の代わりだ。だから力を入れることもなく、歩幅も小さくヨチヨチ歩きで、これでは本来のノルディックウォーキングにはほど遠いと言わなければならない。

 途中休憩もせず1時間余りで帰宅した。i-Podの記録は63004.8kmと出ていた。その他は間違ってボタンを押してしまってカロリー消費量など消してしまったのは残念。今月末には日本旅行をして,中山道と熊野古道でのウォーキング、瀬戸内海「しまなみ海道」でのサイクリングを計画をしているので、出発までの2週間その準備トレーニングとしてノルディックウォーキングを欠かさず励行するつもりだ。

2014年10月9日木曜日

ハンブルグの孫たち


 Sabath という語がある。元はヘブル語で「休みの日、安息日」を意味する。さらに sabatical yearという言葉も辞書に現れる。これは「安息年」であり、イスラエルの民に、7年毎に一定の農作地を休ませることを命じる古くからの掟であった。農地の生産力を回復させるための休息を命じた、実際的な知恵から生まれた掟であろう。

 同じsabatical year (時にはleave)という語は今日でもアメリカやカナダの大学で使われており、「休暇年度」と訳される。7年毎に大学教授に与えられる1年(時には半年)の有給休暇であり、その間教授たちは自分の大学と学部を離れ、自由に研究,旅行、または休養のために使うことが出来る。

 私の長女とその婿はカナダのエドモントンにあるアルバータ大学の心理学部と精神医学部で教えているが、7年目に当たる今年この休暇年度の恩恵を受け、自分たちで選んでハンブルグ大学病院で1年研究することにした。

 彼らは町の中にアパートを借り1ヶ月半前から住み始めた。娘はドイツ人であり言葉は問題なし、夫はカナダ人でドイツ語は十分ではないが専門分野では英語で十分仕事ができる。心配したのは7歳(娘、小学生)と4歳半(息子、幼稚園)の子供たちのことである。カナダでは生まれたときから母親はいつも子供たちにはドイツ語で話しかけており、現地のドイツ補習校に行っていたから、基本的なこと特にヒアリングと理解は出来ていたが、自分から積極的に話し意志を伝えることは十分ではなかった。7月にカナダから着いてロンドンで他の孫たちと一緒に休暇をした時も、ドイツ語での会話には積極的に入り込めなかった。

 先週末彼らの新生活を見るためにハンブルグを訪ねた。久しぶりのこのドイツ第3の大都市はやはり活気に満ちており、特に港町周辺はいつ来てもすばらしい。土曜日(104日)には半日水の見える地区、とくに何百mも続く砂浜に行って遊んだ。大都会の真ん中で向かい側にもの凄い港湾施設があり、巨大な山のようなコンテナ船が行き来する所にこんな砂浜があるのは大きな驚きであった。良い天候に恵まれ、初秋の温かい太陽を楽しみに出て来た人の数は多かった。


 さて、二人の孫たちのことに返ると…。この6週間の期間に彼らのドイツ語が完璧になっていたのには驚いた。両親が研究に従事している間、小学校と幼稚園に終日預けられるわけだが、その間聞き話すのはドイツ語のみ。初めは戸惑ったそうだが、今では普通のドイツ人の子供と同じように自由に話している。幼い子供の言語能力というものの素晴らしさを思い知らされた。


 ドイツでの生活はまだ始まったばかり、滞在はあと10ヶ月以上残っている。今度は英語を忘れてしまってカナダへ帰ってから困るのではないか、という恐れがなきにしもあらずだが、それも杞憂に過ぎないだろう。新しい環境に入ったらまた直ちに順応する能力が子供には備わっているのだから。これは我々大人がどう頑張っても残念ながら追いつけない特殊能力なのだ。