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2015年7月24日金曜日

キルメス2015


 ここ低地ラインランドの夏の最大イベント「キルメス」が今開催中です。去年の今頃我々家族は孫共々イギリス旅行で留守をしていたので見逃しましたが、今年はバッチリ昨日の夕方から妻と数時間楽しんできました。

 






 キルメスに関してはこのブログで2012年と2013年の同じ719日に書いています。その元の意味Kirchen=Messeは、教会堂の献堂式(落成式)のお祭りに由来すること、デュッセルドルフではランベルトゥス教会と関係があり、守護聖人アポリナリスの記念日723日の前後10日間にわたって催されることなど詳しく記したので、今回は省きます。旧投稿を参照してください。

 数週間前の猛暑は嘘のように去り、暑くも寒くもない20℃内外の最適な気温の中、太陽も明るく照って出かける人の数も大変なものでした。ラインクニー橋とオーバーカッセル橋二つの橋の間の広大なライン河畔の草地に建つ、絶叫マシーンやその他の乗り物と飲食店遊戯店の数は70を越えます。









 


 午後4時近くの会場はやはり小さい子供を含む家族づれと、かなりの数の後期高齢者の姿が目立ちます。あまり過激なスピードは出ない子供用の乗り物も魅力的なものが沢山揃っています。時代の傾向かモダンな機械遊具が多く、以前見られた生きた子馬(ポニー)乗り等はまったく姿を消しました。

 






 おじいちゃん、おばあちゃんは流石乗り物は敬遠し、もっぱら見物し歩き回り、ビールやワインを飲み、ソーセージを食べるだけのようです。我々も夕食にビールとパン、ソーセージ,フレンチフライを注文した時前の数列にこちらに背を向け座ったのはすべてジジババばかり!「ゆっくり座って人の歩くのを眺めているのは年寄りばかりね!」とコメントしてから、我々自身もその範疇に入ることに気づき、お互い苦笑しました。









 それでも何も乗らないで帰るのは業腹なので、大観覧車に乗ることにしました。これは正解で、高い位置から165,000平米の広大な会場を一望のもとに見て、良い写真も撮ることが出来たのは幸いでした。ただ最近の水涸れからラインの河幅がずいぶん狭くなっていることに気づきました。他の地方の河のように運搬船航行禁止は出ていませんが、このまま降雨がないとどうなるか心配なことです。

 






 帰路は路面電車ではなく,対岸のアルトシュタットまでフェリーに乗りました。降りる人の数を数えたらほぼ満員で400人ほどでした。「水位が低いため桟橋からの傾斜が大きく車椅子の方の昇降はできません」という張り紙がしてありました。対岸で列を作って待っている人の数は増えるばかり、それも若者の姿が多くありました。午後8時を過ぎて営業時間はあと5時間ということ!これから絶叫マシーンにも色とりどりのライトがつき益々盛り上がる若者の時間帯になるのです。そして明日金曜日は中日、10時半頃から花火大会が開かれ遊覧船も出ます。週末の人出も一段と多くなることでしょう。

2015年7月19日日曜日

キイチゴの季節


 今月始め頃から続いた40℃を超える猛暑のため、自然界にも異変らしきことが起こっている。その一例としてキイチゴの異常繁殖があげられる。

 ドイツ語ではBrombeereというが、その意味は「刺のある低木に育成するベリー」であり(英語のbramble=刺のある低木、イバラ)、この近辺の至る所に見られる野生の植物である。我々も散歩の時「ああ、今年もキイチゴが大きくなり始めた!」と,夏の到来を感じ、その実が熟すのを楽しみにするのである。

 キイチゴの木は数メートル以上にも延び、先ず薄いピンクの花が咲き、それが散ると小さな薄い緑の実を結ぶ。次の段階では実が少し大きくなり色も赤く変わる。数週間するとそれが黒っぽい濃い紫の熟れた実となり採って食べることが出来る。今の時期、上に書いたような、花−緑の実−赤い実−黒い実の変化がすべて一カ所で見ることが出来るので、カメラにおさめて来た。

 植物に詳しい妻が「こんなに繁殖したキイチゴはこれまで見たことがない!」と驚くように、今年は異常に沢山の実のついている木があちこちに繁っている。元々この植物の繁り方はひどく厄介扱いされ、ドイツ語で「キイチゴの叢林」(Brombeerdickicht)という語があるほどだ。今夏は道路にまではみ出す繁殖ぶりに業を煮やし、かなりの木を取り払った人も出ている。しかし育成が早く、次の年にはまた生えて来るが、その時は木が生えるだけ。2年目からはまた花が咲き、実が生るのである。

