「カリグラフィー」というものを始めてそろそろ1年になろうとしている。きっかけは、昨年のクリスマスに姪がプレゼントにくれた、ペン軸とインキ、数本のペン先それに簡単な練習帳からなるセットだった。
やり始めてみるとなかなか面白い。そこでさらにDVDつきの参考書類やその他の必要道具を買い求め、これだけ集まった。Bandzugfederと呼ばれる(日本語にどう訳すのか?)、いろいろな太さの元ペンの上にインキをためる小さい部分のついた2重ペンが先ず必要だ。(その他、字形や目的によっていろんなペンが市販されている)
カリグラフィーという言葉は、ギリシャ語のκαλλος(美しい)γραη(書き方)から派生している。要するに「文字のきれいな書き方」を意味する。歴史的にみれば、古代からいろいろなスタイルがあったようだが、それは後日練習するとして、先ずすべての文字の基本になるルネッサンス期に出たというヒューマニスト体から練習を始めた。確かにこの基本形をしっかり練習しておくとそれが土台となり、大きさや角度それにフォント等を替え、いろいろヴァリエーションが書けるようになる。ほとんどの場合ペン先にインクや絵の具を筆かスポイトで少量つけて書くので、すぐなくなってしまう。インキ補充に時間ばかりかかり面倒だ。それでカートリッジ入りの万年筆型のカリグラフィー用ペンも入手したが、あまり太いペンのものが見つからないのがこれまた不満足である。
数ヶ月後にゴシック文字の段階に達した。これまた興味深い文字形だ。もう何十年も前に、マインツのグーテンベルグ博物館で買って額に入れておいた、聖書「ヨハネ黙示録」の、最初の文字を手の込んだ飾り文字(これも追々練習しなければ!)にした冒頭の一節を「新しい目」で見て実に美しい、と思うようになった。修道士が精魂込めて書いたのだろう。当時紙は貴重品だったので、この字体ではスペースを節約するため縦幅を狭めて書くのが特徴だ。
次に出てきたのが「カッパープレート」。カリグラフィーをやる人誰もが、これだけは完璧にマスターしたいという美しい文字だが、それだけに大変難しく、おいそれとは上達しない。これを書くために特別なペン軸である「オブリーク(斜めに曲がった)ホルダー」を注文取り寄せた。特に左側に膨らむカーブの部分を、力を入れながら太くするのにストレートの軸では難しいのだ(それが難なくできる名人もいるらしいが!)。細いペンの先に数センチだけ筆でインキをのせ、力を入れたり抜いたりして書くのだが、入りすぎるとドボッとインキが落ちるし、上に行く時線がきれいに細くならない。いつになったらマスターできるのやら?
横文字の世界に住んでいると、アルファベットはたった26文字なのに、町の看板でも印刷物でもいかに色んな形の文字が使われているか、に気づき驚く。中にはそのまま見過ごすのは惜しいような素晴らしいものがあるので、その場ですぐに書き写す。そのためのペン、鉛筆とノートは身からはなさず携帯するようになった。
カリグラフィーの練習をやり始めると時間があっという間にすぎる。しかし1時間も続けると楽しさが少しずつ薄れ、ひどい肩こりや目の疲れを感じる。そんな時、中世のある修道士の「文字を書くことは大変な骨折りだ。背中は曲がるし目はかすむ。腹も脇腹もねじられる」という言葉が思い出される。独房に閉じこもって終日文書の筆写ばかりしていた修道士の姿が目に浮かび、その苦労がいかに大きなものであったことか、と今では深く身にしみて理解出来る。
カリグラフィーの世界も奥深いですね。
返信削除私も美しい字にはとても興味があり一時期挑戦しようと思っていましたが、落ち着ける時間がないため断念。
集中力と根気が必要ですものね。
小学生の時に習字を習っていましたが、正座でのお稽古とても辛かったです。
何事も上達する為には偉大なエネルギーが必要ですね。 @@。
Miluさん
返信削除仰せの通り、カリグラフィーは静かな落ち着いた時間が絶対に必要ですね。少ない時間でせかせか練習しても全然上達しないし、書いたものも汚くなります。それに加え、少しずつでも毎日欠かさず練習することが肝心のようです。
それと、日本の書道をやった人は、カリグラフィーにすごい関心を示されます。やっぱり何か通じるものがあるのでしょうね。