2014年8月23日土曜日

新入学おめでとう!


 この州では8月の第3週(20日)から新学年が始まりました。長い夏休みの後生徒たちはまた電車やバス、自転車で通学開始です。この日を待ちかねていて、学校の友達とまた会える嬉しそうな顔、勉強があまり好きでない子のうんざりした顔、各人それぞれです。

 そして21日は新小学生の入学日でした。今5歳で来月初めには6歳になる孫のユリアも晴れて入学の日を迎えました。でも式は学校ではなく、例年通り先ず8時半に教会での礼拝から始まりました。教会の前に現れたユリアは、嬉しいことにおじいちゃんの縫ったパッチワークのコートを着ていました!この日は突然寒くなり、朝は12度で皆震え上がっていたのです。


 この地方ではキリスト教の旧教(カトリック)と新教(プロテスタント)の信者の割合がほぼ半々なので、礼拝も両教会の神父、牧師の二人が分担して行われます。小さい子供とその両親、祖父祖母中心の礼拝ですから時間も短く、またお話の内容も易しいものでした。


 その後会場を学校の講堂に移し、そこで上級生による歓迎会が開かれました。歌と演劇によるプログラムは新入生にとって初めての小学校の行事です。みんな嬉しそうな反面、緊張した表情も見られました。

 今年この小学校の新入生は40名足らず、A組とB組に分けられ初めての教室に入り机に座り先生のお話を聞きました。その間保護者たちにはボランティアの人たちにより、校庭でコーヒーとケーキがふるまわれました。

 丁度11時に保護者入室の許可がおり、初めて自分の子供や孫が小学生として机についている様子に接し皆感動の面持ちでした。

 写真でお気づきでしょうが、どの新入生も大きな筒を抱えています。これはSchultüte(学校筒=円錐形)と呼ばれドイツの学校の入学式につきものです。私はアメリカやイギリスに長く住みましたが、それらの国では全く目にしたことのないドイツ独特のものです。材料は厚紙(カートン)、70−80㎝はあるので小さいユリアは圧倒されそうです。中味はお菓子やボンボンが主で、そのためSüßtüte(甘い筒)と呼ばれることもあります。でも最近はお菓子類だけでなく、玩具、クレヨン・鉛筆の文房具、そしてゲームやCDも入れられるようになりました。デパートや文房具店では何ヶ月も前から大売り出し、中味は各家庭で準備します。


 この習慣の起源は1810年頃、ドイツ東部のザクセン、チューリンゲン地方だと言われています。元となった言い伝えは「先生(学校)の庭にSchultütebaum(学校筒の木)が植わっていて、その実(筒)が熟れて十分大きくなったら学校に入る時が来るのだよ」というものです。最初は東の地域だったのが、やがて中部ドイツ、そして徐々に南部、西部にも広がり、現在ではドイツ中行われていない地方はない、と言って良いでしょう。円錐形で模様は千差万別、上に布の飾り蓋がついています。ほとんどが市販のものですが、家庭によっては伝統的に自分で作る人もあれば、幼稚園で入学準備のため園児が作る場合もあります。とにかくこのSchultüteを持って登校するのは入学日一日だけ、明日からは新しいランドセルを肩に新しい学校生活の開始です。

2014年8月18日月曜日

日本和牛、欧州へ進出


 「Wagyu(和牛)の肉」という題でブログを書いたのは20136月のことだった。私の知人である精肉卸商のAlbers氏がオーストラリア産の和牛の肉を輸入し欧州内に卸しているが、日本産の和牛はキロ当たり1000€にもなりビジネスとしてとても成り立たない、というような内容だった。

