3. 「ノルトドイチュラント」
空腹を抱え遅い昼食をさがしにメアスの町に入る。その頃には雨脚もかなり激しくなり音を立てて降りだした。住民10万そこそこの小都市の雨の午後は人通りがほとんどなく、入ったレストランも、我々の他に夫婦一組のみという寂しさだった。
店の主人に道順を尋ね車を飛ばす。郊外へ通じる道路沿いにそのボタ山「北ドイツ」(Norddeutschland)はあった。この地域はドイツ西部であり、ライン下流地方とも呼ばれているので、なぜここのボタ山に「北ドイツ」という名がつけられたのか?上に紹介したガイドブックにも「それは分からない。謎である」と書いてある。
山の麓に駐車したが頂上は見えない。雨に濡れた急な階段がそこから上に延びている。「ヤレヤレ!」と思ったが登るしかない。息を切らしながらやっと150段ほど登ったがそれでおしまいではない。そこから先さらに続いている!もう階段は断念して、迂回している道の方を歩き出したが、そちらも楽ではなかった。想像以上に道のりがくねくねと長く続き、傘をさして行けども行けども平らな山道で、山の上の方に登る感じがしないのだ。
30分も歩いてやっと前方に頂上らしきものが見え始めた。そこに立つのはこのボタ山のシンボルでHallenhausと名付けられている建物(15x8x10m)だ。鋼鉄の骨組みだけのように見えるが、決して未完成のものではなく、この地方の農業・工業の建物をイメージして造った芸術作品であるという。山上での結婚式などに使う時とか、その他必要があれば屋根と壁が付けられホールとして使うことが出来る。
広い面積を持つこのボタ山では、ハードメタル・ポップコンサート、野外映画会、リクレーション等沢山の文化関係の催し物も繰り広げられるが、特にスポーツのイベントが盛んなことで有名だ。サイクリング、パラグライダー、登攀練習、ノルディックウォーキング、そり等々が年中行われている。私が音を上げた例の階段は往復で700段以上あり、プロのサッカーチーム「フォルテュナ・デュッセルドルフ」のトレーニングに定期的に使われているそうだ。
さて下山の時となってやっと雨も上がった。下りは350段ほどの階段を使ったが、これは昇りに比べずいぶん楽だった。どこの山も麓に駐車出来るとはいえ、やはり1日に3カ所頂上まで往復するのは重労働でかなり身にこたえ脚がパンパンになった。
「ルール地方に出現した山々は、廃石を処理する必要からできたものである。人々はこれから最善のものを作り出す努力をし、手入れをし飾り付け素晴らしいものに造りかえた。見栄えのしないボタ山、塵芥、ズリから魅力ある『山の世界』を創造したのである。」(序言p.10)汚い、臭い、危ない「負の遺産」を「正の遺産」に変えるために人々の努力はこれからも続くだろう。
「負の遺産を正の遺産に転換する努力」のために必要な財源はどこから出ているのでしょうか?国を挙げて取り組んでいるのでしょうか?こんなにも沢山のボタ山が綺麗に整備されているのは驚きです。
返信削除ボタ山めぐりの記事は興味深く楽しみですが、くれぐれも無理をなさらないで頑張ってください。
1950年代の日本のボタ山の写真なんかは、これではいつ崩れて災害になるだろうかという、ひどいものがありますね。近代石炭産業の象徴として、ただお荷物として「おとなしくしていてね」となだめるだけでなく、これを恒久化し維持管理するのには、やはり大変なお金がかかるようです。それも審美的に人々に訴え、また娯楽の場にも転換するには、ことさら大きな財源が必要です。
返信削除ドイツでは、国家規模での援助は少なく、主に地方自治体と個人(ボランティアも)がその支え手のなっている、と聞きます。