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2015年11月29日日曜日

トンネルが開通!


 南行きのトンネルが貫通した!新聞にもまた町の掲示板にも「開通は1110日午後4時」と大々的に予告されていた。その日私は町に出ていてImmermannstr.も通ったが、トンネルから自動車が出て来るところは見なかった。私が見落としたのか?それとも開通日が予告より遅れたのか?私は後者だと思う。工事の遅れと工事費の超過はいずこもお決まりのことだから。はっきりした開通日やその他のことはどの新聞もonlineニュースも報じていないのは何故だろう?

 この写真を撮ったのは26日のことだが、自動車が上がって来るのに気づいたのはその数日前だった。ドイツの11月典型の小雨と暗い日々が続いていたので快晴になるまで写真撮影を待っていたのだ。

 ズームの望遠レンズをつけて待つこと数分、車が2車線で続いて上がって来る。そのまま通りに入るかと思いきや、上がり切ったところで停車した。Immermannstr.ではもう一本右側にBerliner Alleeから地上を走って来る車線があり、そちらと交互に信号で待ち合わせるのだ。

 この新トンネルは従来の自動車用高架線「むかで橋」の代わりをなし、それをそっくり地下に移したものであることは何度も書いた。それでトンネルも「むかで」の長い一本の身体の部分を過ぎ、頭の一対の触角にあたるポイントで二股に分かれる。このトンネルの場合西方向がImmermannstr.で、そのまま真っすぐ南方向がBerliner Alleeとなる。

 それで次にBerliner Alleeの方の出口に足を運び、ヨハネス教会の会堂前でカメラを構える。こちらも東のKönigs Alle方向から来る車のための信号があるので、出口を上がり切ったところで信号待ちをすることになる。しかし前者に比べるとやはりこちらが本道なので車の数はずっと多い。

 出口ばかりでは片手落ちなので、「演劇博物館」前のトンネル入り口の方にも行ってみた。開通したとはいえまだまだ工事終了はしていないので1車線だけで入って行く。右端東行きの1車線はすでに2年前に完成したAltstadt行きのものだ。市北部にある空港や見本市会場方面から来る数多くの車が集中するポイントだけあり、トンネル内で南西に分かれる前、ここは長い車列の渋滞となる。2車線となるのは20164月からとのこと、今は1車線時速30kmの速度制限運転だ。








 

   昨夜初めて車で全長870mの新トンネンルを走りImmermannstr.へ入った。中は明るく中々立派な出来であり、総工費13000万€かかった、と報道されている。かなり深く下りる感じがしたから、恐らく北行き道路の下側を通るよう設けられたものだろう。トンネル内の様子はYou Tubeの写真を借りることにする。

 トンネルは一応開通したが地上の工事現場はまだ混乱状態が続いている。自動車がすべて地下にもぐり,Wehrhahn線の路面電車も地下鉄となった暁には(南北線の路面電車だけが残るが)300本の植樹(その内160本はプラタナス)がなされ,市民のための一大緑地・散策地が出現するという。我々市民はその日が来るのを心待ちにしている。

2015年11月26日木曜日

コンサートシーズン幕開け


 しばらくご無沙汰の続いたデュッセルドルフ交響楽団のコンサートに先週末出かけた。新しい指揮者のÁdám Fischer(アダム・フィッシャー)がハイドンとマーラーの棒を振るというプログラムに魅せられたからである。

 この町のオーケストラは400年ほどの長い歴史を持っている。17世紀のいわゆるデュッセルドルフ黄金時代、今でも市民に親しまれているヤン・ベレムが選帝候になってこの町に住んだ頃出来た宮廷楽団がその前身であった。神聖ローマ帝国皇帝を選ぶ7人の選帝候の一人プファルツ候の長男であったヤンはライン河畔の領地を与えられここに住みつき、町の文化(特に美術、音楽)が大いに栄えたという。








 その後ここのオーケストラが脚光を浴びたのはロマン派の作曲家、メンデルスゾーンやシューマンが専任指揮者として活躍した19世紀半ばのことだった。前者が大きな功績を残し(現在のコンサートホールも彼の名前がつけられている)、後者は精神病の悪化も災いし追われるようにその席を明け渡し,後日ボンで死去たことはよく知られている。

 20世紀で特筆されるのは、かつて当団の指揮を勤め(1960-65)、私もその名を知っているフランス人指揮者ジャン・マルティノンであるが、ドビッシーやラベルのフランス音楽のCDで彼の名前を世界的に知らしめたのは、ここの楽団ではなくフランスのオーケストラとの盤であった。その時以来半世紀が過ぎて初めて世界的な力量をもつ指揮者フィッシャーがデュッセルドルフに来る、と新聞の文化・芸術欄が歓喜に満ちた記事を載せた。

