2012年10月23日火曜日

またまたボタ山へ!


 今秋またまたボタ山行きが実現した。94日写真をつけて「ハニエルボタ山」のブログを書いたのだが、それを見て姪の家族が「ドイツじゃない外国みたいなすごい景色!」と感嘆し、自分たちもぜひ行ってみたい、と申し出たのだ。それで、日本人小中学校の秋休みの最週末の土曜日(1020日)一緒に出かけることにした。この2,3日来TVの天気情報が「黄金の10月」とくり返し報道する、素晴らしい高温・快晴の日が続いていたのだ。

 ここのボタ山については前回詳しく書いたので、ここではもうくり返さない。ただ1ヶ月半後の今の時期は、周囲の山や野の樹々が美しく紅葉し、山道は一面落ち葉の絨毯が敷き詰められており、以前とはかなり違った印象を与えられた。

 若い子供たちは歩くのを全く気にしない。特に中学1年のKは「大人なんかと一緒にノロノロ歩けるか!」とばかり、山道を走り抜けボタ山の頂上まで10分余りで登り切って、我々が着くと「ずいぶん待ったよ!」と不平をこぼしていた。

 色とりどりのトーテムポールの並ぶてっぺんから、すり鉢状の底を眺めると、その壮大さに改めて息をのむ。だらだらと下る脇のスロープに沿って下へおり、その途中ルール工業地帯を眼下に望む土手の草に座り、オニギリの昼食をとる。目の前に紅葉の森を眺めつつ素晴らしいピクニックランチとなった。

 時間はまだ早いので、もう一つボタ山を見に行こう、ということになった。そこから25キロ弱離れたゲルゼンキルヘン市のラインエルベ公園内に「ヒンメルストレッペ」(天国の階段)という名のボタ山があるのだ。

 町の中に駐車し通行人の女性に尋ねると、「あそこです、歩いてすぐですよ」と指差して教えてくれる。丘の上になにやらコンクリートで作られた像が立っているのが見える。これはヘルマン・プリガンという芸術家が作ったもので、名付けて「アズテク」。なるほど、古代メキシコの原住民の像を模した形をしている。高さは10メートルと聞いた。ボタ山自体は85メートルで、グルグルとゆるい螺旋状の広い幅の道がついているので楽に歩いて登られる。でも子供達はまどろっこしいと、草も生えていない急な傾斜を駆け上って行った。像のある頂上までは数十段のコンクリート階段がついている。

 山の上からはこれまた絶景が楽しめる。有名なサッカーチーム「シャルケ」のアレーナ(ゲルゼンキルヘン市)、数個の火力発電所、ガゾメーター(旧ガスタンクを改造した美術館、オーバーハウゼン市)、テトラエーダー(大展望台、ボトロップ市)、エッセン市市庁舎等がパノラマのように眼下に広がる。

 これで私にとって、今秋3回目のボタ山ハイキングとなった。ルール炭田地帯には、かつて栄えたドイツの工業の遺産である炭坑やボタ山、それに関連する旧施設が、まだまだ沢山残っているはずである。これからも機会あるごとにそれらを訪ね、当時の繁栄と栄光の跡や、そこで働いていた多くの炭坑夫(韓国人、日本人炭坑夫もいた)の苦労を偲びたいものである。

2012年10月19日金曜日

カリグラフィーに魅せられて


 「カリグラフィー」というものを始めてそろそろ1年になろうとしている。きっかけは、昨年のクリスマスに姪がプレゼントにくれた、ペン軸とインキ、数本のペン先それに簡単な練習帳からなるセットだった。

 やり始めてみるとなかなか面白い。そこでさらにDVDつきの参考書類やその他の必要道具を買い求め、これだけ集まった。Bandzugfederと呼ばれる(日本語にどう訳すのか?)、いろいろな太さの元ペンの上にインキをためる小さい部分のついた2重ペンが先ず必要だ。(その他、字形や目的によっていろんなペンが市販されている)

 カリグラフィーという言葉は、ギリシャ語のκαλλος(美しい)γραη(書き方)から派生している。要するに「文字のきれいな書き方」を意味する。歴史的にみれば、古代からいろいろなスタイルがあったようだが、それは後日練習するとして、先ずすべての文字の基本になるルネッサンス期に出たというヒューマニスト体から練習を始めた。確かにこの基本形をしっかり練習しておくとそれが土台となり、大きさや角度それにフォント等を替え、いろいろヴァリエーションが書けるようになる。ほとんどの場合ペン先にインクや絵の具を筆かスポイトで少量つけて書くので、すぐなくなってしまう。インキ補充に時間ばかりかかり面倒だ。それでカートリッジ入りの万年筆型のカリグラフィー用ペンも入手したが、あまり太いペンのものが見つからないのがこれまた不満足である。

 数ヶ月後にゴシック文字の段階に達した。これまた興味深い文字形だ。もう何十年も前に、マインツのグーテンベルグ博物館で買って額に入れておいた、聖書「ヨハネ黙示録」の、最初の文字を手の込んだ飾り文字(これも追々練習しなければ!)にした冒頭の一節を「新しい目」で見て実に美しい、と思うようになった。修道士が精魂込めて書いたのだろう。当時紙は貴重品だったので、この字体ではスペースを節約するため縦幅を狭めて書くのが特徴だ。

 次に出てきたのが「カッパープレート」。カリグラフィーをやる人誰もが、これだけは完璧にマスターしたいという美しい文字だが、それだけに大変難しく、おいそれとは上達しない。これを書くために特別なペン軸である「オブリーク(斜めに曲がった)ホルダー」を注文取り寄せた。特に左側に膨らむカーブの部分を、力を入れながら太くするのにストレートの軸では難しいのだ(それが難なくできる名人もいるらしいが!)。細いペンの先に数センチだけ筆でインキをのせ、力を入れたり抜いたりして書くのだが、入りすぎるとドボッとインキが落ちるし、上に行く時線がきれいに細くならない。いつになったらマスターできるのやら?

