2011年12月29日木曜日

クリスマスイブ



 1224日にはビーレフェルド孫たちといっしょにクリスマスイブを楽しみました。午後3時から村の人々で一杯の教会でページェント(聖誕劇)が行われました。これは聖書に記されたキリスト誕生の物語を子供たちが演じるものです。

 先ず長旅をして生まれ故郷に着いたヨセフとマリアが満員の宿屋で断られ、仕方なく馬小屋に泊まりそこでイエスが誕生します。それから天使たちが現れ「今日ダビデの町に赤ん坊が生まれた。これがキリストである」と合唱しながら人々に伝えます。それを聞いた羊飼いたちがやってきて、馬小屋の藁の中に寝ている幼子イエスに会い喜びます。東の国に住む3人の博士たちが、明るく光る星に導かれイエス誕生の場所まで到達し、それぞれの贈り物を差し出します。

 これはすべて聖書にある物語で、もちろん万国共通のお話。私も日曜学校の生徒であった頃毎年のようにやったものです。小さな村の教会には舞台がなく、すべて狭い通路で劇が行われるため少々窮屈ですが、子供たちがすぐ目の前で一所懸命、覚えた台詞を言って演ずるのが見られました。

 その後家路につく頃にはあたりはもう暗くなり始めます。家ではクリスマスツリーにあかりが灯り、いよいよプレゼントが配られます。これはBescherungといい、古いドイツ語で「分け与える、分配する」というのが語源です。一番小さいユリアはまだサンタクロースの存在を信じているでしょうが、小学生のお姉ちゃんたちは、プレゼントは全部両親が買い整えてくれたものであることを知っています。だから前もって自分たちの欲しい物のリストを作って渡してあるのです。

 プレゼントの包みをすべて開けるには半時間もかかりました。希望していた贈り物が出て来る度に、子供たちの嬉しさと興奮が増して行きます。一段落すると次はご馳走が待っています。今年は少し趣向を変えて、スイス風のラクレットグリルが用意されました。これはハードチーズを温め柔らかくし、削り取って(ラクレットとは「削る、引っ掻く」というフランス語)ジャガイモやその他の野菜等にからめて食べるのです。家族の全員がグリルの周りに座ってそれぞれのプレートを使って食べるので、一家団欒の雰囲気が一杯で、本当に楽しいクリスマスディナーの一時となりました。

2011年12月22日木曜日

ここは…どこかな?





ずらりと並んだ店は、木造りのヒュッテタイプの小屋。売っている飾りもの、木彫り人形やデコレーション、ライトの類も珍しい!これは典型的なドイツのクリスマスマーケットではないか?でも壁にかかっている飲食物の表示は日本語で「ライベクーヘン」とか「グリューワイン」となっている?!そうです、もうお判りですね、これは東京六本木ヒルズで開かれている、日本のドイツ、クリスマスマーケットなのです。と言っても、東京の友人から写真を送ってもらったわけではない、私自身が撮ったものです。


12月初め他界した母の葬儀のため、今年2度目の日本旅行をすることになりました。通夜と告別式を終えた後、妹夫婦と六本木を訪れる機会がありました。森ビルのシティビュー展望台から東京のすばらしい夜景を見た後地上に降りた所で、このクリスマスマーケット・イン・ジャパンを見つけたのです。ご覧下さい、売っているもの、食べたり飲んだり出来るもの、本当に本場そっくりで驚いたことです。でも、値段の方は格段に高い!グリューワインがマグつきで1200円とは(!)、本場の2倍以上です。それと、以前ドイツに住んだ経験をもち、カレーソーセージ等を食べた人の経験を聞くと「全然違う味」でがっかりしたそうです。


グリューワインを飲みながらドイツ語を話している2人の紳士に「今晩は!いかがです、ここでホームシックにかかりましたか?」と挨拶したら、「いやいや、今の所まだ大丈夫です」という答えが返って来ました。有名なクリスマス屋さん(?)の「ケーテ・ウォルファルト」(ローテンブルグのKäthe Wohlfahrtは年中クリスマス用品を売っている)の店の前ででカメラを向けたら、売り子に「品物の写真は撮らないでください」と注意されてしまいました。撮影禁止の張り紙を見落としていたのです。ドイツ各地の同店の小屋ではそんなことはなかったと覚えていますが?日本人はすぐにコピー商品を作るから油断ならない、ということなのでしょうか?