 あれから約1年後717日付け経済新聞のHandelsblattに「究極の牛肉 − ヨーロッパで初めての神戸ビーフを販売。輸入業者の賭け」という記事が載った。それによると今回ヨーロッパでもミュンヘンの「和牛マスター」社、デンマークの一輸入業者、そしてデュッセルドルフのAlbers社の三社が日本から直接和牛を輸入し販売することになったという。しかしこのビジネスのリスクは大きい。業者は和牛についてのノウハウを熟知していなければならず、貯蔵期間55日を守り、そして月に10頭分を販売しなければならない、等ハードルはかなり高いところに設定されている。Albersでは最高級品質の肉にキロ420€という値を付ける。これは我が家で買う牛肉の10倍近い値段である。
       (我が家のステーキ用ネブラスカ牛肉、キロ50€弱)
 同じ頃(7月29日)テレビ東京のTV番組「ガイアの夜明け」で「和牛(Wagyu)...その知られざる真相」という番組が放映された。これにより、今まで知らなかった事柄を多く知ることが出来た。日本伝来の貴重財産である和牛は長い間国外不出の宝物であった。それが海外に出るようになったのは20年前のこと。北海道の一畜産業者が「ホルスタイン(牛)、デュロック(豚)、白色レグホーン(鶏)等日本の畜産は外国の銘種によって大きな恩恵を蒙って来たので、今度は世界に和牛を広め沢山の人にうまいものを食べてもらうべきだ」という確信をもって動き出したのがその発端だという。多くの反対と抗議を受け、彼は除名処分も受けたが、それでも100頭以上の牛をアメリカに輸出し、さらに種牛の遺伝子(精液)がオーストラリアに渡った。そこで和牛とアンガス種牛の交配が行われ、肉の質が和牛に近く成長も3、4ヶ月早い交雑種が生まれ、世界270カ国に広まったのだそうだ。そしてそれが格安の値段で日本にも逆輸入され庶民もその恩恵にあずかっているのが現状である。

 高齢化社会で食することが少なくなり国内需要が減少した日本の和牛は2012年以来米国、東南アジアに輸出、新たな市場を求めているが、オーストラリア肉に比べ苦戦を余儀なくされている。その理由は、元々4種しかない和牛原種だが、各地の畜産家は独特の餌を開発し、飼育法にも工夫を施している。その結果やれ松坂牛だ、佐賀牛だ、米沢牛だと全国に約230種の和牛が生まれ、ブランド力の弱い畜産農家は特色を十分に出せず、海外輸出・進出の際お互いが邪魔をし合い、それが足かせとなっているらしい。

 その解決に乗り出したのが精肉輸出卸業「ミートコンパニオン」社である。タイ国バンコックの有名デパートで、各県が競って出している和牛の種類が余りに多くあり消費者に訴える力が弱く互いに足の引っ張り合いをしている現状がTV番組で紹介された。それに比べオーストラリア産は統一マークをつけ、すぐ消費者の目につき売り上げも良いという。そこで日本産にも統一マークを新たにつけようと言う提案がなされ、大手の日本ハム、伊藤ハム、全農等が賛同し決定されたのが上のマークなのである。しかし肝心の但馬牛の神戸ビーフ(エスフード)だけは最初参加しなかった。そんな手段によらなくても自分のところの牛肉は十分売れるという自負があったのだろう。それでも最終的にはそれに加わることになり一段落したということである。
            (鹿児島産、黒毛和種 リブロース)
 2,3日前Albersに出かけ日本の和牛についていろいろ訊いてみた。値段はオーストラリア産とほぼ競えるほどになったという。サンプルを見せてもらったが、それは期待していた但馬牛の神戸ビーフではなく、鹿児島産リブロースとレッテルが貼ってあった。それに肝心の統一マークがついていなかったのはなぜだろう(同社のホームページには見られるが)。いろいろ訊いても売り子の若いお兄さんの答えは要領を得なかった。
                (見事な霜降り牛肉)
 さてこれからの1年、自分では食べる機会はほぼゼロに近いが、欧州での日本和牛ビジネスはどう発展するか大いに興味があるところで、その動きから瞬時も目を離すことができない。

2014年8月10日日曜日

ロンドン旅行 6(最終回)


 727日(日)ロンドン滞在も最終日となりました。日曜日であることから、上の娘は市内各地で開かれる「蚤の市」に行きたいと言っていました。しかし、小さい子供たちを連れ人込みの中を歩いて古物を探すのも大変だろう、と思い返し、特に一番小さい4歳男児で、自動車をはじめ動くものに目の色を変えるジョエルのため、「ロンドン交通博物館」のあるCovent Gardenへ行くことにしました。
 

