2012年12月26日水曜日

孫達とのクリスマス


 カナダの大学で教えている娘夫婦の一家が17日の朝やってきました。孫のジューンとジョエルに会うのは2011年の5月以来のこと、一年半以上の間に子供がどんなに成長するか!驚くばかりです。特に来月3歳になる下の孫息子ジョエルがこの間によく喋る(ドイツ語と英語をごっちゃまぜにして)ようになったのにはびっくりしました。

 彼らの冬期ドイツ訪問は初めてですが、その主な目的は本場ドイツの「クリスマスマーケット」が見たいから(ジューンの希望)、というものでした。−30℃にもなるカナダのクリスマスシーズンでは、戸外に屋台を出して客を呼ぶことなんかまったく無理なのです。今日(26日)も零下23℃と厳寒です。そんな北国の住人たちは、ドイツの冬が暖かくておかしな感じだ、と言い続けています。

 到着翌日、早速クリスマスマーケットに行きました。昼食にクレープを食べ、子供用ポンチを飲み、レトロなブリキの玩具を買ってもらい、メリーゴーランドや観覧車に乗り、楽しい半日を過ごしました。これでやっと夢が叶い、2人の孫は満足そうでした。
その後数日はここで過ごし、彼らはその後他の親類を訪ねるため出かけて行きました。
 
 我々はクリスマスイブの24日、ビーレフェルトに住む孫を訪ね、先ずその日の午後、3人の孫娘達が羊飼いや天使として登場し教会で行われるページェント(生誕劇)を見ました。そして夜は恒例のプレゼント交換で、食事前のしばらくの時興奮が覚めやらない状態が続きました。

 そして25日の午後にはカナダの一行がビーレフェルトに到着・合流し、またまた新たなプレゼント交換が行われました。これで孫5人が勢揃いしたわけで、カナダとドイツに分かれて住む従兄弟同士もしばらくぶりに会って、嬉しそうでした。カナダの家では母親がいつもドイツ語で子供達に話しかけるので、英独両方を理解し話すことが出来、言語上の問題がまったくないのは幸いなことです。

 一年中で一番華やかで楽しいクリスマスシーズンに、孫全員と一緒に過ごせた幸いを心から感謝しています。

2012年12月7日金曜日

ペン、ペン、ペン…


 カリグラフィーをやり始めてから、「この文字はどんなペンを使えばうまく書けるのだろうか」と、ペンに興味を引かれるようになった。初心者用手引きには、先端が平たくカットされた1.52.5ミリ幅のインク溜まりつきペン(そこへ筆かスポイトでインキを注ぐ=2重ペン)を使うよう書いてあるので、それは何本か手に入れて練習用に使っている。後に始めたCopperplateでは、先の極く細いペン(point pen)とオブリーク(斜め)ホールダーを使い5254度の角度で圧力をかけたり抜いたりしながら、太い線と細い線で変化させて書く。

 夏の休暇でドイツ東部のゴータの町へ行った時見つけたのが下の「ガラスペン」。欧州各国の王族、貴族を輩出した町で見つけたからか、とくにハイソサエティ・貴族的(!)に目に写ったのですぐに買った。値段はスタンドつきセットで35ユーロほどだった。

 後日日本のTV番組で「ガラスペン」は明治30年代初期の日本が発祥の地であることを知って驚いた。ガラスの風鈴を作る職人が考えだし、世界に広まったのだそうだ。ボールペンに押されて今では日常実用に使う人は少ないが、飾り物の贈り物として売られており、数千円から高いものは3万円するという。ペン先をインキにつけると毛細管現象ですぐに上がって来て、良いものだと300文字以上書ける。ペン先の加工によるが、かなりきれいな細い文字を書くことができる。カリグラフィー用にはどうだろう?まだあまり使っていないが、時々装飾用の場所に使えるとは思うけど、その他はあまり使い道がないので、今は部屋の飾りとなっている。

 次は万年筆だ。友人のfacebookで知った「ナミキ・ファルコン」というペンで、元々パイロット社が作り輸出用にこの名前がつけられているものだ。そのデモをYou Tubeで見て、ペン先の柔らかさに驚いた。これだけ柔軟なペンならカリグラフィー用に利用出来そうだと思ったのだ。


