2012年9月30日日曜日

フォートキナ2012




 2年に一度ケルンで開かれる「フォートキナ」メッセへ行った。過去10年以上ほぼ毎回訪れているが、今度で何回目になるだろう?その最終日23日は日曜日で、ディーラー達の商談も終わり、来訪者も少なくなると聞いたので、これ幸いとこの日を選んで出かけた。

 それでも会場は、首からカメラを下げたアマチュアカメラマンでかなり混乱していた。彼らの持っているカメラのほとんどが大きな一眼レフ方式で、例外なく長く重そうな望遠レンズがついている!中庭で鷹匠が鷹を飛ばしてみせるアトラクションのイベントに一斉にシャッターを切る様子は、圧倒されるほどの雰囲気だった。そんな中でポケットから小さなデジカメを取り出して撮るのは、気恥ずかしい思いをした。

 一方、各社のスタンドでは一眼レフの新製品がほとんど見られない。ミラーレスでレフカメラの機能を備えた、「システムカメラ」がトレンドだ、ということだ。以前はどのスタンドにも、大型カメラが何十台も放列を作っていたのだが、今回やっとCanon社のスタンドでそれを見つけ(一列だけだったが)、ファインダーをのぞきシャッターを押してみた。どの機種も速写モードに設定しているらしく、各秒510コマは撮れる。以前のフィルムカメラなら標準フィルムで36枚撮りだったから、シャッターを数回押せば一本終わってしまい、フィルム交換に大変なことになりそうだ。デジカメ時代の今のカメラマンの仕事もずいぶんと楽になったことだろう。

 すべてを小型化し性能を良くしようとする時代の傾向のためか、この見本市会場も見通しが良くなり、一目でどこに何社があるのかすぐに見つかるのは助かった。以前は各社が城か砦のようなスタンドを作り、大きさを誇っていたことを覚えているが、すべてが小型化し性能の競争となった今日、製品を展示するスペースもスタンドの造りも自ずから変わらざるを得ないのだろう。それに加え欧州全体の景気後退が影響しておりスタンド建設費を節約している、という印象を受けた。以前はレーザービームをふんだんに使い、ガンガン音楽を流しダンサーが踊っていた豪華なステージショーが見られたものだ。

 帰る間際に、Leica社のスタンドでしばらくフィルム用カメラMPの説明を聞くことが出来た。今をときめく日本のカメラメーカー各社がほぼ100年も昔から、なんとかこのようなカメラを作りたいものだと師と仰ぎ、目標としてきたライカだ。しかし21世紀カメラ市場の現状は…?改めて述べる必要はないだろう。この日手に取ってみたカメラはボディだけで5000ユーロ、レンズをつければ更に45000ユーロ増しの値段になるという話だった。すべて手作りであるのでこの値段になる、と。正式には2009年以来フィルムカメラ生産はしていないというライカ社だから、これは特注品なのか?とにかく、同社のカメラはもうコレクター(蒐集家)用のものであり、アジアには良い顧客が多くいる、という話だった。

 さて次の2014年のフォートキナにはどんな製品が並ぶのだろうか、きっと更に進んだ機能を備えたカメラや付随製品がお目見えすることは疑いない。そして会場の雰囲気もまた一段と変わっていることであろう。

2012年9月25日火曜日

波に乗れるか?


 今年516日のブログに、デュッセルドルフ、エスプリ・アレーナで起こった「入れ替え戦騒動」のことを書いた。再試合・無効試合を主張する執拗なベルリンの訴えが退けられ、結局フォルチュナ・デュッセルドルフの1部ブンデスリーガ昇格が決まった。そして8月末から新シーズンが始まりすでに4戦を消化した。同チームは最初のアウエーでアウグスブルグを破り幸先良いスタートを切ったのだが、その後3試合は勝ちがない。それと同時に負けも失点もなく計6点を得ているのでまあまあの出だしだ、といって良いだろう。

