先週に続きまた別のボタ山を見にでかけた。今回の出発点はゲルゼンキルヘン市の旧炭坑ノルトシュテルン(Nordstern)だ。ここにも「巻き上げ塔」が記念碑として残っていた。この辺りは1997年に開催され170日間に160万人の来訪者を集めた
「ドイツ連邦庭園ショー」(Bundesgartenschau)の会場の諸施設をそのまま残し、公園として一般市民に無料で開放している。その年我々もここですばらしい庭園ショーを楽しんだことを思い出した。
かつての炭坑の製品や工具の搬出・搬入は陸路は言うまでもなく、船を使う水路も大きな役目を果たした。そのためこの周辺には沢山の運河が作られ今日でもまだ使用されているものが多い。公園に沿ってライン・ヘルネ運河とエムシャー川が平行して流れている。運河に架かるみごとな赤い二重橋の下を大型のオランダ船籍のタンカーが走っていた。
最近では両市間の行き来を便利にするため運河や川には数多くの新しい橋が架けられており、ゲルゼンキルヘン−エッセン両市間の行き来を易しくしている。ライン・ヘルネ運河の縁には6000人収容できる野外コンサート場もあり、グラフィティを描いたコンクリート壁は美術展の様相を示している。当日は30℃のうだるような暑さで、涼を求めて運河で泳ぐ人と犬が多く見られた。
出発して約1時間、シューレンバッハ・ボタ山(Schurenbachhalde)の麓に到着する。そこから上までは鉄製の階段がついており、数えてみると約270段あった。段差がゆるく楽に登ることが出来たのは幸い。このボタ山の捨て石は、今ではユネスコの文化遺産となっているエッセンの「関税協会炭坑」(Zech Zollverein)から出たもので、1986年に廃坑となってからはもう廃棄物は出ていない。
頂上に植物は生えておらず、まったくの禿げ山だ。ただ「鉄塊」(独=Bramme,英=bloom)と名付けられたアメリカ人リチャード・セラの15メートルの芸術作品がポツンと立つだけだ。ボタ山の高さは精々60メートル弱とのことだが、周囲の森と建物、工場を望むパノラマはやはり素晴らしいものがある。
全行程で7.5キロほど、ボタ山からノルトシュテルン公園へ帰ったら野外のビアホールは満員の盛況だった。19世紀半ばから出来た旧炭坑の記念碑と、新しい施設を沢山備えた公園がみごとにマッチしているノルトシュテルン公園一帯は、ルール地方の住民の良き憩いの場となっている。
日本では廃坑とかボタ山というと何となく暗いイメージしかありませんが、ドイツのそれはまるで違うのですね。
返信削除国が整備したのでしょうか?
日本の炭鉱跡は今どうなっているのか知りたくなりました。
1時間歩いて階段を270段登って・・いい運動になりましたね!
日本の炭坑町の古い写真を見ると、一間だけの木造社宅が狭い路地の両脇に並び、背景には黒いボタ山が…、という光景でした。ドイツでも初めはそうだったのでしょう。それをきれいに整備し芸術作品の彫刻等を置くようになったのは、かなり後からでしょうね。それには莫大な費用も投じたにちがいありません。
返信削除270段を往復で550近く、初め見たときはヤレヤレと思いました。でも本当にゆるやかに作ってあったので、案外楽でした。
日本の廃坑のほとんどは当時の状態に近く保存されて、当時の生活や道具や機械を見せるために展示しているだけで、積極的に再利用しようというドイツとはかなり違っていました。
返信削除ただ一つ見つけたのは、北海道の美唄市の「アルテビアッツア美唄」だけは廃校あとを彫刻公園にし、展覧会やコンサートなどを開いている。まれにこんな跡地もあるようです。
baabaさん、面白いインフォありがとうございました。Arte Piazza(芸術広場)美唄のホームページ興味深く読みました。
返信削除リチャード・セラの作品、キューブリック監督の2001年宇宙の旅を思い出します。
返信削除ご存知かしら?
Miluさん、キューブリックの世界は不思議で同時に素晴らしい!観た後えも言われぬ味が残りますね。この映画DVDで持っていたはず、探してもう一度観ます。
返信削除親類の芸術家(女性の工芸美術家)は、前回のトーテムポールは「全然キッチ(俗趣味)!」と嫌い、セラの「鉄塊」を絶賛しています!
三千男さん。ルール炭田のお話は懐かしいです。第二次大戦以前は、先進ドイツの製鉄技術用燃料として、大戦後もバブル経済の頃、大勢の日本人が出かけたと聞きます。製鉄用燃料としてコークス精製段階で出来る炭田のボタ山は日本にも古い製鉄地帯に残る似た風景でしょうね。製鉄製法が変わってもコークス需要は鉱石溶解上幾らかは必要なのでしょう。ドイツにはもう旧式溶解炉はないの?古いボタ山の崩れや流れだしなどの問題はないのでしょうか。大阪の山さん
返信削除山さん、貴君、流石技術的なことは詳しいですね。旧式溶解炉とは?いわゆる高炉のことですか?私の知る限り、現在では連続鋳造法とかを用いているようです。旧東ドイツ時代(80年代初め)、ホーネッカーが製鉄のためそれを導入したく、フランス、西ドイツ、オーストリアに加え、日本からも見積もりを取るべく、沢山のエンジニアーが招かれました。私も通訳としてそれに1ヶ月参加しました。
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