 早速日本に手配して入手したが、18kのペンはたしかに柔らかくよくすべり書きやすいものだ。しかし後で知ったのだが、上のデモで使ったものは柔軟性を増すためペン先に特殊加工をした極細タイプである。それを極限まで圧力をかけながら書けば、ああいう文字も書けるだろう。でも絶えずそんな使い方をすれば、傷めることは明白だ。私の場合は、細い線は下から上に軽く滑らせて書き、圧力をかける太い線は最小限で止めれば上のようなグリーティングカードは書ける。しかし、やはりこういうペンは、原稿用紙に大きな文字で書く時に最も適しているものだろう。

 伝統的カリグラフィーの2重ペンやポイントペンでは、書く時インキがすぐなくなる(平均で数文字、1行は無理だ)のが問題だ。その点万年筆型はペンにインキをつける作業から解放される。そんな理由から、ドイツのRotring社やStandardgraphでは、ペン先を平たく切ったカートリッジ使用の万年筆型カリグラフィーペン(アートペン)を出しているが、時と場合によればこれらのペンも便利である。

 その他ペン(書く道具)としては毛筆、マーカーを初め、木、竹、紙、金属を使って自分で作るペンがカリグラフィー手引書に紹介されている。これらは特別な文字を書き特殊効果を出すために使うものであり、いつか後日必要となれば参考に出来るだろうが、現在のところ私は、基本的なペンの使用をマスターすることに専念したいと思う。

2012年11月30日金曜日

冬物のズボン


 今月は、冬の季節に履くためのズボン3着を縫い上げました。これで寒さが訪れても大丈夫です。

 3着目はいつものコールテン生地は止めにして、少々値段は張るがウールの生地で縫ってみました。裁断する前に湯につけなくても良いのは楽です。「生地を洗いたいのなら冷たい水で。洗濯はドライクリーニングに出して下さい」と、デパートの生地部門のおばさんから注意を受けました。

 ズボン縫いの行程は主に4つ。先ず後ポケットから始めますが、今回も片玉縁ポケットにしました。数着続けてこれでやったので、やっと満足に行き、短時間できれいな仕上がりとなりました。行程の2は縫い目を使った脇ポケットの作成です。後も脇もスレキでポケットの袋を作ります。

 次に前開き作り、ファスナー付けです。これもYou Tubeの動画をお手本を参考にしながらスムーズに出来ました。ファスナーの寸法は15センチか18センチ、見返しも持ち出しも、芯を入れるか入れないかでかなり出来上がりの感じが違ってきます。しっかりしたウール生地の場合は芯入りで少し厚くなりすぎるかもしれません。

 それから股下股上を縫った後、ベルトとベルト通しをつけ、裾上げをすれば完成です。今回はウール地のフォーマルなズボンなので、アイロンで筋もつけてみました。

 頭の中ではたった4つの行程を追っていますが、いざやってみるとやっぱり男物ズボンは時間がかかります。その後妻の要望でスカートを縫ったのですが、裏地をつけてもわずか2日で仕上がり、その簡単なのに気が抜けました。それにズボンの場合、使う糸の量も多いのではないか?下糸をなんど補充したことか?大して長い脚でもないのに、やっぱりズボンだからでしょうね。とにかく、これで冬期のズボン対策は完了です。

2012年11月24日土曜日

「負の遺産」を「正」の方向へ(2)


3. 「ノルトドイチュラント」

 空腹を抱え遅い昼食をさがしにメアスの町に入る。その頃には雨脚もかなり激しくなり音を立てて降りだした。住民10万そこそこの小都市の雨の午後は人通りがほとんどなく、入ったレストランも、我々の他に夫婦一組のみという寂しさだった。

 店の主人に道順を尋ね車を飛ばす。郊外へ通じる道路沿いにそのボタ山「北ドイツ」(Norddeutschland)はあった。この地域はドイツ西部であり、ライン下流地方とも呼ばれているので、なぜここのボタ山に「北ドイツ」という名がつけられたのか?上に紹介したガイドブックにも「それは分からない。謎である」と書いてある。

 山の麓に駐車したが頂上は見えない。雨に濡れた急な階段がそこから上に延びている。「ヤレヤレ!」と思ったが登るしかない。息を切らしながらやっと150段ほど登ったがそれでおしまいではない。そこから先さらに続いている!もう階段は断念して、迂回している道の方を歩き出したが、そちらも楽ではなかった。想像以上に道のりがくねくねと長く続き、傘をさして行けども行けども平らな山道で、山の上の方に登る感じがしないのだ。