 先週末(22日土曜)何ヶ月ぶりかでアレーナへ出かけ対フライブルグ戦を観た。観客数は26000人そこそこで入場も楽、売店やトイレの列も短い。場内全体がガランとした状態だった。理由の一つには、5月の観客乱入騒動以降ドイツサッカー協会の命令による、多くの立ち見席を座席セクションに改築する工事が終わっていないためである。そのためゴール後の何百(何千?)という空席が目立つ。

 試合は両チーム共に活気がなく、あまりきれいなパスワークも見られず、長いボールが左右に行き交うだけの、アマチュアか少年サッカーみたいな盛り上がりのないゲームに終始し00で引き分けた。

 フォルチュナは流れに乗るとなかなか良い所を見せるチームだ。一昨年は最初の67試合負けばかり続きどうなることかと思ったが、その後流れに乗り盛り返し2部に留まった。去年は反対に初めから流れに乗り、シーズン前半は負けなしという好成績で、後半は息切れして危なかったが、なんとか入れ替え戦を勝って15年ぶり1部ブンデスリーガに返り咲いたのだった。どんなスポーツでも「波に乗る」時に、すごい結果が生まれるものだ。今年のブンデスリーガでは、22位で昇格したフランクフルトが4試合負けなし12点の新記録で、常勝バイエルンと並んでトップに立っている。

 最近スマートテレビを買った際にアップルTVもつけたのだが、主目的は映画を借りて観るためで、それはそれで大いに利用しているが、もう一つのおまけは「MLB」アメリカのメジャーリーグの野球がみられるようになったこと(有料だが)。おかげで海外で活躍する日本人選手のプレーが存分に楽しめる。このリーグの戦いぶりで気づいたことは「波に乗った」ときのチームのもの凄さ、という点。一人が打つと我も我もと負けじと続く、そして大量得点の入る回数が増えるのが大きな特徴のようだ。今ヤンキースのイチローが「波に乗っている」。打率が67割と超人的で、乗りに乗っている。いつまで続くかが問題ではあるが…。

 さて我がフォルチュナ・デュッセルドルフもそろそろ「波に乗って」ほしいものだ。今週は25日週の半ばに変則的なスケジュールで試合がある。中3日でプレーする選手も大変だろうが、これが「波に乗る」良い機会となるかどうか、今夜8時からの試合が楽しみだ。
(追記:昨夜の対フュルト戦、アウエーで2−0の勝利!これで勝ち点9となり、4位につけた!そして失点0はリーグ18チームでフォルチュナのみだ。)

2012年9月11日火曜日

再びボタ山へ!


 先週に続きまた別のボタ山を見にでかけた。今回の出発点はゲルゼンキルヘン市の旧炭坑ノルトシュテルン(Nordstern)だ。ここにも「巻き上げ塔」が記念碑として残っていた。この辺りは1997年に開催され170日間に160万人の来訪者を集めた 「ドイツ連邦庭園ショー」(Bundesgartenschau)の会場の諸施設をそのまま残し、公園として一般市民に無料で開放している。その年我々もここですばらしい庭園ショーを楽しんだことを思い出した。

 かつての炭坑の製品や工具の搬出・搬入は陸路は言うまでもなく、船を使う水路も大きな役目を果たした。そのためこの周辺には沢山の運河が作られ今日でもまだ使用されているものが多い。公園に沿ってライン・ヘルネ運河とエムシャー川が平行して流れている。運河に架かるみごとな赤い二重橋の下を大型のオランダ船籍のタンカーが走っていた。

 最近では両市間の行き来を便利にするため運河や川には数多くの新しい橋が架けられており、ゲルゼンキルヘン−エッセン両市間の行き来を易しくしている。ライン・ヘルネ運河の縁には6000人収容できる野外コンサート場もあり、グラフィティを描いたコンクリート壁は美術展の様相を示している。当日は30℃のうだるような暑さで、涼を求めて運河で泳ぐ人と犬が多く見られた。


