2015年11月26日木曜日

コンサートシーズン幕開け


 しばらくご無沙汰の続いたデュッセルドルフ交響楽団のコンサートに先週末出かけた。新しい指揮者のÁdám Fischer(アダム・フィッシャー)がハイドンとマーラーの棒を振るというプログラムに魅せられたからである。

 この町のオーケストラは400年ほどの長い歴史を持っている。17世紀のいわゆるデュッセルドルフ黄金時代、今でも市民に親しまれているヤン・ベレムが選帝候になってこの町に住んだ頃出来た宮廷楽団がその前身であった。神聖ローマ帝国皇帝を選ぶ7人の選帝候の一人プファルツ候の長男であったヤンはライン河畔の領地を与えられここに住みつき、町の文化(特に美術、音楽)が大いに栄えたという。








 その後ここのオーケストラが脚光を浴びたのはロマン派の作曲家、メンデルスゾーンやシューマンが専任指揮者として活躍した19世紀半ばのことだった。前者が大きな功績を残し(現在のコンサートホールも彼の名前がつけられている)、後者は精神病の悪化も災いし追われるようにその席を明け渡し,後日ボンで死去たことはよく知られている。

 20世紀で特筆されるのは、かつて当団の指揮を勤め(1960-65)、私もその名を知っているフランス人指揮者ジャン・マルティノンであるが、ドビッシーやラベルのフランス音楽のCDで彼の名前を世界的に知らしめたのは、ここの楽団ではなくフランスのオーケストラとの盤であった。その時以来半世紀が過ぎて初めて世界的な力量をもつ指揮者フィッシャーがデュッセルドルフに来る、と新聞の文化・芸術欄が歓喜に満ちた記事を載せた。

 恥ずかしながら告白すると、私はこれまでアダム・フィッシャーの名前も業績も全く知らなかった。それで少し調べてみると、ブダペスト生まれ(1949年)のユダヤ系ハンガリー人でウイーンで勉強、活躍した国々はその両国の他にドイツ、イタリア、フィンランド、デンマーク、アメリカ等々が挙っている。地方新聞ライニッシェポストは「マルティノン時代を引き継ぎ結びつけるフィッシャー時代の到来!」と躍起になって書いているが、それを読むと、その間ここで棒を振った10人ほどの指揮者はどう思うだろうか,と少々気の毒になった。

 さて当日のプログラムは前半ハイドンの交響曲88番。さすがにハンガリー、ウイーンの血の通った軽快な出来だった。私の貧しい解釈では、この曲の魅力はリズムにあると思っている。それも軽快な3楽章のメヌエットや終楽章の速いリズム(バーンシュタインが指揮棒を下し、顔の表情と身体の動きだけでウイーンフィルを指揮した楽章。これはレジェンドとなっている!)だけではない。超遅い2楽章のラルゴのリズムなど指揮者泣かせだろうが、フィッシャーのリードは見事だった。

 今回のコンサートの目玉はグスタフ・マーラーの交響曲7番である。1908年の初演では「訳の分からない曲!」と聴衆に不評だった曲で、「不自然に分断される音楽、グロテスク表現の最高峰、幽霊たちの不吉なリズム、古いもの新しいものの典型の寄せ集めとつぎはぎの主題、意図的に矛盾するものの再構成...」等々この曲に与えられる解説の語はこれだけで終わらない。しかし、よく聴いてみるとその中にマーラーの目指した「個としての人間を全宇宙に結びつける」「喜びに満ちた世界を描く音楽」が確かに感じられる曲だ。コンサート前の準備として自宅で何枚かのDVDとCDを聴くうちにその良さが段々判って来た。

 冒頭の「自然が吼える」のを表すテノールホルンから、第4楽章のギターとマンドリン等を含むエキストラ(「強化選手」)10人以上を加え100人をゆうに越したデュッセルドルフ交響楽団を指揮し、この80分の大交響曲のテーマを見事に描き出したフィシャーの力量は特筆に値する。これは、やはりウイーン、バイロイト、メトロポリタン、ロンドン等のオペラ劇場で培った劇的表現を身につけた指揮者だけに可能な技なのだ、と思わされたコンサートであった。

 マーラーチクルスを同交響楽団で録音する、という宣伝を読んで、「これからアダム・フィシャーを屢々聴けるな!」と喜んだのも束の間、プログラム予告を見ると彼が次に来るのは来年の3月で,それも曲はブラームスの「ドイツ・レクイエム」となっているではないか!やはりこれだけの指揮者となるとそう頻繁にはやって来ないのか?道理で彼のタイトルは「第一指揮者」となっていて、その他の定演は若い第二指揮者が振るようだ。世界中でスケジュールぎっしりのフィッシャーとマーラーの大曲に必要な補充演奏家の招集を考えると大変な超過予算となる、とこの筋のことに詳しい人から聞いた。これが地方都市の悲しい現実なのだろう。

2 件のコメント:

  1. 三千男さん。厳しい冬の到来で、室内で楽しめるオーケストラなどの音楽鑑賞等にもいい季節ですね。僕などのような耳ざわりのいい音楽なら何でもいい人種と違う、曲、オーケストラ構成、、楽器、指揮者など深奥を楽しんでいるのですね。僕などは、たまたま弦楽器なら琴・三味線からエレキギターまでを無方針に聞いてます。家ではメンデルスゾーンやマラーは寝ころんでスピーカーから自由に聞く方がいいと言う場合が多い、貴台などには、「けしからん奴」と言われそうな聞き方ですね(笑)。この時期の体調維持をどうぞ大切に。大阪の山さん

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    1. 偉そうなことを書いていますが、コンサートも定期演奏会のシーズンチケットを予約をするでなし、思いついた時に時々出かけるのが精々です。でも行くときは妻の要請で数日間毎晩のように演奏会の楽曲を勉強します。少しでもチケット代の元を取ろうという魂胆からです。今回のコンサートは久々の大規模オーケストラの音(出来具合についてはノーコメント!)を聴かせてもらい満足しました。

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