私たちは結局ここでは何も食べず、飲まず、妹が小さな金のベルを1600円で買って帰りましたが、とにかく東京の真ん中で、ドイツ風のクリスマスの雰囲気を味わうことが出来たのは幸いでした。



 こちらは六本木東京ミッドタウンのイルミネーションと、銀座4丁目付近ででクリスマス募金をする救世軍の社会鍋です。年末の今どこへ行っても東京はクリスマスシーズンたけなわでした。

2011年12月8日木曜日

飲んだり、食べたり(2)



 出来立てを熱々で食べるものが多い中、マッシュルーム(Chmpinions)も人気の食べ物です。小さくて丸い茶色のマッシュルームを炒め、それにクリームや溶けるチーズをかけます。知り合いの日本人Tさんが食べていたのを見つけ、モデルになってもらいました。同じ店には焼いたチーズ(カマンベール)も売っていました。

 熱い(heiß)という文字を看板に出しているのは、栗の店です。「甘栗」とか「焼き栗」ではなく「熱栗」(Heiße Marone)です。粒は小さめですが、大きな鉄鍋でじっくり時間をかけて焼いた味はなかなかのものです。
 
 今度は揚げ物でReibekuchenです。そのまま訳せば「摺ったケーキ」で何のことかわかりませんね。これはジャガイモを摺り(おろし)塊(かた)めて(クーヘンには「かたまり」の意味もある)油で揚げるもので、それにリンゴムース等をかけて食べます。一人前として3枚入れてくれるので、これまたボリュームのある食べ物ですが、ドイツ人のおばあさんでも美味しそうにペロリと平らげています。高温の油の前で終日揚げているおばさんも大変な重労働だろう、と同情します。


 把っ手がついている機械はワッフル(Waffel)を焼き器です。焼いた後その上に粉砂糖、シナモン、クリーム、ヌテラ(チョコレート)等を乗せるのは、クレープの場合と同じですね。右端のケースに入っているのは?!まるで中華のニクマン(肉饅頭)そっくりですが、これはDampfnudelと呼ばれるダンプリングで、下部は香ばしく焼いて上部はフカフカに蒸すのです。中味が入るものとないもの(その場合はたっぷりグレービーをかける)とあるようですが、私自身試食したことがありません。


 あとは、「愛してるよ!」と文字を入れたハート形の首から掛ける大きなクッキー、アーモンド等のナッツ類を香料の入った砂糖で包んだ砂糖菓子の店や、前を通る度にツーンと鼻をついてくる香料を一杯入れた何百種類のボンボンを売る屋台やら、クリスマスマーケットの食べ物、飲み物の屋台はバラエティーに富み、ドイツのクリスマスの懐かしい光景となっています。

2011年12月7日水曜日

飲んだり、食べたり



 先号で予告したように、クリスマスマーケットに出かける人が飲み食いするものの写真を撮って来ました。どこへ行っても飲食物屋の小屋の多いことは驚くほどで、買い物が一段落した人も、「腹がへっては…」と、これから買い物を始める人も、あちこちで立ったまま飲んだり食べたりしています。この楽しみがなければクリスマスシーズンの雰囲気も出て来ず、退屈きわまりないものとなるでしょう。

 一年中で最も寒いこの季節に欠かせないクリスマスマーケットに必ず出る飲み物はGlühwein(グリューヴァイン、ホットワイン)です。何時間も歩いて冷え込んだ身体を温めるにはもってこいの熱い飲み物です。材料は赤か白のワイン、そして香料としてシナモン、香料ナデシコ、レモンの皮、ダイウイキョウ等が用いられます。これを最高80℃までの温度で温め、規定通り最小限アルコール度7%で売ります。どこの店でも趣向を凝らした模様のついた陶器の(時にはグラスの)コップを用意しその値段を含めて売ります。お土産に欲しい人はそのまま持ち帰れば良いわけです。日本人の中には、 国へのお土産にするためにコップを毎年数個ずつ集めている人がいます 。