 30分も歩いてやっと前方に頂上らしきものが見え始めた。そこに立つのはこのボタ山のシンボルでHallenhausと名付けられている建物(15x8x10m)だ。鋼鉄の骨組みだけのように見えるが、決して未完成のものではなく、この地方の農業・工業の建物をイメージして造った芸術作品であるという。山上での結婚式などに使う時とか、その他必要があれば屋根と壁が付けられホールとして使うことが出来る。

 広い面積を持つこのボタ山では、ハードメタル・ポップコンサート、野外映画会、リクレーション等沢山の文化関係の催し物も繰り広げられるが、特にスポーツのイベントが盛んなことで有名だ。サイクリング、パラグライダー、登攀練習、ノルディックウォーキング、そり等々が年中行われている。私が音を上げた例の階段は往復で700段以上あり、プロのサッカーチーム「フォルテュナ・デュッセルドルフ」のトレーニングに定期的に使われているそうだ。

 さて下山の時となってやっと雨も上がった。下りは350段ほどの階段を使ったが、これは昇りに比べずいぶん楽だった。どこの山も麓に駐車出来るとはいえ、やはり1日に3カ所頂上まで往復するのは重労働でかなり身にこたえ脚がパンパンになった。

 「ルール地方に出現した山々は、廃石を処理する必要からできたものである。人々はこれから最善のものを作り出す努力をし、手入れをし飾り付け素晴らしいものに造りかえた。見栄えのしないボタ山、塵芥、ズリから魅力ある『山の世界』を創造したのである。」(序言p.10)汚い、臭い、危ない「負の遺産」を「正の遺産」に変えるために人々の努力はこれからも続くだろう。

2012年11月21日水曜日

「負の遺産」を「正」の方向に(1)


 「すべての山々を越えて」(Über alle Berge)という本を友人から推奨された。これは決してアルプスの高山を踏破するための本ではない。ここでいう「山々」は実は「ボタ山」のことなのだ。この150ページの小冊子は、ここルール地方にある全部で50ほどあるボタ山を紹介するものである。こんなガイドブックがあれば便利だな、と思っていた矢先のこと、早速本屋で注文して取り寄せた。

 そして早速その翌日、車で30分近郊の町Moers(メアス)へ車を走らせ、一日で3カ所のボタ山を征服した。ルール炭田は主にライン河の右岸(河口のオランダに向かって流れる方向の東側が右岸になる)にあったが、後年左岸にも鉱脈が発見され、この本によれば60カ所ほどの炭坑があったそうだ。しかし左岸のボタ山は次の3カ所しか載っていない。なぜそんなに少ないのか、分からない。しかしそれだけに珍しい、貴重なものである、というべきだろう。

.「ライン・プロイセン」
 緩やかな山道をしばらく登って行くと、丘の向こうに赤い塔が見え出す。灯台と見まごう色と形をしているが、これは19世紀に炭坑夫が使っていた歴史的な作業灯(カンテラ)をモデルとしたものである。その高さは下の台から上の把っ手まで合わせて30メートル、夜間には49個の光源(ランプ)と、斜面に並んだ35本のライトが共に点灯され丘全体が赤くライトアップされる。


 山の周囲には沢山の灌木が植わり、芝生の緑も目に鮮やかだ。夏期にはピクニックや散策、冬期には風が吹けば凧揚げの、雪が積もれば恰好のそりの遊び場となる。高さは100メートルほどあり、目の下に「父なるライン」を望み、その先にはデュイスブルグの工業地帯が広がる。

2.「パットベルク」
 わずか数分車を走らせると今日2番目のボタ山に着く。周囲はあまり手入れがされておらず、標識はなく道もはっきりしない。今まで見た中で最も自然的な趣がある山だ。それもそのはず、ボタが廃棄され始めた頃から、総数何千本という木の植え付けがされ、モーゼル出身の坑夫がブドウ栽培までやった。人々が自然に近い山を作ろうと努力した結果出来上がったボタ山だ。頂上に達するまで、暗い森の中の山道を歩く感じで、我々は「道を間違えているのでは?」と何度も心配になった。

 頂上に着くと…。ズリ(ボタ)が斜面から流れ出しているところもあり、これまでのボタ山で見たような、有名芸術家の手になる作品も見られない。ただ質素な木の十字架 (Gipfelkreuz=頂上の十字架)がポツンと立っているだけだ。頂上の風は強く、凧揚げにもってこいだし、またモデル飛行機(ラジコン)を飛ばすためにファンも集まる場所であるという。しかし大規模な凧揚げ大会は2008年以降、施設が整い芝生もきれいな上記の「ライン・プロイセン」に移されてしまった。かつてのソーセージや飲み物の売店が壊れたまま放棄されていたのが無惨だった。その日は手製の凧を上げている子供連れの一家族に出会っただけだった。

 午後になり雲行きが怪しくなり、ぽつりぽつりと雨も落ちだしたが、せっかく来たのでもう一つボタ山を訪れようと野心を起こす。

2012年11月11日日曜日

両玉縁か、片玉縁か?



