2015年10月21日水曜日

ウイーン旅行 3


 ウイーン3日目(1012日)になって気温がグッと下がりました。なんと34℃という冬並みの寒さ、それに肌を刺すような寒風も吹いていたのです。ホテルを一歩出てすぐ「これはたまらん!」と震え上がり、部屋に戻り上下ともに長い下着をつけ厚いセーターも着込みました。












 その日の目的地はPrater(プラーター)です。そこは大観覧車で知られる一大遊園地ですが、これまた元は貴族の領地であったものが住民のために払い下げられたのです。この観覧車が世界に知られるようになったのは、1949年に制作された映画「第三の男」によるものです。私も高校生の頃見た覚えがある黒白の映画で、つい数週間前テレビで放映されることを知り録画の用意もしたのですが操作を誤ってとり損なったのは残念でした。

 光と影の効果を上手く使った印象的なその映画の中で主役のオースン・ウエールズとジョゼフ・コットンが会う場面がこの大観覧車の中です。戦後の混乱期で東西を結ぶ位置にあるウイーンは、当時米英仏ソ4カ国の軍隊が分割統治する都市であり、映画のテーマも密輸か何かを取り扱ったものだった、と覚えています。

 それから半世紀以上も経ち観覧車も何度か改築されたはずですが、14人乗りゴンドラは当時と変わらない大きさです。中にはテーブルを置いて食事の出来るものもあります。ゆっくり半時間かけて空から見たウイーンの町の遠景は印象的でした。目の下には遊園地の数々の乗り物が広がっており、そのスケールはライン河畔のキルメスを凌ぐほどです。でもその日の寒さと週末明け月曜の午前とが重なってほとんどが開店休業の様子、客はまばらで盛り上がらず、孫たちは23の乗り物には乗りましたが長居は無用とばかり早々にプラーターを去りました。









 お昼過ぎに着いた第2の目的地はNaschmarkt(ナッシュマルクト)です。ここは18世紀末に農民が主に酪農製品を売る市として始めたもので、2300ヘクタールの敷地に現在123ほどの常設スタンドが並びます。売られている商品の主なものは果物、野菜、パン類、魚、肉等ですが、それらの素材を使った加工製品も目につきました。私が最後にここに来たのは2003年のことですが、マルクトの様子がかなり変わっていることに気づき驚きました。以前はもっと素朴で庶民的な感じのスタンドが並んでいたのですが、今ではほとんどが明るく飾られ陳列ケースもガラス張りのものばかりです。

 変わったのはそれだけではありません。以前にはなかった飲食店が沢山営業しているのです。2000年を境にレストランの開業が続きこれにはいろいろ苦情が出て、市当局も2005年に一時スタンドをレストランにすることを禁じましたが、すぐその翌年再許可を与えたそうです。それだけでなく夏期には真夜中まで営業許可され、普段は午後6時頃で閉まるスタンドの方も夜間営業をしています。私たちもイタリアレストランでパスタの昼食をとりましたが、スペースの制限はあるものの内部は立派なテーブルと椅子を備えた快適なものでした。

 遅い昼食を終えた頃から太陽が顔を出し、気温も少しずつ上がって気持も盛り上がってきました。孫たちは午前中に乗り残したプラーターのことが残念で「もう一度行こうよ!」とせがみましたがそれは別の日にして、となだめ帰りました。

 お昼にレストランを使ったので、夕食にはマルクトで買い入れた大きなパンに各種チーズ、オリーブ、ディップソース、魚介類(タコと香草入りオリーブのマリネー)、野菜、果物、ビール、ワイン、ジュース等々を持ち帰り、ホテルの部屋で7人全員のピクニックとなりました。

2 件のコメント:

  1. 三千男さん。1975年ごろ、はじめて行ったウイーンで大学教授から「野菜の水耕栽培」技術を紹介され、ドナウ河畔で「土地の魚料理」を提供され、田舎育ち、海育ちの私は目を白黒させた覚えがあります。あまり美味しい感じではなかったです。貴台の写真の土地に根付く野菜類や色鮮やかな果物類を(輸入もあるのでしょうが)見て感慨深い感じがします。レストラン料理の味や素材はドイツとだいぶ違いますかね。皆さんの評価は?大阪の山さん

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    1. 小さい子供連れでもあり、あまりレストランは使いませんでした。それよりお持ち帰りの屋台もたくさんあるので,ホテルの広い部屋で裸足でくつろいで食事することが多かったです。そのほうが安いし!それでも土地の名物Wiener Schnitzel(「ウイーン風カツ」)は何度か食べました。
      マルクトの野菜や果物類は実に彩りもよく新鮮でした。それがどこから来るかは聞き逃しましたが。

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