「すべての山々を越えて」(Über alle Berge)という本を友人から推奨された。これは決してアルプスの高山を踏破するための本ではない。ここでいう「山々」は実は「ボタ山」のことなのだ。この150ページの小冊子は、ここルール地方にある全部で50ほどあるボタ山を紹介するものである。こんなガイドブックがあれば便利だな、と思っていた矢先のこと、早速本屋で注文して取り寄せた。
そして早速その翌日、車で30分近郊の町Moers(メアス)へ車を走らせ、一日で3カ所のボタ山を征服した。ルール炭田は主にライン河の右岸(河口のオランダに向かって流れる方向の東側が右岸になる)にあったが、後年左岸にも鉱脈が発見され、この本によれば60カ所ほどの炭坑があったそうだ。しかし左岸のボタ山は次の3カ所しか載っていない。なぜそんなに少ないのか、分からない。しかしそれだけに珍しい、貴重なものである、というべきだろう。
1.「ライン・プロイセン」
緩やかな山道をしばらく登って行くと、丘の向こうに赤い塔が見え出す。灯台と見まごう色と形をしているが、これは19世紀に炭坑夫が使っていた歴史的な作業灯(カンテラ)をモデルとしたものである。その高さは下の台から上の把っ手まで合わせて30メートル、夜間には49個の光源(ランプ)と、斜面に並んだ35本のライトが共に点灯され丘全体が赤くライトアップされる。
山の周囲には沢山の灌木が植わり、芝生の緑も目に鮮やかだ。夏期にはピクニックや散策、冬期には風が吹けば凧揚げの、雪が積もれば恰好のそりの遊び場となる。高さは100メートルほどあり、目の下に「父なるライン」を望み、その先にはデュイスブルグの工業地帯が広がる。
2.「パットベルク」
わずか数分車を走らせると今日2番目のボタ山に着く。周囲はあまり手入れがされておらず、標識はなく道もはっきりしない。今まで見た中で最も自然的な趣がある山だ。それもそのはず、ボタが廃棄され始めた頃から、総数何千本という木の植え付けがされ、モーゼル出身の坑夫がブドウ栽培までやった。人々が自然に近い山を作ろうと努力した結果出来上がったボタ山だ。頂上に達するまで、暗い森の中の山道を歩く感じで、我々は「道を間違えているのでは?」と何度も心配になった。
頂上に着くと…。ズリ(ボタ)が斜面から流れ出しているところもあり、これまでのボタ山で見たような、有名芸術家の手になる作品も見られない。ただ質素な木の十字架 (Gipfelkreuz=頂上の十字架)がポツンと立っているだけだ。頂上の風は強く、凧揚げにもってこいだし、またモデル飛行機(ラジコン)を飛ばすためにファンも集まる場所であるという。しかし大規模な凧揚げ大会は2008年以降、施設が整い芝生もきれいな上記の「ライン・プロイセン」に移されてしまった。かつてのソーセージや飲み物の売店が壊れたまま放棄されていたのが無惨だった。その日は手製の凧を上げている子供連れの一家族に出会っただけだった。
午後になり雲行きが怪しくなり、ぽつりぽつりと雨も落ちだしたが、せっかく来たのでもう一つボタ山を訪れようと野心を起こす。
三千男さん。色々なボタ山を探求され、その上書籍まで読まれての踏破は感心です。若い頃、大学生などでワンダーフォーゲル(ワンゲルと略した)が流行り、友人の多くも第2山岳部(本格的な高山相手でない軽登山)をやっていました。何か、それに近いイメージで見せていただいています。昔の鉄鋼がブームだった頃のライン河が運搬、冷却用水などで絶好の位置にあったのですね。近接する埋蔵炭田も豊富だったのでしょう。大阪の山さん
返信削除ぼた山がルール地方だけでも50もあるんですね。
返信削除イタリアにはぼた山があるとは聞いた事がないので、きっとないと思います。
で、全部廻られるのかしら? ^^
ルール地方は今でもドイツの重要な産業(工業?)を担っているのでしょうか?
返信削除だからぼた山もけっして「負の遺産」ではないのでしょうか?
全山踏破を目指して頑張ってください。
山さん、とにかく近くにあり、また見る目標が出来たので、ただのブラッと散策よりは興味がわきます。でも現地についてみないと、頂上までどれほどの傾斜と距離があるのか判らないので、リスクはあります。まあ、身の程を知って無理しないようにしています。
返信削除Miluさん、イタリアの鉱山とかボタ山のことは全然知りません。この地方のことだって、最近妻に教わってから知り見学を始めただけで、今までその存在も知らず、行ってみよう等と思ったこともありませんでした。何ごとも「きっかけ」というのは必要なんですね。さて寒くもなって来たから、あといくつ登れるでしょうか?
baabaさん、かつてのドイツ産業の華だった石炭と鉄鋼を中心とした工業は、エネルギー改革以降下火です。第一次、二次大戦を支えた重工業も様変わりして、「構造改革」が合い言葉になっていますが、中心が南ドイツに移り、ルール地方は青息吐息の状態です。炭坑と鉄鋼業の跡はやはり「負の遺産」の感ありです。ボタ山、まだ五分の一も征服していない!寒い季節はこの本で勉強して、来春また再開します。