 両玉縁か、片玉縁か?このタイトルは一体なんのことか?と思われるでしょう。しかし洋裁をやる人ならすぐにわかると思います。これはズボンやジャケットにつけるポケット口の形なのです。

 寒い気候となって来たこの頃、気がつけば履くための冬用ズボンが乏しい。ブルージーンズは3着ほどあるけど、遊び以外の一寸改まった所には履いて行けない。それで自分で縫うことにしました。ズボン縫いの最初は、腰回りのタックを入れて、すぐに後(うしろ)ポケットに取りかかります。簡単なものはポケット布を裁って丸みを整え、ミシンで直接身頃に縫いつけるだけです。

 私の持っているスーツズボンのポケットはほとんど両玉縁になっています。後ばかりでなく前の脇ポケットまで、両玉縁にして縦につけているものもあります。専門家が縫ったもので、どれもきれいな仕上がりで、何を入れても型くずれすることがありません。それで自分も先ず両玉縁で作ってみたのですが…。いろんな厚さの余り生地を使い練習をした結果、一応形としては見られるものが出来たのですが、いざ履いてハンカチや財布を入れると、やっぱり素人仕事の悲しさ、形がダラリと崩れてくるのです!これなら片玉縁の方が良かったのか?

 そんな時偶然You Tubeで「片玉縁ポケットの製作」というのを見つけました。なんと4部に分かれ、全部で50分以上になる長いものです。動画は部分的に冗長なところもありますが、全部メモをとり大いに参考になりました。私ならまち針でとめてサッさと縫ってしまう所も、投稿者(男性です)の方はすべてシツケをされます。それだけでなく、矢ばねも口布も糊付してアイロンで乾かす、ポケット口の落としミシンの糸を裏へ目打ちで引き出して結ぶ、という念の入れように感服しました。くり返し言われた「きれいに仕上げるためには労を惜しまないこと」「テイラーの職人さんのやり方はこうなのです」という言葉は印象的でした。外に現れない、目に見えない所まで細かい作業をする時に、素晴らしい結果が得られるのですね。同じようなポケット作りの英語のYou Tube説明が、実に大雑把であることとの大きな違いに驚きました。

 おかげで今度のズボンの後ポケットは、形良くまたしっかりと出来上がりました。これなら型くずれもしないでしょう。これを応用すれば、妻のジャケットのフラップポケットもしっかりしたものが出来ると思います。

 ポケットだけでなく、ズボン前ファスナー付け等その他の部分縫いのためいろいろな動画がYou Tubeには載っています。文字と図だけの説明が書かれた本やインターネット記事とは違い、行程が動画で一つずつ説明されるので実に明解で役に立ちます。洋裁をなさる方に良い参考になるでしょう。ぜひ一度お試し下さい。

2012年11月3日土曜日

Tiger and Turtle


 「最近ボタ山づいているんですよ。もう3カ所ほど行きました」なんて人に話していると、いろんな人や方面から情報が寄せられて来る。今回のは、妻の知り合いのカメラマンが最近仕事をしたという、隣町デュイスブルグ市のアンガーパークにあるボタ山だ。カーナビに入れるとなんと、我が家から12キロしかない!これならサイクリングがてらでも行けそうな距離だ。111日(木)は「万聖節」の祝日だったので、早速車で出かけることにした。
 
 今まで訪れたいずれのボタ山もハゲ山として放っておかれるものはなく、頂上に芸術作品(古い枕木のトーテムポール、鉄鋼の塊、粗削りの石等、比較的簡素なものだが)が飾られていた。それが今回のはもの凄くスケールの大きいキラキラ光る作品だった。名付けて「虎と亀」(Tiger and Turtle),それに加え「魔法の山」(Magic Mountain)と続く。作者はハイケ・ムッターとウルリッヒ・ゲントの2人の芸術家。なぜそんな名前をつけたのか、なぜ英語を使うのかは不明だ。