 恥ずかしながら告白すると、私はこれまでアダム・フィッシャーの名前も業績も全く知らなかった。それで少し調べてみると、ブダペスト生まれ(1949年)のユダヤ系ハンガリー人でウイーンで勉強、活躍した国々はその両国の他にドイツ、イタリア、フィンランド、デンマーク、アメリカ等々が挙っている。地方新聞ライニッシェポストは「マルティノン時代を引き継ぎ結びつけるフィッシャー時代の到来!」と躍起になって書いているが、それを読むと、その間ここで棒を振った10人ほどの指揮者はどう思うだろうか,と少々気の毒になった。

 さて当日のプログラムは前半ハイドンの交響曲88番。さすがにハンガリー、ウイーンの血の通った軽快な出来だった。私の貧しい解釈では、この曲の魅力はリズムにあると思っている。それも軽快な3楽章のメヌエットや終楽章の速いリズム(バーンシュタインが指揮棒を下し、顔の表情と身体の動きだけでウイーンフィルを指揮した楽章。これはレジェンドとなっている!)だけではない。超遅い2楽章のラルゴのリズムなど指揮者泣かせだろうが、フィッシャーのリードは見事だった。

 今回のコンサートの目玉はグスタフ・マーラーの交響曲7番である。1908年の初演では「訳の分からない曲!」と聴衆に不評だった曲で、「不自然に分断される音楽、グロテスク表現の最高峰、幽霊たちの不吉なリズム、古いもの新しいものの典型の寄せ集めとつぎはぎの主題、意図的に矛盾するものの再構成...」等々この曲に与えられる解説の語はこれだけで終わらない。しかし、よく聴いてみるとその中にマーラーの目指した「個としての人間を全宇宙に結びつける」「喜びに満ちた世界を描く音楽」が確かに感じられる曲だ。コンサート前の準備として自宅で何枚かのDVDとCDを聴くうちにその良さが段々判って来た。

 冒頭の「自然が吼える」のを表すテノールホルンから、第4楽章のギターとマンドリン等を含むエキストラ(「強化選手」)10人以上を加え100人をゆうに越したデュッセルドルフ交響楽団を指揮し、この80分の大交響曲のテーマを見事に描き出したフィシャーの力量は特筆に値する。これは、やはりウイーン、バイロイト、メトロポリタン、ロンドン等のオペラ劇場で培った劇的表現を身につけた指揮者だけに可能な技なのだ、と思わされたコンサートであった。

 マーラーチクルスを同交響楽団で録音する、という宣伝を読んで、「これからアダム・フィシャーを屢々聴けるな!」と喜んだのも束の間、プログラム予告を見ると彼が次に来るのは来年の3月で,それも曲はブラームスの「ドイツ・レクイエム」となっているではないか!やはりこれだけの指揮者となるとそう頻繁にはやって来ないのか?道理で彼のタイトルは「第一指揮者」となっていて、その他の定演は若い第二指揮者が振るようだ。世界中でスケジュールぎっしりのフィッシャーとマーラーの大曲に必要な補充演奏家の招集を考えると大変な超過予算となる、とこの筋のことに詳しい人から聞いた。これが地方都市の悲しい現実なのだろう。

2015年11月22日日曜日

「リンゴの楽園」(つづき)


  今月初めに行った「リンゴの楽園」は閉店間際の夕刻だったので、周辺の様子の写真は撮れなかった。それでまた土曜日の買い出し客で賑わう午前中に出かけてみた。買い物は妻にまかせ私はずっと戸外で写真撮影に専念した。










 ご覧の通り次々に入って来る車で駐車場はすぐに満杯、空くのを待つ人もいた。ここWittlaerと呼ばれる地区はデュイスブルグからもデュッセルドルフからも郊外にあたるので、ほとんどの客は車で乗りつける。自転車置き場もあるが駐輪する人は少ないし、徒歩でやって来る人はほとんどいないと見た。

 この辺りは道路の両脇に民家が少ない田舎道でドライバーはスピードを出しがちだが、くねくねと曲がり見通しがすこぶる悪く、「楽園」の前後数キロは50km/hと速度制限区域となっている。それでもここでパトカーにつかまる車は多い。我が妻もその一人で、いつだったか「楽園」の門前で速度違反の罰金を徴収されたことがあった。

