2014年4月21日月曜日

復活祭の散策


 Ostersonntag(復活祭の日曜日)は快晴のうちに明けました。その前日思いがけなく、カナダの娘からの花が届きました。嬉しいイースタープレゼントです!
 

 地方新聞RP(ライニッシェポスト)に載っていた「イースターサンデーの散策のために」という記事を見て、今日はZonser Grind(ツォーンスグリント)へ行くことに決めました。Zonsというのはケルンとデュッセルドルフの中間くらいのところにある、ローマ時代からの歴史ある可愛らしい小村です。ここは何度も訪れたことがあるので、今回はその少し手前にある初めての場所Grindだけを見ることにしました。

 Neußの町を出るとすぐにライン河は大きく流れを変え、また元のコースに返ると環状のカーブを作ります。その結果そこは半島のような地勢となります。それがGrindでありすばらしい緑地地帯が続きます。見上げるようなポプラの大木の並木道と黄色の花の咲き乱れる野原の連続です。

 半島の東側、ラインの対岸にバロック様式のベンラート城の森を望む場所に駐車し散策を始めました。気温も徐々に上がり20℃近くに達しました。河からの風が汗ばむ頬に心地良く感じられます。散策路にはかなりのサイクリングとハイキングの人が見られます。祭日にもかかわらず、大きなコンテナ船が忙しく河を上り下りします。

 歩き出してすぐ右手に並んでいたのは何十台かのキャンピングカーでした。ここは市営の公共キャンプ場なのです。面白いと思ったのは、エンジンつきの車と並んでテント造りで、ガラスならぬプラスティック窓のあるテラス部分がついていることでした。この日ほとんどの人は草原に椅子を出し、ライン河を航行する船を見ながらコーヒーブレークをしていましたが、寒い日や雨の日にはテントの中に座るのでしょう。こうして暖かい季節、一日の大部分を過ごすのです。


 キャンピング場には水道管も電気の線も備わっており、TV用パラボラアンテナが沢山見えます。あちこちに「空きがあります。お申し込み下さい」という掲示が見られます。町の中にある家庭菜園を思い出しましたが、ここの違う所は野菜畑、花壇、果樹が全くないことです。だから土に親しみ働いている人の姿はありません。みんなただ椅子に座り飲食、談笑しているだけです。ここは自然保護地区で「火気厳禁」の立て札も立っています。キャンプ場にはグリルの場所も作られていますが、これは違反ではないのでしょうか。選ぶとしたら私は絶対菜園の方を選びます。ただ終日座って河と船を見ているのは退屈極まりないことでしょう。



 散策の後は「フェリーハウス」というレストランで昼食です。ドイツ典型のスープとカリーヴルスト(ソーセージ)とを食べました。イースターディナーとしては少々お粗末でしたが、1時間以上歩いた後の空腹で大変おいしく味わえました。

2014年4月18日金曜日

花咲き鳥歌う季節


 今日(4月18日)はKarfreitag(聖金曜日)、今年の遅い復活祭シーズンが遂にやってきました。イースター日曜日と月曜日(20、21日)まで、サラリーマンにとっては嬉しい四連休となります。


 花咲き鳥の鳴く良い季節です。今一番目につく花は紫色のフリージャーです。ムラサキといっても濃いものから薄いものまで、いろいろ種類のあることが判ります。フリージャーには真っ白なものもあります。今朝隣町Geresheimまでドライブし菜園を歩いて見た花と果樹の色と形の変化に富んでいること、正に花の春爛漫といった感じです。


 帰路田舎道のドライブの途中で見た目にも鮮やかな黄色は、この季節独特の風物詩となっている菜の花畑です。夏小麦のグリーンの畑とすばらしいコントラストを作って、見渡す限りの鮮やかな黄色の絨毯のようです。


 花と競うように小鳥も、我が家の庭の周辺で春の歌を聴かせてくれます。特に午前中の朝食時、窓を通し樹々の枝や叢林から聞こえる可愛い声は、一日の仕事を始める前の大きな励ましとなります。そんな鳥たちのために、と妻が数種類の餌(団子になったもの、容器に入ったミックス餌等)を買って来てバルコニーに吊るしました。その下には、鳥の水浴びのための水盤も置きました。

 そんな用意をしたその日の夕方、早速数羽の小鳥が来て餌をつついているのが見られました。300㎜の望遠レンズでとらえたのはシジュウカラのようです。水盤で水浴びにやって来たのは、驚いたことにカササギでした。これはもう大型の鳥でとてもこの陶器の水盤風呂には入りきれません!残念ながら、こちらはカメラを取りに走っている間に飛び去ってしまい撮ることができませんでした。