 クリスマスのお菓子といえばChriststollen(クリストシュトレン)をおいてほかないでしょう。最近日本でもかなり知られるようになりデパートで手に入る、と聞きます。これはイースト入りの生地に大粒、小粒のレーズン等いろいろな乾燥フルーツ類やシトロン果皮の砂糖漬け、オレンジピール等を包んで巻いて作るものですが、その形が布にくるんだ幼子キリストに似ているのでこの名前(キリストのシュトレン)があります。それにクルミ、バター、マジパン、ケシの実等を入れそれぞれの名をつけたシュトレンが店頭に並びます。かなり重量のあるお菓子で、一切れずつ売る店もありますが、ここの店のは11kg売りのを並べ14ユーロの値段がついています。

 シュトレンをマーケットで立ち食いする人もいるが、これは主としてお持ち帰り用のお菓子。お腹を満たすためにはやはりドイツ独特のソーセージ屋に人が群がり大繁盛です。調理法は主として焼くだけ(Bratwurst 焼きソーセージ)、もうもうと煙を上げて焼かれたソーセージを丸パンにはさみ、たっぷりと辛子をつけて昼食、夕食にします。

 ドイツはジャガイモの国、マーケットでもジャガイモ専門の小屋を見つけました。おじさんの後にあるのは大型のジャガイモを丸のまま焼くオーブンで、両手で持つほどの大きなジャガイモの真ん中に切り目を入れ、そこに白いザウアーラーム(酸味のあるクリーム)を目一杯入れてくれますが、我々日本人のお腹では一個食べるのが難しいほどのボリュームです。もっとも、ソーセージもポテトもクリスマスに限らず、一年中どのお祭りやマルクトでも誰もが好んで食べるドイツ人に欠かせない食べ物です。

2011年12月4日日曜日

クリスマスマーケット


 今年もクリスマスシーズンが始まり、デュッセルドルフの町も、あちこちにクリスマスマーケットの小屋が建ち賑やかになりました。どの町にもマーケットの中心となる広場がありますが、一つの場所に露店全部は収容されず町中に散らばって造られるのが普通です。

 ドイツにおけるその起源は古く、14−15世紀にすでにそのような市がたったという記録が残っています。ドイツ語ではふつうWeihnachtsmarktといい、「クリスマスの市場」という意味になりますが、その他にも地方によってはAdventmarkt「アドヴェント=待降節の市場」やChristkindelmarkt「聖子キリストの市場」という名で呼ばれます。大体11月半ばから1224日までの期間開かれます。

 元々は、寒い冬の生活必需品を人々が売り買いするための市場として始まったのですが、その後何世紀にもわたってクリスマスシーズンの開始を告げる民衆の慣習となりました。暗く寒い季節、沈みがちな気持ちを明るくしてくれるこのシーズンのハイライトは、ドイツ全国で2500カ所以上の場所で開かれますが、オーストリア、スイスはもちろん最近では他の北欧の国々やイタリア、フランスでもクリスマスマーケットを真似してやってようです。面白いことに、日本でもドイツ総領事館のある大阪の新梅田シティーで2000年からマーケットが開かれている、というニュースがこちらのインターネットニュースなどに報道されています。

 この町のマーケットはあまりセンセーショナルなものではありませんが、ルール地方ではドルトムント市のそれがよく知られています。そこに出る露店の数は300以上あるためドイツ最大であり、また1700本のもみの木を積み重ねて45mに達する大ツリーを広場の真ん中に立て、これがドイツで最も高いツリーである、と自慢しています。どこの町でも店は日本の縁日の出店か露店のようなものと考えて下されば良いですが、それよりもかなりしっかりした木造の小屋(ヒュッテ)の形をしています。

