2014年6月29日日曜日

日本語はむずかしい?!(2)


 L君が次に合格を目指している日本語能力試験3級では、「日常的な場面で使われる日本語をある程度理解することができる」という合格認定の目安がある。彼が沢山買い入れている「模擬と対策」の参考書にも、かなりの日常的日本語に関する問題が載っている。
全世界で延べ60万人の受験者がある試験だから、採点者側も大変であることはうなずける。それで試験方法はマークシートを使い4択、3択になっているのだが、( )内に数字を入れたり、与えられた語を正しい順序に並べたり、試験を作る方も大変な苦労をしていることがうかがえる。しかし時には、我々日本人にも正解が分からない、ひねくった設問も見られる。

 一例を挙げると。「赤ちゃんが寝ている=A(  )、洗濯をしましょう=B。」という文に、他の選択肢のほかに、どちらかを入れるべく「うちに」と「間に」の二つが残った時はどうするか?「あるつづいた時間」とか「時間的な間」という意味のこの二語は、どちらも入れられるように思えるが、ここでは「間に」が正解となっている。「寝ているうちに」は誤りであると誰が言えるか?別の例では「エアコンは、暑くならない( )買っておいた方が安く買えて良いですよ」という例文では「うちに」が正解となっていて、説明には英語(その他中国語、韓国語もある)で"Do B before situation A changes"(状況Aが変わる前にBをせよ)とある。この場合Bは「エアコンを買うこと」そしてAは「暑くならない(今は涼しい)という状況」だが、「暑くならない間に…」はまったくの誤りか?筋の通った説明を求められる教師側が困惑する例ではある!

 3級では「日常的場面での日本語」の習得ということで、日常会話的表現もしばしば現れる。「彼女がどうしても行きたいっていうことだから、コンサートの切符をプレゼントした」という例文に関してのL君の質問。初めの「って」=「と」の促音便化という説明で解決。次に「なぜ、ことだ、が入るのですか。入れなければならないのですか。いうからで十分なのでは」?「L君、仰せごもっとも。でも日本人はよくこういう慣用表現をするのですよ」で済ませていいのか?あなたならどう説明します?

 最後にもう一つ面白い例を。「英語にせよ、ドイツ語にせよ、外国語は若い時に習う方が良い」という例文で…
L:「せよ」は「する」の命令形ですよね(と鋭いコメント!)すると、もう一つの命令の形「しろ」でもいいですか?「英語にしろ、ドイツ語にしろ…」と? (パーフェクト、お見事!)
L:なぜこんなところに「する」の命令形が突然現れるのですか?
:ここでは「する」となっていることに注意して下さい。「にする」は選択の意味があり、多くのものの中から何かを選び出すという意味がありますね。沢山の料理が並んだメニューを見ながら、「お昼はなににする?私はラーメンにするけど」「じゃ、僕は寿司にするよ」というように。ここの文章では、沢山ある外国語の中から英語やドイツ語を例として選んで話題とする…ということになりますね。(我ながらうまい説明をした、と自負しているが?これで正しいのでしょうか?自信ありませんが)
L:3級では「敬語」も大切なテーマで試験に出ないかと心配しています。「せよ」とか「しろ」という命令の形では敬語を使う時失礼では?「英語に、ドイツ語にして(なさって)ください」、とでもいうのですか?
:(これには思わず吹き出してしまい)こういう慣用句はそのままでいいのです。文末さえ丁寧にして、「若い時に習う方がいいです(よろしゅうございます)」とすれば敬語として十分です。


 我々の授業風景はざっとこんな調子である。さて年に2回の日本語能力試験はいよいよ75日に開かれる。L君の私との最後の授業はその前日の4日土曜日だ。今まで皆勤賞のL君だから、きっと3級もパスするだろうが、当日はあまりひねくった、意地悪な問題が出ないようにと祈るのみだ。

2 件のコメント:

  1. 三千男さん。Lくんの件はご苦労様です。僕のボランティア持論でいくと、こちらはあまり意識して”のめりこまないで、いくらか覚めて客観的に”外から支援をすることにしています。特に、文法偏重や受験至高型にならぬよう気をつけています。一緒に受験意識で入れ込んで、喜怒哀楽を共にすると、勉強するご本人も息が続かないし、こちらも長続きしない経験からです。内心でホントに感ずる楽しさと、レベルに合う適度な学習ステップをつかむ呼吸はなかなか難しいですがね。読聴書話の適正バランスも難しい。いずれにせよ、僕たちは外野に過ぎないので。大阪の山さん

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    1. これまで何十年も日本語を教えた学生(相手)の数は数え切れないですが、やっぱり言語として本当にマスターしてくれたのは、大学の授業で本格的に基礎を勉強した人ですね。中にはその道の専門家になって母国で教えている人も入れば、ビジネスマンとして日本永住し活躍して人もいます。
      日本人と結婚したドイツ人女性も時々大学の授業に参加していましたが、教わる側も教える側も大きな負担となりました。日常家庭でご主人と日本語を話していると、確かに日常会話は上達しますが、それがかえって文法、読解等の障害となる場合が多くありました(例外は勿論ありますが)。英語の場合、何十年も米国に住んでいても簡単な英語の手紙が書けない、所謂二世の人も沢山いました。
      読聴書話の適性バランスは、やはり読み書き文法をしっかり母国でやってから日本へ数年以上留学した学生が一番良くマスターしました。

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