2014年3月21日金曜日

グラフィティは芸術か?


 我が家を出てすぐ左に曲がると、そこから素晴らしい散策路が始まる。青々とした草原が目の前に広がり、樹齢何十年の大木の並木道が続く。そしてほどなくこんもりした森の公園に着く。遠路日本からのお客さんを案内するにはもってこいの散歩道ではある。しかしその帰路…


 U78電車駅のすぐ前の住宅地に入ると、「まあ、ひどい!汚いわね!」と驚きの声が出た。それは長い白壁に書かれた数多くの落書きのためである。立ち並ぶ豪邸の壁や塀に、ところ構わず落書きをする輩が後を絶たないのだ。それらは電車の窓から通勤者、見本市来訪者たちの目に、いやでも映るのだ。

 これを「落書き」と呼んではいけないらしい。発祥の地と時はアメリカ、ニューヨーク1970年代で、その後全世界に広がった運動だという。前衛芸術家を気取って書いたり描いたりする連中(ライターまたはペインター)は、グラフィティとかエアロゾールアートという特別名称で呼ばれるべき芸術である、と主張しているようだ。しかし、意味不明な文字や抽象画まがいの作品から、私にはまったく芸術的な趣は感じられない。


 元来ライターの間には、個人住宅の壁、商店やガレージのシャッターには描かない、という不文律があったようだが、こんな落書きを見るとそれは全然守られていないことがわかる。この辺りの家の持ち主たちも、初め頃は業者に費用を払って消していたようだが、消しても消しても落書きは後を絶たない。もうそんな「いたちごっこ」に疲れ果てたのか、この頃は放ったらかしになっているようだ。

 デュッセルドルフからデュイスブルグへ行くU79電車の路線の沿線は、ペインターたちの群がる場所だ。彼らのキャンバスとなるべきコンクリートの壁がワンさと用意されているからだ。これらは、危険を避けながら終電から始発までの数時間に、恐らく一人ではない、グループでやった作業だろう。こんな落書きをしても、公共器物損壊という犯罪行為には問われないのだろうか。

 我が家からわずか数キロ四方歩いた340分の散歩道にこれだけのグラフィティがあった。せっかくの春の散策気分が壊されること甚だしい。これを見回り、取り締まる市の役所(警察、公安課?)はないのだろうか。彼らの仕事は人目につかない真夜中だろう。一体彼らがどんな時間にどんな作業をするのか、一度見てみたいという気持ちには駆られるのだが…?

2 件のコメント:

  1. 三千男さん。落書きは世界的な広がりですね。色々な色彩を、ある一面では”美感”と感じているのでしょうか。家の中で自分の紙に描くデザインや模様と違うのは歪んだ自己主張、鬱憤晴らし等が込められていると感ずるからなのでしょうか。いたずらや密かな描写とだけ取り上げることも私達、常識的な倫理観からでしょうね。ですが誰か(神?)に見られているという変な宗教性の背景がないだけ”嫌な臭み”はないのですが。大阪の山さん

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    1. 「歪んだ自己主張」「鬱憤ばらし」。貴君のこの二語がグラフィティの性格をうまく言い表していますね。貴君の住む大阪、千里の地下道に、公に認められた壁画発表の場所があることを、ブログに書いておられましたが、落書きグラフィティ禁止が上手く行かない場合、このような「リーガル(合法的)グラフィティ」が解決の一つかも知れませんね。

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