 その後気温が一桁に下がり、ドイツのある地方では降雪・積雪がありました。そのためか、小鳥の訪問がぱったりなくなりました。餌を食べたあとがないことはないのですが、そして私たちの目の前を飛ぶ姿は時々見られますが、餌のある所にはトンととまりません。数年前には、毎日のように大変な数の鳥がやって来ては、餌をひっきりなしに食べていました。それはもう少し暖かくなった時期でしたから、また鳥の子供たちが孵化すれば親鳥もひんぱんに訪れるようになるだろう、そしておいしい餌も十分たべてくれるだろう、と楽しみにしています。

2014年4月13日日曜日

ユニクロ、ペルリンへ進出


 ベルリンの中央にあるクーダム(KuDamm)は、日本なら東京の銀座に匹敵する高級専門店の立ち並ぶ通りだ。観光の名所になっているGedächtniskirche(記念教会)からほど近い所に、3階からなる2700平米の新しい店が開かれた(4月11日、金曜日)。その名は日本企業「ユニクロ」で従業員数は約300、ヨーロッパにおける最大規模で旗艦店となる店である。ユニクロを傘下にもつファースト・リテイリング・グループの社長・会長柳井正は、Zap(アメリカ) Zara(スペイン) H&M(スエーデン) Primark(アイルランド)等に追いつき追い越し、やがては世界一の企業にすることを目指している。

 同じ日(4月11日)ドイツの有力新聞フランクフルターアルゲマイネ誌に「己を変えよ、さもなくば死ね」(“Ändere dich – oder stirb“)という見出しの記事が載った。記者のCarsten Germisによれば、これがユニクロ本社の柳井の事務所前の廊下に掲げられている言葉である、という。本当にそんな社是を唱えているのか、と調べてみた所、ユニクロは「服を変え、常識を変え、世界を変えていく」というのを社是としていることが判った。そうするとこの記者は本来の社是を意訳して、「これまでの日本式企業理念を変えなければ、やがて我々は死滅・消滅するだろう」という意味で、命令形を使ったこの穏やかならぬ見出しを書いたのだろうか?

 これまでの日本企業の常識を脱した経営理念でユニクロをここまで発展させた柳井は「寿司下駄にのせたビフテキ」と呼ばれる。記事に詳しく書かれている、この企業の歴史(発端から発展)のことは我々もよく知っているので省略しよう。

 我々自身も昨年末から今年にかけてユニクロ製品のお世話になった。私自身10年以上前日本で一度安いシャツを買ったが、今でも時々着ているのがこれだ。企業の変革と同じように、現在のタグも昔のものとかなり変わっている。去年秋訪日の際偶然見つけたのが、カシミア・フェスティバルをやっていたユニクロ銀座店。我が妻と娘は開店前半時間も通りに並んで待ち、店内に入って1時間以上も買い物を続けた。12月に日本出張をした妻はまた銀座へ、自分はULD(ウルトラ・ライト・ダウン)を私にはヒートテック下着を買ってきた。その後彼女は私のためにULDを英国ユニクロオンラインショップから取り寄せてくれた。そのおかげで私は、この冬(暖冬ではあったが)まったく他の防寒衣料を使わなくてすんだ。


 ベルリンに住む妻の兄からのメールによると、ユニクロ開店でクーダムは大混乱、道路規制もされたということだ。我々も娘夫婦と孫3人を連れ、来週後半ユニクロショッピングを含めベルリン観光を計画しているが、その頃には混乱も一段落していることだろう。従業員の取り扱い、労働条件等の点でブラック企業としてかなり叩かれているユニクロだ。その辺りのことは最近、今野晴貴著「ブラック企業、日本を食いつぶす妖怪」を読み大いに驚かされた。にも拘らずユニクロの勢いは飛ぶ鳥を落とすほどであることは誰も否めない。国内856店舗、国外512店舗までに発展したこの企業は今後どのようにのびていくのだろう。ドイツ内に更に多くの支店を開く計画がある、と聞いている。百万都市のミュンヘン、ハンブルグはもちろん、日本企業の多いデュッセルドルフにも進出して来る日も近いことだろう、と期待している。

追記、上のパラグラフ2で?をつけた箇所をはっきりさせたくて、更に調べました。その結果「柳井正名言集」の中に「変革しろ、さもなくば死だ」というのを見つけました!
Carsten Germis氏(59年ハノーファー生まれ)はFAZ誌の東京特派員ですから、ユニクロ本社で事実この文言が書かれた額(?)を見たことでしょう。ドイツ語(他の西欧語も)ではそのまま訳せないので二人称単数命令形を用い"Ändere dich - oder stirb"「お前自身を変革しろ、さもなくば死んでしまえ」となったわけです。

2014年4月8日火曜日

残り布を使って(続き)