 今日では売られる品物はもうクリスマスに限定されず、中にはまったく関係なさそうなものまで並べられているのは驚きです。何でもクリスマスプレゼントに使えるから、と言えば言い訳にはなるでしょうが!しかしメインはやはり、ここに数枚写真を載せたツリーや部屋を飾るデコレーションやローソク、ランプの類でしょう。

 寒い日に長時間歩き回れば身体は冷えるし、お腹も空くものです。そのためマーケット独特の食べ物や飲み物がいくつかあります。それらについては次に写真を載せてご紹介しましょう。


 (暗いシーズンに合わせてブログの背景を黒に、文字を白くしましたがいかがでしょう?いい感じになったと満足しているのですが…?)


2011年11月26日土曜日

音楽噴水

暗くなってから京都駅前で、素晴らしい音楽噴水を見つけました。いろいろなクラシック音楽に合わせ、噴水の水が上がり虹の7色のライトが照らされ、幻想的な雰囲気が醸し出されます。そこにしばらく立って動画を撮りましたが、結局「オモチャの交響曲」のがマアマアの出来となったのでここに掲載します。このブログ初めての動画掲載なので、うまく出来るかどうかちょっと心配ですが…。(この噴水の正式な名前はAqua Fantasy−水の幻想−であることがわかりました)

2011年11月25日金曜日

日本旅行2011(4)


4.京都駅

 京都の宿は駅のすぐ東側にある徒歩23分のセンチュリーホテルだったので、食事やショッピング等で京都駅へ出向く機会が多くあった。そして行く度にこの駅の凄さに度肝を抜かれる思いがした。

 正面から見た印象は正直言ってあまりいただけない。高さを60mに抑え、建物を分断して反対側にも人間の視線が行くように考慮されてある(建物を通して向こう側も見える)というが、やはり圧迫感があり京都を2分する衝立ての感じをぬぐえない。裏側に住む京都人は取り残されたような気がして不満だろうな、と想像する。

 ところが一旦駅の中に入ると、思わず感嘆の声を上げてしまう。横幅470mあるこの建物の東側はグランヴィルホテルが、西側はデパートの伊勢丹が占めているが、4000枚のガラスと幾何学的な鉄骨の大屋根が覆う吹き抜け構造の中央コンコースを先ずご覧ください!私は世界各国の駅をいくつも見て来たが、こんなスケールのものは見た覚えがない。吹き抜け最上部(地上45m)にある空中経路(スカイウエー)を歩くのもすごく楽しい。

 
 吹き抜けから東西へ171段の「大階段」がついており、一寸した渓谷のようだ。これは高低差35mあり、11階建てビルに相当するという。この階段に沿って長いエスカレーターがついているが屋根はない。また屋上庭園も各所に備わっているがここも大空の下にあり、雨や雪の日、風の吹きすさぶ季節はどう使うのだろうとか、エスカレーターが雨ざらしになって大丈夫なのかと、建造計画した人は考慮しているだろうが、こっちは余計な心配をした。この階段を座席に使ってコンサートとか、駆け上がり競争のイベントが行われるという。

 駅前に京都タワーが出来たとき、古都の雰囲気を壊す建物だと総スカンを喰らったことを思い出す。京都駅も歴史ある京都と未来に向かう京都の調和を図って造られたというが、やはり外見はハーフミラーやアルミ材をふんだんに使ったモダンそのものの造りの建物だ。古都の景観を破壊するものと、主に仏教関係の保守的な人々からの批判が沢山寄せられたと聞く。何をしても新規なものに対する批判は当然出て来るだろう。

 私個人の印象としては、どこへも自由に入って行って見られるという、この駅の開放性というか、友好的な雰囲気が気に入った。スカイウエーの終点のドアを開ければ「ラーメンストリート」があり、日本各地の名店のラーメンが食べられる庶民的な面を備えている。ターミナルとしての駅本来の機能はもちろん、食事、買い物、ただの見物、そぞろ歩き等にも便利で楽しいし、なんと言っても未来志向のモダンなデザインに心奪われた印象深い駅だった。