 学術語でRubusと名のつく,食べられるノイチゴの類は数え切れないが、キイチゴも散歩の人や子供たちがよく食べている。この植物、バラ科であり採る時は気をつけないと刺がささり痛い思いをする。しかし,最近では品種改良して刺なしのキイチゴもあるらしく、子供の多い私の娘の家の庭にはそれがある。道端に鈴なりに生る季節、遠くから車でやって来て、脚立と鋏を使って大量採集している人を見かけるが、彼らはビジネスのためやっているのだろう。事実キイチゴはスーパー等でも売られている。

 妻の実家には庭に自然の叢林があったが、子供たちが採りやすいようにと父親が園芸植物の店で別の苗木を買って来てその根元に植え、低い柵を作りそれに這わせるようにしたので家族全員で何キロも採集したという。その実を母親が煮て、リンネルの布で濾し、それに特別な砂糖を加えパンにつけるゼリー(粒の入ったジャムではない)にしたり、普通の砂糖を入れキイチゴジュースにした、と妻は懐かしい想い出を語る。

 







 この数週間妻は野生のニワトコジュースや、値の下がったイチゴ、アプリコットのジャムを沢山作った。次はスグリ(ヨハネスベーレ、特に黒い種類)のゼリーを計画している。さて今月末ごろからキイチゴの実は黒く大きくなり、採集時期がやって来るが、それでゼリーを作るかどうか?それは,採集に出かける時間が取れるかどうか、またどれだけの量が採集出来るか、にかかっているそうである。

2015年7月17日金曜日

修道院の建物が消える!


 つい数日前Immermannstr.Oststr.の交叉点に新しいホテルが建設中であることを書いたが、昨日また驚くべきニュースをRheinische Post誌で読んだ。それは、同じ交差点の真向かいにある教会(フランシスコ派の修道院)が近々撤去されるという記事だった。

 それによれば、この地域の開発は2018年まで続き、修道院跡の4000平米の土地に15階建てのビルとそれに付随する170世帯のアパート、事務所、レストラン、専門商店等の建築物が出現する、ということである。

 この修道院はImmermannstr.を訪れる我々日本人には馴染み深い場所である。そこのチャペルでの礼拝に列席したことはないが、正午に鳴り響く鐘の音は懐かしい。裏のドアを出入りする修道服の人、酷寒の時期に一夜の宿を求める人々の列を見かけることも度々あった。

 彼らの仕事で特筆すべきものは、100数十人のホームレスの人のため毎日warmes Essen (暖かい食事、昼食)を長年、無料で提供して来たことである。昨日行ってみたら会堂前の聖フランシスコの銅像はすでに取り払われていたので、建物自体の取り壊しはいつ始まるとも限らない。そして新しいショッピングモール等が完成するのは2018年頃までだという。その間修道院側では、続けて食事を提供出来るよう代わりとなる場所をさがしている。この交差点界隈ですでに2つの場所からオファーがあったが、スペースが十分と言えない、と修道院長の抱える悩みは深い。
          (聖フランシスコ像が撤去された台座と鐘楼)
 それに加え、これまで頼って来たレストラン、ケータリング社、その他の組織から提供される必要な食品(ジャガイモ、野菜、スープの他時折のピザやフリカデレ=小さい肉団子)も、また無料奉仕のボランティア労働力のいずれもが減少の傾向にある。これに対し修道院側で自ら解決策を見つけなければならない状況にある。
         (「なにわ」ラーメン店前から見た修道院の建物)
 フランシスコ修道会は、21年前に創刊されたホームレス新聞“Fifty-Fifty“(売り上げ金を新聞社と売り手のホームレスが折半するのでこの名がある)を常に援助し、修道院長がしばしば投稿していた。このプロジェクトは、ホームレスの人々に働く喜びと人間としての尊厳を取り戻す仕事として、各方面から賞賛された。我々もほぼ毎月、街路かスーパー前で買って読んでいる。
            (Klosterstr.側の塀と修道院の建物)
 ところが最近その関係が良くないのか、新聞側が、巨額の資産を手にしている修道会の動きが気になるというような批判記事を書くようになった。町一番の目抜き通りにある4000平米の土地がどれほどの金額で売却されたのか、新聞記事もそれには触れていないので我々には判らないが、膨大な額になるだろうことは想像に難くない。
    (昨年末から礼拝はアルトシュタットのマックス教会で行われている)
 フランシスコ修道会の規定には,「何ものも所有せず、清貧と謙譲のうちに主に仕え、喜捨を請けることを恥じず、清貧を友とせよ」とある。元来Mendikan(托鉢・乞食修道会)として始まったこの集団が手にした大きな財を、天からの賜物として感謝をもって受け取り、創設の精神に則って今後も他の貧者のために用いるだろう、と信じて止まない。