 先日端布から12cm x 12cmの正方形を100枚以上作り、それに縫い代1cmを与え縫い合わせパッチワークをしました。そこから最終的に 1m平米強の布地が出来上がり、それを使って孫用のフードつきコートを縫ったことは、3月16日のブログ「残り布を使って」で書きました。

 出来上がったものを早速孫宛てに小包郵送しましたが、着いたという返事がなかなか来ませんでした。しびれを切らして「コートは着いたの?サイズなどユリアによく合っているの?」とこっちから電話しました。「もうピッタリでよく似合っている。すぐに写真を撮ってメールに添付して送ったわよ、見なかったの?」とママ(私の娘)の返事!なにかの事情でメールが届いていなかったのです。


 さっそく再送付してもらったのがこの写真です。想像していた通り、可愛らしく良く似合っています!38㎝と聞いていた袖丈がちょっと長いかなと思いましたが、子供の動きのためには短かすぎよりベターだ、ということで安心しました。


 生地を準備し、裁断し、縫い終わるまで1週間から10日ほどはかかりましたが、出来上がってみるとそんな苦労も忘れます。これくらいのコートは、日本のインターネットのオンラインショップ等で見ると、生地の質によりますが大体4000−8000円ほどの値段がついています。私の場合出費は40㎝ファスナー1本5€と裏地 10€の計15€のみ、でもかかった労働時間を加算すると買った方がむしろ安くなったでしょうか?

 「大量生産ではない、世界に一着しかない洋服の価値は計り知れないものがあります。お孫さんも喜んでおられ、きっといつまでも大事にするでしょう」なんていろんな人にいわれると、こちらも嬉しくなります。「ユリアも大得意で、幼稚園で先生やお友達に、『これ、オパ(Opa=おじいちゃん)が縫ってくれたの。私一人だけのために』(3人姉妹の末っ子で、洋服はいつもお下がりが多いのです)って言ってるわ」とママから報告されると、また今度もなにか縫ってやろうか、と気持ちが上がって来るオパです。

2014年3月27日木曜日

ハウスコンサート


 昨年10月5日のブログでご紹介した、靴の会社Deichmannの一家は音楽に造詣が深く、一族が集まるとすぐに家庭音楽会が開けるほどです。ダイヒマン老会長さん自身もバイオリンが弾けるし、その他ビオラ、チェロも揃っているので弦楽四重奏はすぐに出来ます。その他にも管楽器や声楽を習っている子供や孫もいるので、よく家庭でコンサートを開いています。

 特に会長さんの次女コルネリアの家族にはタレントが揃い、その長男ヨハネス(会長さんの孫で30代初めの人)が音楽学校でバイオリンを専攻し、遂にプロの演奏家になりました。今弾いているのは、南ドイツの町シュツッツガルトの交響楽団です。今回彼の楽団の同僚を招き、エッセンの自宅でハウスコンサートが開かれました。

 この次女の家ではプロを招いてのハウスコンサートが恒例となっており、定期的に毎シーズン一回は催され、多くの友人・知人が招かれ、我々にも欠かさず招待状が送られてきます。これもダイヒマン家の昔からの慣習であり、会長さんの家にもよくプロの演奏家と友人たちが招かれていました。

 先週末に開かれた、そんなハウスコンサートの様子をご覧に入れましょう。このグループLiliencron Quartettの(リーリエンクロン四重奏団)のプログラムには第1、第2バイオリン、ビオラとチェロによる弦楽合奏3曲がのっていました。

 最初のモーツアルトのKV465ハ長調弦楽四重奏曲(不協和音)は、各パートの楽器が高い方からイ、変ホ、変イ、ロの音で弾き始める導入部があり、いつ聴いても不安な気持ちが起こります!あの時代、初演の時聴衆はどう思ったでしょうね。演奏者がそれぞれ間違った音符を持って来て弾き出した、とでも思ったでしょうか。2曲目はチェロが抜けたドボルザークのトリオ、作品74番でした。バイオリン2つとビオラという組み合わせの三重奏曲は珍しく、めったに聴けるものではありませんが、やはりこの曲にもチェコの民族的曲想が豊かに感じられ大いに楽しめました。

 休憩の後はラベルの弦楽四重奏曲。楽譜を見るとものすごく複雑、ピッチカートは多いし、しょっちゅうミュート(弱音器)をつけたりはずしたりで演奏者も忙しそうでした。この曲の最初の出だしはへ長調で単純なメロディーですが、これが流れ出したとき「ああ、懐かしい!」と思ったことでした。もう半世紀も前のこと(中学生か高校生の頃)、どういうわけか、このラヴェル唯一の弦楽四重奏曲が友人の家にあって何度も聴かされたのです。勿論LPさえなかった時代、78回転のレコードで何度も聴いたのがはっきり思い出されました。