 有名なRoyal Opera Houseの所から入ると、すぐ前方にThe Marketが目に入ります。屋根のついた屋内ではアクロバットのお姉さんの演技が始まるところでした。しばらく見ていると、娘婿のUweが引っ張り出され曲芸のアシスタントを努めることになりました。あれこれ命令されるままに剣やロープを手渡し、照れながらも観客に大いに受けていました。その他ここでは大道芸人があちこち出て面白い演技をしていました。



 ミュージカル「マイフェアレディ」でエライザが花を売っていた青果店は今はなく、このマーケット内にはおしゃれな専門店が並び買い物客も多くやってきます。その中にある「手作りのアートとデザイン」のApple Marketでは芸術家が自分の手で創作した見事な作品を展示販売し、買い求める人も沢山いました。

 買い物の後は食事がどうしても必要、そのための軽食レストランやカフェがあちこちにあります。良いお天気のこの日は道路沿いにテーブルと椅子が並び、ギターを弾きながら歌う大道歌手の歌を聴きながらコーヒーとケーキで一休みの人々。マーケットの屋内通路から下のレストランを見ると、大鍋の中は鮮やかな黄色のサフランで色付けされたパエリアで、これが一番人気の昼食のようでした。


 もう一つのスペースでは、カラオケ方式でバックに音楽がかかり、その前で歌うのは本格的な歌手たちです。オペラハウス所属のプロで、歌われるのは有名なオペラのアリアばかりです。しばらくすると演奏者交替で、弦楽五重奏となりロッシーニの「セビリアの理髪師」序曲が流れます。演奏が終わると係の人が「歌手のため、演奏者のために寄付をお願いします」と竹籠を持って回ります。

 このように買い物、食事、音楽、大道芸を楽しみつつ、Covent Gardenでの半日は過ぎました。34時間経っても「交通博物館」に入った小さい子供は出てきません。乗って楽しむものが多くまだまだ離れ難い、とパパからSMSで連絡があったので、他の大人たちと大きい子供たちはRegent StreetOxford Streetへロンドン最後の買い物に向かいました。

 5階建てのオモチャの大デパートHamley´sとカジュアル洋品のUniqloが皆のお目当てで、夕方近くまで買い物は続きました。

 このようにして7日間のロンドンの楽しい旅行は終わりとなりました。

2014年8月6日水曜日

ロンドン旅行 5


 726日(土)は全員でOxfordへ遠出をしました。旅行の前から娘と配偶者、孫たち全員に「おじいちゃんの勉強をした大学を是非見せたい」と、ほぼ命令調で宣言し旅程に入れていたのです。