 入り口の左側に広がるリンゴ園には5000本の樹があるが、今の時期ぶら下がっている実は見当たらないところを見ると、収穫はすでに終了しすべて格納庫に入れたようだ。新鮮さを売り物にするこのような店では、最初の頃(1987年開店)は収穫時期だけ、それも即日売れる量だけにとどめ収穫・販売していた。後日リンゴの種類も増え、良い貯蔵施設が出来てからは徐々にその期間が延びた。その後イチゴやアスパラ等の作物も加わった結果、年中休むことなく店を開いている。今の季節特産として出ていたのはRosenkohl(芽キャベツ)Wirsing(チリメンタマナ)。日本のレシピ集の中に前者はあったが、後者は見つからなかった。










 収穫のための箱は平均300kg入り、リンゴは磨かれ陳列されることなく大きな箱のまま店内に持ち込まれる。収穫時は人出が足りず臨時雇用の外国人労働者(ポーランドやトルコからの)が沢山やって来る。そのまま食べるのに適しないリンゴは料理、菓子、動物の餌またジュース用に使われる。店の外にはそのための特別売り場もある。

 果物と加工品を売るメインの建物の直ぐ前にケーキ専門の店があり、ここで週末のお菓子を買う人も列をなす。ドイツのケーキは日本のものに比べればほとんど倍の大きさがあり、それを2−3個はペロリと平らげ「私はどうして太るのかしら?」と不思議そうに話すご婦人連が多い。ここのケーキをすぐに食べられるよう、その横にカフェテントと暖かい季節のための戸外カフェも備わっている。暖かい季節にはここでコーヒーブレークする人も多いだろうが、肌寒くなった今では戸外カフェは椅子が片付けられ、テントの中でも客は数人しかいない。その間待たされる子供たちは滑り台等揃った児童コーナーで遊べるようになっている。

 リンゴの貯蔵期間が延び、他の果物(サクランボ、イチゴ等)や農産物も加わり、それらを使った加工品業者の協力が得られるようになってからは、「リンゴの楽園」も年中開店・営業できるようになった。そのお陰で我々消費者も常に新鮮な果物・野菜の恩恵にあずかっているわけである。

2015年11月13日金曜日

ラストスパート?


 10月末夏時間が終わる数日前,ドイツは厳しい寒さに襲われた。それで「今年の冬の到来は早いか?」、と恐れたが11月になるとそれが一変、気象庁始まって以来の暖秋となり、連日20℃近い日が続いた。

 それでも月半ばになると、町のあちこちに例年のクリスマスマーケットの小屋の建設が始まった。詳しいことは調べていないが、何か毎年マーケット開始の時期が早くなっているような印象を受ける。今年のシーズンも1ヶ月間ほど近隣から来る客も含め町が賑わうことだろう。1年中で最も売り上げの多くなるこの季節に乗り遅れてはなるものかと、各商店もクリスマスの飾り付けに大童になっている。









 
 そんな時期、今年気になるのは町の中心地の混沌さである。人も車も交通がままならぬ混雑がもう何ヶ月も続いているのだ。この数十年間、町の通りでこんなに沢山の遮断・通行禁止のための柵が立てられたのを見たことがない。メイン通りの信号も車用、歩行者用共に役に立たず全面廃止となり、どちらも勝手に走り、歩いている。

 地方新聞のRheinische Postが「新都市中心地のためのラストスパート」という記事を載せたのは7月末だった。それによると,「数ヶ月でヨハネス教会周辺の基盤工事が終結、舗装工事が始まる」ということだったが、今日見た限りまだ地面の掘り返し作業の段階だった!教会前の「マルチン・ルター広場」は10月で完結のはずだが未だ混乱状態だし、インマーマン通りの歩道が造られ車道には新アスファルトが敷かれるはずだったが、ご覧の通り通行人は未だに狭く不便な遮断枠の間を歩かされている。









 
 年末には開通するはずの北−南行きのトンネルは大丈夫なのだろうか。これは20134月に取り払われた自動車用高架線(Tausendfüssler)「ムカデ橋」に取って代わるもので,直線で南下してBerliner Alleへ、そして西へ折れればImmermannstr.へと入る。1030日の上記新聞は1110日を「超モダンなトンネル」の開通日と報道していたが、そこから上がって来る車の姿は今日現在まだ見ていない。

 工事現場を見て回ってもどうも「ラストスパート」という差し迫った緊張感というものが感じられない。第一動員されている労働者の数がチラホラとしか見当たらず、絶対数が少ない、という印象を強く受ける。彼らに完成時のことを訊いても肩をすくめて「俺たちには判らないよ」と言うだけだ。どこかの国の「突貫工事」というものがどんなものか、一度体験させてやりたいものだ。