 ここのハウスコンサートのもう一つの魅力は、その後にホスト側が準備した美味しい食事が出ることです。7時から2時間半続く演奏会の後でもう10時近くになっていましたが、美しい音楽の後のご馳走はとくに美味しく感じられました。また次の機会に開かれるハウスコンサートが待ち遠しいことです。

2014年3月25日火曜日

クロッカス花の祭典


 3月21—23日に町の中心にあるSchadowplatzで「クロッカスの花の祭典」が開かれました。主催者はPro Düsseldorfという名の自然保護・振興協会です。開会式にはElbers市長を初めお偉方の面々が出席し、舞台の上では子供たちの演技の発表があり、広場ではクロッカスやチューリップ、その他の春の花々の鉢植えが売られていました。

 この協会は、2008年初頭ライン河畔のクロッカス栽培を計画した団体なのです。2000人以上のボランティアが集まり、500万株のオランダ産クロッカスの球根が植えられました。長さ1.3km、幅30mの地帯は「ライン河畔の青いベルト」(Das Blaue Band am Rhein)と名付けられました。その後球根はさらに150万株も追加され、現在では長さも2.5kmにのびています。


 「青いベルト」という名前ですが、クロッカスをドイツ人は青い花と見ます。我々日本人の目にはクロッカスの色はどう見ても濃い紫に映りますが…?それはともかく、Pro Düsseldorfはクロッカスベルトが真っ盛りの時期に、上の祭典を合わせたかったに違いありません。それが今年の暖冬異変で、もうすでに2月の終わり頃にはクロッカスは満開に達していました(2月24日付けのこのブログを参照して下さい)。しかし何ヶ月も前に日取りを決めなければならない催し物の年間計画のことゆえ致し方なかったようです。そんなわけで今年はちょっと間の抜けた開催となってしまった感ありです。冬の終わりから春先の天気は、年によって数週間ものズレが生じるものです。

 
 でも、「青い」クロッカスが1本でも残って咲いていないかと、念のため自転車で河畔まで走って探してみましたが、やっぱり無駄でした。その代わりグリーンの草原には白や黄のラッパスイセンの真っ盛りでした。この花はドイツ語でOsterglocke、即ち「復活祭の鐘」と言います。今年のイースターはかなり遅く、4月20日となりますが、その頃には今度は復活祭の鐘が全部枯れ果ててしまっていることでしょう。今年のチューリップ開花もそれに従って早くなるかも知れません。

2014年3月21日金曜日

グラフィティは芸術か?


 我が家を出てすぐ左に曲がると、そこから素晴らしい散策路が始まる。青々とした草原が目の前に広がり、樹齢何十年の大木の並木道が続く。そしてほどなくこんもりした森の公園に着く。遠路日本からのお客さんを案内するにはもってこいの散歩道ではある。しかしその帰路…


 U78電車駅のすぐ前の住宅地に入ると、「まあ、ひどい!汚いわね!」と驚きの声が出た。それは長い白壁に書かれた数多くの落書きのためである。立ち並ぶ豪邸の壁や塀に、ところ構わず落書きをする輩が後を絶たないのだ。それらは電車の窓から通勤者、見本市来訪者たちの目に、いやでも映るのだ。

 これを「落書き」と呼んではいけないらしい。発祥の地と時はアメリカ、ニューヨーク1970年代で、その後全世界に広がった運動だという。前衛芸術家を気取って書いたり描いたりする連中(ライターまたはペインター)は、グラフィティとかエアロゾールアートという特別名称で呼ばれるべき芸術である、と主張しているようだ。しかし、意味不明な文字や抽象画まがいの作品から、私にはまったく芸術的な趣は感じられない。


 元来ライターの間には、個人住宅の壁、商店やガレージのシャッターには描かない、という不文律があったようだが、こんな落書きを見るとそれは全然守られていないことがわかる。この辺りの家の持ち主たちも、初め頃は業者に費用を払って消していたようだが、消しても消しても落書きは後を絶たない。もうそんな「いたちごっこ」に疲れ果てたのか、この頃は放ったらかしになっているようだ。

 デュッセルドルフからデュイスブルグへ行くU79電車の路線の沿線は、ペインターたちの群がる場所だ。彼らのキャンバスとなるべきコンクリートの壁がワンさと用意されているからだ。これらは、危険を避けながら終電から始発までの数時間に、恐らく一人ではない、グループでやった作業だろう。こんな落書きをしても、公共器物損壊という犯罪行為には問われないのだろうか。

 我が家からわずか数キロ四方歩いた3−40分の散歩道にこれだけのグラフィティがあった。せっかくの春の散策気分が壊されること甚だしい。これを見回り、取り締まる市の役所(警察、公安課?)はないのだろうか。彼らの仕事は人目につかない真夜中だろう。一体彼らがどんな時間にどんな作業をするのか、一度見てみたいという気持ちには駆られるのだが…?