 Vicotoria駅前にはOxford行きのバスが沢山並んでおり、20分毎に一本出ます。我々のバスは、市内こそ渋滞に巻き込まれましたが、高速道路に乗ってからは、緑の草原と夏麦の黄色く熟れた快適な風景を窓外に見つつ、1時間半で目的地に到着しました。
                                                          (Tom Tower, Christ Church)
 最初の見学は私のTutor(個別指導教官)の住居があり、1968-72年まで4年間通って勉強したcollegeであるChrist Churchでした。当時Oxfordの他のcollegeには故三笠宮寛仁親王や元総理大臣の麻生太郎氏も留学しておられ、時々姿をお見かけしました。現皇太子や秋篠宮の留学は80年代になってからのことです。
             (Christ Churchの庭と食堂の建物)
 バスを降りると通りに面したTom Towerが懐かしく目に入ります。その頃この塔の下から誰でも自由に入ることが出来ましたが、今では閉鎖され構内に入るには、ぐるりと庭の方に回り入場料を払わなければなりません。
               (Christ Churchの中庭)
 Tutorとかtutorialはオックス・ブリッジ両大学の特別な教育方法です(最近では他の大学でも採用している)。入学すると各学生に指導教授が決められ、毎週(大学院生は隔週)その先生の前で自分の用意した論文(エッセーと呼んでいる)を発表し、それについて質疑応答するという個人教授なのです。私も論文完成まで、このChrist Churchにお住まいのRegius Professor(欽定教授)Greenslade博士のご指導を受けました。先生には学問上の指導だけでなく、クリスマスにはご家族との食事にお招きいただき、個人の生活上もいろいろお世話になりました。
            (Tutorialの行われた住居の入り口)
 カレッジの中庭、Tom Towerから入って右側一番奥の住まいがそれです。しかし、今では毎日何万と訪れる観光客に荒らされるため中庭には入れず、そのドアの前にも行けません。記念写真は撮りたし、はたと困りました。それで監視人のお兄さんに話しかけました。「かくかく、しかじかの者です、なんとか写真を撮りたいのですが」と。事情が分かり「次には卒業生証を持って来て下さい」と言われましたが、すぐに許可が下りました。証明書提示で入場料も免除されるとか!
                                                         (Christ Church, dining hall)
 カレッジの建物内部は、孫たちにも興味深かったようです。特に学期中先生と学生がガウンで正装して食事する食堂は、ハリーポッターの世界そのもので圧巻でした。しかし、昔講義を聴いた旧い部屋が土産物店になっていたのには悲しくなりました。とにかく夏休み中でもあるのでしょうが観光客の多いことは驚きで、これでは静かな勉学の場という雰囲気ではありません。
             (Christ Church Cathedralと中庭)
 午後は、以前日参していた図書館や儀式の行われる講堂の建物を見に行きました。その日はちょうどDegree Day(学位授与の日)だったので、町中あちこちに黒いガウンと白い毛皮のフードをつけた学生が歩き、講堂のSheldonian Theatre(私の入学式もここでした)は入場禁止、中から新学士誕生を祝う拍手が聞こえました。
          (Radcliffe Camera 英文学部と神学部の図書館があった)

                                                    (式典会場のSheldonian Theatre)
 その後は私が4年間寝泊まりしたRegent´s Park College と、時間講師で日本語の漢字、英文和訳、会話を教えていたOriental Instituteを訪れました。週末のことで関係者の誰とも会うことは出来ませんでしたが懐かしさが胸一杯に広がりました。当時日本語を教えた学生の何人かは日本留学を果たし、大きな本を著したり、NHK外国人による弁論大会に入賞したり、英語で能の脚本を書いて演じたり、立派な成果を挙げました。この大学では3学期制をとっており、各学期は8週間でその後6週間の休暇があり1学年が終わり長い夏休みとなります。だから勉強の期間は年に24週間のみで卒業も基本の学士コースでは3年後となります。短い大学生活だけに学期中の学生は、死に物狂いで寸暇を惜しんで勉強に集中します。そんな学生たちの勉学態度から私は多くを学ぶことが出来ました。
                                                          (Regent´s Park College)
                                                               (Oriental Institute)
 孫たちも将来どこかへ海外留学して大学教育が受けられたらどんなに幸せなことか、学問だけでなく人生のすばらしい経験となるだろう、と考えながら帰路につきました。

2014年8月4日月曜日

ロンドン旅行 4


 旅行も終盤に入り大人たちの中にそれぞれ、ロンドン近郊の親類や旧い知人友人、大学の同窓生等を訪ねたいという者が出てきました。それで25日(金)はいくつかのグループに別れての行動となりました。今回はロンドンの街角で私が見た一般的な印象を写真を添えて記すことにします。

 ロンドンの風景で欠かすことの出来ないのは、テムズ河に映るビッグベンと国会議事堂でしょう。幸い宿舎のあるKennington Road経由でWestminster Bridgeまではバスですぐ行けます。橋から右(東)の方向に歩けば、観光客の人気スポット大観覧車のLondon Eyeがあります。1周30分かかるガラス張り観覧車は32台あり1台に25人乗れるので満席で800人となりますが、待ち時間は長くいつ行っても長い列を作って待つ人が絶えません。


 交通機関としては、19世紀半ばからある世界最古の地下鉄Tubeが有名です。乗った印象は、その名(チューブ)の通り何か丸い筒に入った感じで、通路が狭く天井も低いので、東京の地下鉄の方がはるかに快適だ、と思いました。もっとも私たちの乗ったのは小断面車両らしく、他にも大断面車両も走っているということです。とにかくラッシュアワーに46歳の幼児を連れていたときは乗り降りに本当に苦労しました。