 出発して約1時間、シューレンバッハ・ボタ山(Schurenbachhalde)の麓に到着する。そこから上までは鉄製の階段がついており、数えてみると約270段あった。段差がゆるく楽に登ることが出来たのは幸い。このボタ山の捨て石は、今ではユネスコの文化遺産となっているエッセンの「関税協会炭坑」(Zech Zollverein)から出たもので、1986年に廃坑となってからはもう廃棄物は出ていない。

 頂上に植物は生えておらず、まったくの禿げ山だ。ただ「鉄塊」(独=Bramme,=bloom)と名付けられたアメリカ人リチャード・セラの15メートルの芸術作品がポツンと立つだけだ。ボタ山の高さは精々60メートル弱とのことだが、周囲の森と建物、工場を望むパノラマはやはり素晴らしいものがある。


 全行程で7.5キロほど、ボタ山からノルトシュテルン公園へ帰ったら野外のビアホールは満員の盛況だった。19世紀半ばから出来た旧炭坑の記念碑と、新しい施設を沢山備えた公園がみごとにマッチしているノルトシュテルン公園一帯は、ルール地方の住民の良き憩いの場となっている。

2012年9月4日火曜日

ボタ山へ!



 ルール地方にはかつて多くの炭坑があり、そこから産出される石炭がドイツの工業を支えていたことはよく知られている。エネルギー革命以後、炭坑はすべて廃坑されているものだ、と私は思っていた。ところがデュッセルドルフから車で30分ほどのボトロップ(Bottrop)という町に、まだハニエル(Haniel)という名前の炭坑が一つ残っており、4500人の炭坑夫が年間300万トンの石炭を掘り出している、と聞いて驚いた。この週末にそこを訪ねたのだが目的は炭坑見学ではなく、炭坑裏にある「ボタ山」(Halde)を見るためだった。ボタ山とはご存知の通り、採掘した石炭に混じっている石(捨石)を長年にわたって積んだものが高い山となったものである。ハニエル炭坑のボタ山は126mの高さがあり、ルール地方で最大、最高のものであり、そこにはいろいろ面白い趣向をこらしたものが作られている、とガイドブックで読んだので、ぜひ見てみたいものだと出かけたのだ。
  (炭坑独特の「巻き揚げ塔」。トーテムポールの立つ目指すボタ山が右端に見える)
 炭坑の正面から車で近づくと前方に高い「巻き揚げやぐら」(Förderturm)が見える。我々は駐車してすぐにボタ山目がけて歩き出した。途中は樹々の生い茂るきれいな森の道で「十字架の道」と名付けられ、15箇所の「留」(Station=足を止め瞑想する場所)が備えられている。ここは受難週の聖金曜日には十字架を担いだ信徒たちが巡礼のように訪れるとこでもある。受難を描いた銅板エッチング画と並んで、炭坑で使われた古い車両や器具も展示されている。


 数キロ歩いてやっと大きな十字架のある所まで達する。ボタ山はその後にあった。木は生えておらず短い草で覆われている。急な傾斜を這い上がっている時大きな亀裂を見つけた。これの大規模なものが起こればボタ山の崩壊となり、世界各国(中国、英国、日本等)で起こっているような、何百という民家を飲み込み人命を奪う災害となるのだろう。

 頂上に達すると、「苦労して登って来て良かった!」と思わず叫ぶ絶景だ。何キロもの直径をもつすり鉢状の底は800席の円形劇場となっており、演劇やコンサートが催される。縁に沿って立つのは、100本のトーテムポールでバスク人アウグスティン・イバロラの作品だ。材料には彩色した鉄道の古い枕木を使い、自然と工業(インダストリー)の調和を表すものだという。汗を乾かす涼しい風に吹かれつつ360度ぐるりとルール地方の町や工場、森や林を見渡す。