 今年もイタリア、カナダ、日本と、健康にも恵まれ3回の大きな旅行をすることが出来たことを感謝している。ドイツは(日本もそうだったが)もうクリスマスシーズンの開始で、街のデコレーションも揃った感じだ。「四季折々のドイツ」も日本旅行記を終え本来のドイツに戻り、そちらにブログ書きを集中させるつもりでいる。

2011年11月22日火曜日

日本旅行2011(3)


3.京都

 これまで何度も訪れた京都はほとんどの場合、地元の知人の家に泊めてもらい、案内つきで町を見て歩いただけだった。今回は妻と2人だけで駅前にホテルを取り、ガイドブック一切なし行きあたりばったりの観光しよう、という計画だった。
 
 先ず駅の中にある「京都ナビ」案内所へ。入り口で観光地図を渡している人、そしてカウンターに座る何十人というバイリンガルのヘルパーさん!その微に入り細にわたる、てきぱきとした気持ちの良い対応•案内の仕方に驚き感心し、旅行者として身にしみて本当にありがたかった。

 最初計画した京都御所は生憎一般公開の日ではなかったので、その南にある京都御苑の植物を徒歩で観察した後鴨川を渡り、京阪電鉄で祇園まで行ってショッピングを始めた。やはり古都京都だけのことはある、この通りも東京銀座や横浜元町とはまったく違った、伝統的で垢抜けた雰囲気がある。

 特に京都らしい古い木造の家が立ち並び舞妓さんが2人歩いている通りがあったので、東大路通りから東へ折れしばらく歩く。道行く人から清水寺まで歩ける距離だ、ということを聞いたのでそのまま南東へ進む。その途中見た、自然の岩石を使った塀の続く、人もあまり通らない小路のすばらしかったこと!

 清水寺近くなると、さすがに人込みがひどくなり、土産物屋の客引きの声も騒がしい。この辺り着物の女性が沢山目につく。やはり京都だ!と感心していたのだが、近寄って話しているのを聞くと…。なんと皆中国語なのだ。すぐに疑問解決。あちこちに「着物レンタル、着付けつきで3500円」という看板が立っていた!すると、さっき見た舞妓さんもそうか?歩き方がなにかぎこちなかった!?

 「清水の舞台から飛び降りるつもりで」というのは、単に思い切ったことをするための言い回しだけではなく、実際にやった人が沢山いたそうだ。この13メートルほどの高さの舞台から飛び降り無事だった人は幸運をつかむ、ということで、江戸時代に飛んだ人の数は234人、生存率は85.4%!茂った樹木がクッションの役目を果たしたのだろう。明治の初めからそれが禁止された

 翌日の観光は案内つきとなった!ブログ友達のMさん(たまたま118日は彼女の誕生日)とお母さんが奈良から出て来て遠来の客のために一日費やして下さったのだ。先ず亀岡駅まで行き「嵯峨野観光鉄道」(通称トロッコ列車)で嵐山まで。旧山陰線を使った路線の途中の景色は、保津川峡谷を通る絶景だ。はるか眼下に保津川下りの船も見える。車内の案内アナウンスは日中両国語でなされていた。

 トロッコを降り、観光客の群れに混じって歩く。この辺り至る所に見られる、明るいグリーンで真っすぐに延びる竹林の見事なこと!これほどの規模の竹林はここだけだろう。その後立ち寄った世界遺産の天龍寺の森も有名な嵐山渡月橋からの景色も、暖かい今年の気候のため、期待していた燃えるような紅葉には少し早すぎ残念だった。