2015年7月12日日曜日

フランスデーで食べ歩き


 フランスの祝祭日714日はパリ祭と呼ばれる。その日に近い週末ここデュッセルドルフでは毎年「フランスデー」というイベントが3日間(今年は71012日)にわたり行われ、今年で15回目だ。「日本デー」と同じようにアルトシュタットのラインプロムナードで開かれるのだが、雰囲気はかなり違っている。初日の10日6時の開場直後に妻共々出かけた。









 ライン河に沿って何キロかのテントが続くのには変わりないが、そのほとんどが食べ物と飲み物を売るテントだ。ノルマンディーにブレターニュ、アルザスにロアール、コニャックにボルドーにプロバンス等々お馴染みフランス各地方名が記されている。そして遊歩道の真ん中に延々とテーブルが並べられ、人々は買い入れたばかりのフランスの珍味や生牡蠣にワイン、シャンペンを楽しむ。折からの好天と河から吹いて来る気持よいそよ風に、客は一旦腰を下ろしたら中々立ち上がらない。彼らの多くは中年以上の人で、日本デーにあふれるコスプレ姿の若い娘は一人も見られない。
 












 我々もキシュやクスクスの入った料理を買い空席を探したが見つからないので、仕方なくテントの後に回ってライン河の見える石の手すりに腰掛けて夕食を楽しんだ。フランスデーは食べ物だけの催しではなく、歴史、文化、その他の産物も紹介する、とうたっている。ラベンダー香りの石鹸に木彫り細工と陶器類も売る、と情報誌にあったがそんなテントはどこにも見つからない。シャンソンのコンサートのことも書いてあったが、雑踏の騒音の他どこからも音楽は聞こえて来ない。Burgplatzの広場にエッフェル塔の模型を見つけた。アルトシュタットのシンボル、ランベルトゥス教会の斜塔とライン航行博物館の塔と並んで面白いコントラストを醸し出す。その横にプジョーやルノーやシトロエンのフランス車のオールドタイマーが並ぶ。プレートナンバーからすると、この近郊のコレクターが集まって参加したらしい。













 これまでに小さいものを数種類立食したが、すべて妻と半分ずつにしたのでまだ満腹とはいかない。それでクレープで満たそうと、チーズ・ハム入りを食べたがこれがかなりのボリュームだった。小食の妻は締めくくりに僧院の僧侶が醸造することで有名なGrimbergenのビールにする。後は持ち帰りのため、ピレネー地方のチーズと燻製ソーセージを買った。明日の朝食が楽しみだ。









 


 8時を過ぎてもまだ太陽の光はさんさんと降り注ぎ、来訪者の数がずっと増え歩き難くなった。先週の40℃近い猛暑は去り、20℃半ばの最適な気温、そして一年中で最も日中の長い季節のこと、フランスデーは幸運な初日を迎えたようだ。

2015年7月10日金曜日

新しいホテルが!



 連日何千何万台という車が東西南北に行き交い、路面電車がほぼ直角に中央駅方向に曲がって通るImmermannstr.Oststr.の街角にある高いビルが今改装中です。415日のブログ掲載の時にはまだなんの建物になるのか判っていませんでしたが、昨日その正体が明らかになりました!それは10階ほどのLindner Hotelで、開業は2016年夏ということです。完成図をご覧下さい。正面はほぼ形をなしていますが、以前「丸安」総菜店や「どん」レストランのあった後の方はまだ工事中で地面が掘り返されています。ホテルニッコーから精々100mしか離れていない所に新しいホテルが建つ!需要は十分あるのでしょうか。













 かつて日本通りと呼ばれたImmermann通りですが、軒並みあった日本企業の事務所はその後拡大・成長し大きな倉庫や製造所が必要となり多くが郊外に移りました。数行あった都市銀行もすべて移転し、雰囲気が大いに変わりました。昨日カメラをもって歩いて見て、今や日本通りよりアジア通りと行った方がより適切ではないか、という印象を受けました。

 先ず食材店は韓国系で、「松竹」も「大洋」の2店とも私が親しくしていたご主人が他界され寂しい限りですが、息子さんや奥さんが続けてやっておられます。レストランは純日本経営のものは、間もなく新装開店の丸安を含め5店、その他の店は和食やラーメン(新顔は台湾美食坊)を売り物にしていますが経営は日本人ではないようです。