 赤い2階建てバスはロンドン名物で、どこへ行ってもどこへ行くにも利用できる交通機関です。最近また路線や車両数が増えたということですが、それは市内の渋滞がひどいことが原因で自動車税が高くなり、 自家用車の利用者が減っているからだそうです。乗り心地はあまり快適とは思いませんが、2階の最前列は市内観光に絶好の席です。値段の高い市内観光バスとほぼ同じルートを走るバスもあるとのこと、勉強しておけば安上がりになります。狭い道路でバス同士がすれ違い、その間をかなりのスピードですり抜けようとして、もの凄い音でバスの車体を傷つけ(写真の右下の部分)、そのまま当て逃げをした自家用車を目撃しました!狭く混雑する通りで、こんなことは日常茶飯事なのでしょうか?


 もう一つ、市内どこでも目につくのは四角い形のブラック・タクシーです。もともとはオースチン製が多かったようですが、最近ではいろいろな会社が参入しています(日産製も!)。運転席と客席の間は仕切りがあり、前向きに3人掛けの席と運転手に背を向けて前倒しして引き出す2席があり計5人乗りです。Tate ModernからRegent Streetまで(地図でみれば精々数キロです)利用した娘と孫娘の話によれば、すごい渋滞で時間がかかり料金は12£だったとか。ドイツに比べ格安なのか、高いのか?昔ながらの車体を見ると、環境汚染の排ガスやガソリン燃費の問題はどうしているのだろう、と人ごとながら心配になります。


 この日歩いて印象深かったのは、セントポール寺院からまっすぐ延びテムズ河にかかるモダンな橋「ミレニアムブリッジ」でした。新世紀が始まることを記念に2000年に開通したのですが、出来上がってみたら横揺れが激しく3日後に閉鎖、改造する羽目になったいわくつきの橋です。でも他の歴史のある橋とはちょっと違った近代的雰囲気のこの橋は今ではロンドン観光の人気スポットで、毎日多くの人が歩いて渡っています。

2014年8月2日土曜日

ロンドン旅行 3


 723日(水)は最年長の孫ハンナの11歳の誕生日。旅先なのでささやかなパーティーとなりましたが、宿舎の近所でケーキ、ロウソク、花を買って用意し、朝食後皆でハッピーバースデーを歌いお祝いしました。

 ハンナの希望を入れこの日はグリニッジ行きとなりました。これは彼女が学校の英語のクラスで習ったことと場所を自分の目で見てみたいと望んだからです。テムズ河畔の観覧車ロンドンアイのところから船に乗ると、グリニッジまでは40分そこそこです。途中ロンドンブリッジをはじめいろんな橋の下を通り、地下鉄よりずっと面白くなります。


 グリニッジには海洋博物館、カティサーク号(中国貿易に活躍した帆船)、クイーンズハウス等いろいろ見るところが多くありますが、お目当てはなんといっても小高い丘の上のOld Royal Observatory(旧天文台)です。ここにある東半球と西半球を分ける経度0の線を皆でまたいで写真を撮ったのはこの日の良い想い出となりました。





 724日(木)は妻のたっての希望でユネスコ世界遺産であるKew Gardens(キュー王立植物園)へ行きました。18世紀半ばに創立されたこの園には長い歴史がありますが、現在では132 ヘクタールの広大な敷地と3万種類の植物を誇る世界一の植物園として知られています。


 植物と花の趣味をもつ我が妻も、何百年かの期間に育った大木とかつて見たことのない植物の種類の多様さに驚いていました。中でも、恐竜が食べていたと言われる9000万年も昔の樹Wollemia nobilis(最近オーストラリアのある谷で見つかった化石の植物と呼ばれる)が鉄柵に囲まれて植わっているのを発見、大いに感激していました。

広大な緑の原や芝生、高い樹々を18mの高さから観察出来る「樹木の梢の散策路」、靴を脱いで歩き回れる「裸足の道」、そしてバナナが連なってぶら下がる熱帯植物のための温室(パームハウス)等、子供も大人も夕方近くまで時間が経つのを忘れて楽しんだ一日でした。