 当日は森とボタ山周辺を走破するマウンテンバイクのイベントがあって、近隣の町から何百という自転車愛好家が集まっていた。全長70キロのコースに挑戦する人々だ。

 かつての炭坑と大工業を誇ったルール地方には、不要となった施設が壊されずにそのまま残っており、高炉は展望台、ガスタンクは美術館やスキューバダイビング練習場、工場の壁はクライミング練習場というように、他の目的で使うため一般庶民に安価で、また無料で開放されている。このボタ山もその一つと言って良い。「負の遺産」の再利用というところだろう。それがほとんど各町に備わっているので、これからもガイドブックを頼りにいくつか訪ねてみたいものだ。

2012年9月1日土曜日

藤本壮介の建築展


 6月初めから3ヶ月にわたってBielefeld Kunsthalleで開かれている「藤本壮介、建築展」を見にでかけた。1971年生まれのこの若い建築家のことは、これまであまり知る機会がなかったが、この機にいろいろ見たり、読んだりして勉強することが出来た。




 「(一軒の)家に住むのは(一本の)木の中に住むのに似ている」という言葉が(その意味はもう一つはっきり解らないが)入り口の大きなボードに書いてある。これの説明のためか、美術館の芝生には子供の遊び場にあるような大きな積み木細工に似た、加工していない生木材を使った家が建てられ、週末は一般の来訪者も中に入れる。「サマーハウスとしてリラックスするために座りに来るでしょうが、住むとなると?私にはやっぱり狭くて息が詰まりそうです」と同市の女性建築家が言っていた。
(「都会は森のようなもの、そして道路は森の中に延びる道」。東欧の国の都市計画のために出された藤本の道路のアイディア)
 
 展覧会には“futurospective architecture“とタイトルがつけられているように、建築というものが将来どんな形を取り得るか、ということをテーマにしている。展示中の120ほどの模型で表されている藤本の作品の多くは、実際に建築するのが不可能なものもある。しかし彼の抱くアイディア・コンセプトと、彼の頭の中に描かれる考え(哲学と言って良いか?)には大いに興味をひかれものがあった。

 元々家という建築物は外界から離れて内にこもるための手段であるのだが、彼はその内と外との境界を取り除き、一つに統合しようとする。家のもつ閉鎖性に開放性を加えて、外と内の調和を図ろうと試みる。彼の作品の一つHouse NAはそのアイディアを東京の街角に実現した例として取り上げられている。狭い敷地しかないので居住面積を得る(所謂「狭小住宅」の)ためには上に延びるしかない。そのためラーメン構造を使い周囲には透明の材料(ガラス)を用いた結果、家の中は居間も台所も浴室も外から丸見えの塔のような家となった。動画に撮って紹介するにはこれで良いが、夜間はすべての部屋にカーテンを引かなければ、入浴も就寝もままならないだろう。

 2時間近く見学した後リアリストの妻は「何か『お遊び』の要素が多くて、実際の生活に使えるのかしら?」と、現実に住む時の状況を考えての意見を言っていた。「これだけ急な階段があれば高齢者はどうする?あちこちに置かれた高い腰掛けなど、小さい子供が登ったら落ちて怪我しないか、毎日心配だわ!」

 美術館の館長も言うように「彼のアイディアから出たものには実際の建築が不可能なものがあるが、将来の建築物の方向性を示すものとして多いに参考となる」のだろう。その意味でも、台湾タワー国際設計競技で最優秀賞を得た藤本のアイディア(300mのタワーに細い棒や棹みたいなものを使っている!)が、実際にはどんな建材で実現されるのか(完成は2017年)、大いに興味あるところだ。

 一緒に連れて行った7歳と4歳の孫たちが、また自分の孫をつれてこの辺りに散歩に来る時「ずっと昔おじいちゃん、おばあちゃんと展覧会で見た珍しい模型の家が、今では普通になってどこにでも見られるわね」と言っているかもしれない。