 しかし中央駅方向に数十m進むと、Oststr.辺りの工事進展状態は順調のようである。工事の進んでいる新Lindner Hotelもすでに数十の窓も出来ホテルの形を現している。Marienstr.を挟んでその横に以前からある小さなWeidenhofホテルは大きな建物から見下ろされ、もう存続の危機にあるのかなと思ったが、事情に詳しい知人によると、客層が違うしこの小さいホテルは日本人びいきで良いオファーを良くしてくれるから絶対に廃れることはないだろう、と言う。それよりも同じスケールの「ホテルニッコー」の方が大きな打撃を受けるかも知れないのだ、と。

 もう一つ付け加えたいことは、以前OCS書店が締めた後しばらく空き家となっていた店舗が、先日内装工事をやっているのを発見。開いていたドアから顔を突っ込み訊いてみると「高木書店がかえってきます!」ということ。以前同じ場所で何十年も書店をされ,その後引退された高木夫妻ではなく、今までMariennstr.の小さい書店でやっておられたお嬢さんのYさんが引き継がれるようで、本当におめでたいことだと喜んでいる。

2015年11月5日木曜日

リンゴの楽園


 秋が深まると新鮮なリンゴが出回ります。しかし大規模なスーパーではやはり流通ルートの関係か、本当に穫りたての瑞々しさの溢れるリンゴは望めません。そうなるとリンゴ園へ行くか、農家直送の店に行くしかありません。そんな店の一つが、デュッセルドルフと隣町のデュイスブルグの境界点にあるApfelparadies(リンゴの楽園)です。

 この店は「この地方から、この地方のために」というモットーをもってシューマッハーという一家が、40人の従業員と共に家族経営している4店の一つです。その仕事は只販売するだけでなく、自家の果樹園で主としてリンゴと西洋ナシの栽培から始め、その他普通のスーパーからはもう見られない珍種のマルメロ、ウオールナッツやドイツでは新しいナシ(東洋産の)まで研究と実験を重ね作っています。栽培法も環境に優しい、強い殺虫剤を使わず、常に良い味と質と,それにいろいろ珍しい種類も試し多様性をもつ品を提供することを目指しています。

 







 
 おいしいリンゴを求め数日前妻共々出かけました。ここで入手出来るのはリンゴ11種類ほどで、そのなかに鮮やかなグリーンの日本種ムツ(陸奥?)も見つけました。ムツは噛んだときの歯触りの良さとジューシーさとすばらしい味は何とも言えず、私の一番好きなリンゴとなりました。

 ちょうどハロウイーンの季節だからか、カボチャが沢山並んでいました。ドイツの家庭ではおかずとしてカボチャは余り食べないのではないでしょうか?レシピーをさがしてもケーキやお菓子などに使うのは見つかりますが。日本風に醤油、砂糖、味醂等を使って煮物にはできませんね。この店でも他の品と比べカボチャはあまり買う人は見られませんでした。ハロウイーンとは言え、ドイツではアメリカやカナダのような(最近は日本も?)狂気的なお祭り騒ぎは見られません。それでカボチャをくり抜いてランターンを作る人もいないし、仮装コンテストもありません。









 
 そんな中赤い皮の種類のカボチャばかり入った箱を見つけました。その名は「ホッカイドー」!もうこれはドイツの主婦なら誰でも知っている名前です。日本原産でこちらに移入され栽培されるようになったものに違いありません。食用カボチャと書いてあるところを見るとその他のカボチャは飾り用なのでしょうか。値段は1kg 1.6€という安いもので、私も買って料理したことがあります。切るのに皮は硬いですが煮るとすぐに柔らかくなる。味も最高においしく煮物は言うまでもなく、これをマッシュして卵黄と薄力粉を混ぜニョッキを作りバター、セージ、生クリームのソースで食べればレストランのものよりおいしいです!









 
 「リンゴの楽園」ではその他自家製のマーマレード、ジュース、ワイン、ペースト、ディップ等々、どれも一度味見してみたいものばかり並んでいます。それらも大量生産の品ではないので、「開けたら,適当な器に移し早いうちに消費して下さい」と注意書き、お願いが書かれています。

 我が家から車でかなりの距離ですが、数十台分の駐車場も備わっていることですから、新鮮な果物、野菜、それに加工品が必要となったらまた出かけて行くつもりです。