 その中でも連日行列のできる人気店は横文字でOkiniiSushi and Grill(以前の日本館)という看板を掲げた食べ放題レストランです。この店名は誰がどこから考え出したものか?「お気に入り」なのか京都弁の「おおきに」なのか?尋ねてみることも叶わず、そのままになっていますが…。客の中に日本人を見つけることはほとんどありません。町を歩いていると「日本レストランOkiniiはどこですか?」と訊かれることが多くなりました。週末は少し高くなるが、昼食13.9€,夕食25.9€の安さが魅力なのでしょう、いつも満員盛況ぶりが続いています。

 ずっと以前ここへ興味がてら一度入ったことがあります。Japanese all you can eat(和食、食べ放題)となっていますが、私の記憶している限りでは、3コースそれぞれ数品から選んで紙に書いて注文し、食べ終わったら次のコースに進み、3コースで終わるというもの。もう最後のコースでは食べ切れず帰ったことを覚えています。









 
 他のお店は掲載の写真で見て下さい。和食一般、おにぎり、弁当、総菜、ラーメン、等々オファーは豊富です。完成・貫通間近いトンネルの出口のすぐ右側に新装開店する「丸安・どん」は今までの3倍のスペースになると聞いています。昨日覗いてみたら内部はかなりレストランの形になっていました。立地条件は良し、知名度も高い(特に現地ドイツ人に)ので、開店後は大いに繁盛することでしょう。

2015年7月6日月曜日

紙の上に美しい文字を


 ドイツはこのところ,気温30℃台はおろか地方によっては40℃を超える記録的な猛暑となりました。幸い今朝は雨となり久しぶりに気温も下がったので、AltstadtHeinrich-Heine Institutで今日(7月5日)から始まった展覧会「文房具の歴史」に行ってきました。特に副題に「紙の上にきれいな文字を」とあったので、私はこの数週間その課題に集中的に取り組んでいたこともあり、興味を惹かれたのです。

 






 ドイツ語で文房具はSchreibwarenといい、そのまま訳せば「筆記用具」となります。展示会ではやはり筆記用のペン類が多かったのですが、それもそのはずスポンサーとなっていたのが日本でも有名なFaber-Castell社だったのです。

 







 オープニングの会の後、同社デュッセルドルフ支店長さんからいろいろ説明と解説をしていただきました。私も、数十万円もする万年筆こそ持っていませんが、色鉛筆、アートペンシル、水彩色鉛筆等々はすべて同社のものを使っています。東京六本木のミッドタウンに支店があるとか、今度訪日の際には是非立ち寄ってみます、と約束しました。

 さて「紙に美しい文字を書く」というのは、カリグラフィーの主な作業のことです。私はこれを始めてから数年経ちましたが、益々その魅力に取り憑かれ連日美しい文字を目指し書き続けています。現在集中的に力を入れているのがカッパープレート体です。

 この字体は1718世紀イギリスの商人や文筆者の間に広まったもので、丸く流れるような美しい文字が早く書け、読みやすいという特長があります。私がこの字体を初めて目にしてその美しさに驚いたのは、1959年に手にした最初の「日本国旅券」パスポートでした。そこには私の名前が黒インキで見事に書かれていたのです。その当時のパスポートは手書きで名前を入れてくれたのです。その後1964年発行のそれにも手書き氏名がありますが、その後から今日に至るまではもう器械印刷となっています。

 この字体を書くためには特別なポイントペンとペン軸(ホールダー)を使います。ポイントペンは日本では通常Gペンと呼ばれ、上昇方向では細い線がそして下降方向ではペン先が広がるマンガ描き用ペンとして愛用されているようです。これを横文字で用いるときれいな流れるような筆記体となるのです。

 ホールダーは美しい丸みと傾斜をもった文字を容易に書くためoblique holder(斜めに曲がった軸)を使います。私はずっと以前手に入れた安いプラスチック製を使っています。やはり木の軸でネジで調整出来るものが欲しくて探したのですが、デュッセルドルフではこれの入手が難しく、大手の文房具、画材屋で軒並み尋ねても見つからないのです。まあその内インターネットで英国からでも取り寄せましょう。

 











 この数週間今まで買ったいろいろなペン先を使い、文字を書き続けました。忘れかけたラテン語の勉強にもなると思い、聖書のヨハネ福音書ヴルガタ版を筆写しやっと6章まで20ページほど書きました。結果は…?4555度の傾斜は割合揃うようになりましたが、ペン先により文字が太くなったり細くなったり、またインキの濃さ薄さで全体の見た目が変わって統一感に欠けます。ペン先に力を入れたり抜いたりして書いていると、これは日本書道の筆使いに通じるところがあるな、と思いました。

 You Tube英語版で高く推奨されている日本製のペン先ゼブラ、チタンGペンや日光Gペンを試してみたく、今注文して到着を待っているところです。ペン先やペン軸が変われば少しは字もきれいに書けるようになるでしょうか?