 写真でご覧の通り、40m41mの土台に建つその形はジェットコースターそのものだ。ここのボタ山は石炭のボタではなく、亜鉛の廃石で出来た山ということで、それにふさわしく材料は亜鉛と鋼鉄が使われた。かかった費用は何と200万ユーロ(約2億円)というからすごい!そして見せるだけのものでなく、一般の来訪者が自分の足で登れるというおまけ付きだ。勿論入場無料である。

 山自体は道路面から35メートル(平均海面から67メートル)でループの最高点が20メートルある。ほとんどの来訪者は車で来て山の麓に駐車し、あと数百メートルを歩く。子供連れ、バギーの乳幼児も多く見られた。

 我々も早速登ってみたが…。アルミ材の階段は幅1メートル弱で上り下りの人が行き交う時は一寸窮屈だ。私は、丸いループの上にどうやって登るのか、出来たら是非やってみたい、と期待していたが、すぐに駄目だということが判った。本物のジェットコースターなら頭を下に逆さまになって超スピードで走るのだが、ここでは無理。行けるのは高13メートルの所で、その先は行き止まりになっている。

 その日は雨模様で風もかなり強く、突風が来ると足場がユラユラ揺れるのが感じられた。そしてステップから地上が見通せるので、高所恐怖症の向きにはお薦め出来ない。とにかく全体がきゃしゃで柔(やわ)に出来ている感じだ。一時に登れる人数は最高195人までということだったので、許容重量制限でもあるのか、怖いなと思ったが、そうではなさそう。かなり急で狭い階段での混雑を避けるためだということだ。

 ここのボタ山の周囲は草(芝)も生え、植林もしているようで、公園の趣がある。近いうちにカフェー、レストランも出来るという。そうなると、他のボタ山に比べ、いずれは手入れの行き届いた遊園地パークに近いものとなるだろう。荒涼としたボタ山散策をする者としては、あまり俗化してほしくないと思うのだが…。

2012年10月23日火曜日

またまたボタ山へ!


 今秋またまたボタ山行きが実現した。94日写真をつけて「ハニエルボタ山」のブログを書いたのだが、それを見て姪の家族が「ドイツじゃない外国みたいなすごい景色!」と感嘆し、自分たちもぜひ行ってみたい、と申し出たのだ。それで、日本人小中学校の秋休みの最週末の土曜日(1020日)一緒に出かけることにした。この2,3日来TVの天気情報が「黄金の10月」とくり返し報道する、素晴らしい高温・快晴の日が続いていたのだ。

 ここのボタ山については前回詳しく書いたので、ここではもうくり返さない。ただ1ヶ月半後の今の時期は、周囲の山や野の樹々が美しく紅葉し、山道は一面落ち葉の絨毯が敷き詰められており、以前とはかなり違った印象を与えられた。

 若い子供たちは歩くのを全く気にしない。特に中学1年のKは「大人なんかと一緒にノロノロ歩けるか!」とばかり、山道を走り抜けボタ山の頂上まで10分余りで登り切って、我々が着くと「ずいぶん待ったよ!」と不平をこぼしていた。

 色とりどりのトーテムポールの並ぶてっぺんから、すり鉢状の底を眺めると、その壮大さに改めて息をのむ。だらだらと下る脇のスロープに沿って下へおり、その途中ルール工業地帯を眼下に望む土手の草に座り、オニギリの昼食をとる。目の前に紅葉の森を眺めつつ素晴らしいピクニックランチとなった。

 時間はまだ早いので、もう一つボタ山を見に行こう、ということになった。そこから25キロ弱離れたゲルゼンキルヘン市のラインエルベ公園内に「ヒンメルストレッペ」(天国の階段)という名のボタ山があるのだ。

 町の中に駐車し通行人の女性に尋ねると、「あそこです、歩いてすぐですよ」と指差して教えてくれる。丘の上になにやらコンクリートで作られた像が立っているのが見える。これはヘルマン・プリガンという芸術家が作ったもので、名付けて「アズテク」。なるほど、古代メキシコの原住民の像を模した形をしている。高さは10メートルと聞いた。ボタ山自体は85メートルで、グルグルとゆるい螺旋状の広い幅の道がついているので楽に歩いて登られる。でも子供達はまどろっこしいと、草も生えていない急な傾斜を駆け上って行った。像のある頂上までは数十段のコンクリート階段がついている。