 横文字の世界に住んでいると、アルファベットはたった26文字なのに、町の看板でも印刷物でもいかに色んな形の文字が使われているか、に気づき驚く。中にはそのまま見過ごすのは惜しいような素晴らしいものがあるので、その場ですぐに書き写す。そのためのペン、鉛筆とノートは身からはなさず携帯するようになった。

 カリグラフィーの練習をやり始めると時間があっという間にすぎる。しかし1時間も続けると楽しさが少しずつ薄れ、ひどい肩こりや目の疲れを感じる。そんな時、中世のある修道士の「文字を書くことは大変な骨折りだ。背中は曲がるし目はかすむ。腹も脇腹もねじられる」という言葉が思い出される。独房に閉じこもって終日文書の筆写ばかりしていた修道士の姿が目に浮かび、その苦労がいかに大きなものであったことか、と今では深く身にしみて理解出来る。 

2012年10月17日水曜日

庭の秋



「秋の夕日に照る山紅葉」

 以前ガーデンセンターで買って来た鉢植えの日本紅葉、しばらくはバルコニーにおいてありましたが、アパートの他の人も楽しめるのでは、と庭の片隅に植え替えました。それがうまく根付いて、数年前から秋になるとこんなに紅葉して目を楽しませてくれます。回りのグリーンとよくマッチして紅が素晴らしいコントラストをかもし出します。


「赤い鳥小鳥、なぜなぜ赤い」
 
 夕日に照らされて何百という赤い実がきれい!上がったばかりの雨のしずくがたまっており、その輝きが何とも言えない美しさです。日本のナンテンとは一寸違う種類のようですが、ドイツの赤い鳥もこんな赤い実を食べて赤くなるのでしょうか?


「大きな栗の木の下で」
 
 栗の木って、本当に大きくなるものなんですね。我が家の庭の木も見上げるほどの高さです。枯れ枝に新緑の葉が出る初春から、夏には房のような花が付き実がなり始め、秋の今になってイガが落ちて来ました。割ってみるとまだまだ実は小さく食べられません。食べ方を知らないドイツ人は全く見向きもしないので、もう数週間待って熟したら、焼き栗にしたり栗ごはんを炊きましょう、と日本人同士で話し合っています。

2012年10月9日火曜日

珍種リンゴ即売会



 果樹の9割までをリンゴの樹が占めているここNRW(ノルトライン・ヴェストファーレン)州は、リンゴの産地として知られている。しかしアレルギー症の私はリンゴが苦手だ。市販のリンゴを食べるとよく喉や気管支が刺激され、苦しくなるのだ。だから果物はよく買う我が家でも、私はリンゴだけは食べるのを避けている。


 そんな時妻がインターネットの情報で、アレルギー持ちでも食べられるリンゴを売る市場が立つことを知り、買いに行ってくれた。場所はデュッセルドルフの南端、隣町モーンハイムとの堺にあるハウス・ビュルゲル果樹園だ。思ったより遠く、週末(金曜日)の夕方通勤者の車が混雑する時間帯で片道45分ほどかかった、と妻がこぼしていた。

 ここはかつてローマ軍の城塞であった所で2000年もの歴史を持つ土地だが、今日では自然保護地域に指定され、環境汚染されていない果樹が栽培されている。 そこで売られているリンゴはどれも、交配されていない古くからある品種のもので、スーパーではお目にかかれない珍種ぞろい、中には絶滅の危機に面している種類のリンゴもいくつかあるという。商業用に大量栽培するものではないので農薬は一切使われず、機械摘みすることはなく果実は1個ずつ人の手でもぎ取っている。売店も写真で見る通り簡単なスタンドで、売り手もどうやらボランティアの人たちのようだった。

 さて、アレルギー症の者が食べてみると、なるほどチャンと食べられる!喉も通るし胸も苦しくならない。しかし味の方は?確かにシャキシャキとして新鮮ではあるが、歯に当たる感じはかなり硬い。「甘味が強い」と記されている品種のものも酸味が多く、我々の舌にはかなり酸っぱい感じがした。

 このような産地即売会はリンゴの収穫時期に数日で終わってしまう。買いにくる人もさして多くないから、大きな売り上げのあるビジネスとはならないだろう。リンゴ自体の大きさや色もまちまちで、見た目にも決して魅力的とは言えない。これからも、汚染されていない珍種を求めて何人かの人が毎年やっては来るだろうが、このような即売会がこれからどれほど続くことやら、どうもおぼつかない。