 嵯峨野までタクシーで数分、ここの茶寮「弁治」は伝統建築保存地区にあり、美しい庭を眺めながらの湯豆腐お膳の昼食も絶品だった。そこから嵯峨野散策が始まり、途中化野念仏寺や落柿舎に立ち寄る。これまでガイドブックでしか読んでいなかったこの散策路の落ち着いた雰囲気は、忙しい観光旅行の気分をぐっと癒してくれる。沿道の店も客引きの騒がしい声がなく、並ぶ土産物も趣味の良いものばかりで、ついつい買いたくなってしまう。

 散策の終点嵯峨嵐山駅から京都駅までJRで夕刻までに帰る。すばらしい計画と案内をしてくださったMさん母娘に「ありがとうございました、忘れられない一日となりました」と、心から感謝したい。



2011年11月17日木曜日

日本旅行2011(2)


2. 福島県、裏磐梯

 妹夫妻に日本国内の小旅行を計画して欲しいと依頼したら、福島県の裏磐梯を提案して来た。「福島県」と聞いて初めは躊躇したが、ホテルも通常通り営業しているし観光客もかなり来ているので別条ないだろう、それに今の時期福島という所を自分の目で見てみたいという関心もあったのでそこへ行くことに決めた。

 東京駅から9時前に東北新幹線で郡山まで1時間強、そこからレンタカーで北へ1時間半。昼食時にはもう目的地のホテル、グランデコに着く。ここは有名なスキーリゾートだが、今のシーズンはホテルの裏庭から山上までゴンドラが運行しているので、さっそく活動開始した。ゴンドラの窓から見るカラマツ林は、紅葉の最盛時季は少し過ぎているがまだまだ美しい。冬のシーズンにはスキーヤーはこの山上から、傾斜のあるスロープ(中級から上級か)を滑り降りるのだろう。

 山の上では尾根に沿って散策路がついている。クマザサが至る所に生えていて、「熊に注意」の標識がたっている。我々を追い越して行った若人のグループは皆腰に熊よけの鈴をつけていた。幸い熊には出会わなかったが、ホテルの庭には早朝沢山の野生猿が来て木に昇り木の実を食べているのが見られた。ホテルの露天風呂にも猿は出現するらしく「猿と目を合わせないで下さい。危険です」という張り紙がしてあった。

 翌日はこの地方で最も有名な観光地「五色沼」へ。この辺りに散在する湖沼群は明治20年代の火山の大噴火の結果河川が埋められて誕生したもので、総数200300に達するという。我々は五色沼入り口である毘沙門沼から裏磐梯高原バス停までの全長3.6㌔に及ぶトレッキングコースを歩く。目の前に次々現れる沼の水の色は、緑、青、水色(コバルトブルー)、茶、赤と、太陽の光の具合や、水質の違い、水中に生える植物や藻の種類によって様々に変化するが、その美しさはとても言葉では表すことが出来ない。ご自分で現場へ行くか掲載した写真で見ていただくよりほかないだろう。

 五色沼の散策路は4キロ足らずだが、途中で休んだり写真を撮ったりしたので1時間半以上は費やしただろう。最終点からはタクシーを使って駐車場まで帰ったが、「東日本大震災後観光客の数は激減しました」と寂しげに運転手が話していた。

 それはホテル、グランデコでも同様。震災により、東北新幹線は不通、自動車道も寸断されたので1ヶ月閉館に追い込まれた由。これから始まるスキーシーズンに備え、ロープウエーは115日で営業終了し25日をめどにスキー客受け入れの準備にとりかかる、しかし今年の天候が暖かなので果たしてそれが可能かどうか心配だ、とマネージャーが語っていた。(昨日15日のインターネットには雪が降り始めた、というホテルの嬉しいニュースが載っていた。これでホテル営業も活気を取り戻すことだろう)。

 今年は災害で大変な損失を蒙った福島県の人々をお気の毒と思う。でもどこへ行っても皆さんが健気に働いておられる様子を目の当たりに見てこちらの方が元気づけられたほどだ。郡山駅で買った駅弁にも「がんばってます!福島!!」の文字を発見した。あれから数ヶ月、寒い東北の冬がやって来るので生活はますます厳しくなることだろう。遠く異国の空から一日も早い復興を祈っている。