 山の上からはこれまた絶景が楽しめる。有名なサッカーチーム「シャルケ」のアレーナ(ゲルゼンキルヘン市)、数個の火力発電所、ガゾメーター(旧ガスタンクを改造した美術館、オーバーハウゼン市)、テトラエーダー(大展望台、ボトロップ市)、エッセン市市庁舎等がパノラマのように眼下に広がる。

 これで私にとって、今秋3回目のボタ山ハイキングとなった。ルール炭田地帯には、かつて栄えたドイツの工業の遺産である炭坑やボタ山、それに関連する旧施設が、まだまだ沢山残っているはずである。これからも機会あるごとにそれらを訪ね、当時の繁栄と栄光の跡や、そこで働いていた多くの炭坑夫(韓国人、日本人炭坑夫もいた)の苦労を偲びたいものである。

2012年10月19日金曜日

カリグラフィーに魅せられて


 「カリグラフィー」というものを始めてそろそろ1年になろうとしている。きっかけは、昨年のクリスマスに姪がプレゼントにくれた、ペン軸とインキ、数本のペン先それに簡単な練習帳からなるセットだった。

 やり始めてみるとなかなか面白い。そこでさらにDVDつきの参考書類やその他の必要道具を買い求め、これだけ集まった。Bandzugfederと呼ばれる(日本語にどう訳すのか?)、いろいろな太さの元ペンの上にインキをためる小さい部分のついた2重ペンが先ず必要だ。(その他、字形や目的によっていろんなペンが市販されている)

 カリグラフィーという言葉は、ギリシャ語のκαλλος(美しい)γραη(書き方)から派生している。要するに「文字のきれいな書き方」を意味する。歴史的にみれば、古代からいろいろなスタイルがあったようだが、それは後日練習するとして、先ずすべての文字の基本になるルネッサンス期に出たというヒューマニスト体から練習を始めた。確かにこの基本形をしっかり練習しておくとそれが土台となり、大きさや角度それにフォント等を替え、いろいろヴァリエーションが書けるようになる。ほとんどの場合ペン先にインクや絵の具を筆かスポイトで少量つけて書くので、すぐなくなってしまう。インキ補充に時間ばかりかかり面倒だ。それでカートリッジ入りの万年筆型のカリグラフィー用ペンも入手したが、あまり太いペンのものが見つからないのがこれまた不満足である。

 数ヶ月後にゴシック文字の段階に達した。これまた興味深い文字形だ。もう何十年も前に、マインツのグーテンベルグ博物館で買って額に入れておいた、聖書「ヨハネ黙示録」の、最初の文字を手の込んだ飾り文字(これも追々練習しなければ!)にした冒頭の一節を「新しい目」で見て実に美しい、と思うようになった。修道士が精魂込めて書いたのだろう。当時紙は貴重品だったので、この字体ではスペースを節約するため縦幅を狭めて書くのが特徴だ。

 次に出てきたのが「カッパープレート」。カリグラフィーをやる人誰もが、これだけは完璧にマスターしたいという美しい文字だが、それだけに大変難しく、おいそれとは上達しない。これを書くために特別なペン軸である「オブリーク(斜めに曲がった)ホルダー」を注文取り寄せた。特に左側に膨らむカーブの部分を、力を入れながら太くするのにストレートの軸では難しいのだ(それが難なくできる名人もいるらしいが!)。細いペンの先に数センチだけ筆でインキをのせ、力を入れたり抜いたりして書くのだが、入りすぎるとドボッとインキが落ちるし、上に行く時線がきれいに細くならない。いつになったらマスターできるのやら?

 横文字の世界に住んでいると、アルファベットはたった26文字なのに、町の看板でも印刷物でもいかに色んな形の文字が使われているか、に気づき驚く。中にはそのまま見過ごすのは惜しいような素晴らしいものがあるので、その場ですぐに書き写す。そのためのペン、鉛筆とノートは身からはなさず携帯するようになった。

 カリグラフィーの練習をやり始めると時間があっという間にすぎる。しかし1時間も続けると楽しさが少しずつ薄れ、ひどい肩こりや目の疲れを感じる。そんな時、中世のある修道士の「文字を書くことは大変な骨折りだ。背中は曲がるし目はかすむ。腹も脇腹もねじられる」という言葉が思い出される。独房に閉じこもって終日文書の筆写ばかりしていた修道士の姿が目に浮かび、その苦労がいかに大きなものであったことか、と今では深く身にしみて理解出来る。