2015年1月29日木曜日

真珠の耳飾りの少女


 この絵を初めて目にしたのはいつのことだったろう?どこかの美術館のショップで売っていた絵はがきサイズのものだった。左肩越しに画家を見つめている、出目ぎみの大きな目が左によっていて黒目にハイライトがついている。 何か話そうとしているのか、下唇が半開きになり、口の両脇にも小さなハイライトの点がある。顔全体に何か神秘的な微笑があり、大きな謎に包まれているような雰囲気がある。

 作者も題名も知らない絵だったが,訴えかけて来る目に私は何か霊感に打たれたような気がした。 神秘的な微笑ならモナリザにもあるが、模写したいという気持はさらさら起こらない。しかしこの絵はなんとしてでも模写したい、という押さえ切れない強い気持に駆られた。後日この絵はオランダ17世紀の画家ヨハネス・フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」であることが分かった。モデルの少女は一体誰だろう。それにこの衣装は?どうして当時のオランダの服装とはるかにかけ離れた、トルコ風の青いターバンとジャケットを身にまとっているのだろう。

 1月半ば「真珠の耳飾りの少女」という映画が上映される、という広告を見たので映画館へ出かけた。実はこの題名の映画を私は以前一度観ていた。それはフェルメールの絵のモデルが誰であったかをテーマにしたトレーシー・シュバリエの小説に基づく、2003年製作のアメリカ映画だった。それによれば、モデルの名はフェルメール家の女中グリートである。絵の制作に光と影の重要なことを指摘し、構図に関して容易ならぬセンスを示すグリートにフェルメールは次第に魅せられ、取り憑かれたように彼女をモデルにして制作を始めアトリエに閉じこもったままになる。嫉妬に狂った妻がそこに入って見たものは、自分の真珠の耳飾りをしたグリートであった…。物語の概要はざっと以上のようなものだが、グリートがモデルであったことは美術史研究家によって受け入れられてはいない。モデルはフェルメールの長女マリア,妻、親族の誰かであったという意見もすべて否定されている。









 とにかく今回見たのはその劇映画ではなく,題名は同じだが、名画そのものとそれを所蔵しているマウリッツハイス美術館に関する記録・紹介映画であった。美術館長を初め10数名の専門家による解説は実に明解適切であり、今まで疑問に思っていた数々の点を明らかにしてくれた。この絵で最も神秘性を秘めているのは目と口である、という解説には100%同調する。私が模写で最も苦労したのは目と口であった。この絵には謎のような神秘な要素があると同時に,セクシーな感じがある、純情さと同時に擦れた(すれた)所もある、という意見はどうだろう?私には同意しかねる所だ。ここにはアピール(訴えかけるもの)はあっても、それは肉感的なセックスアピールとは全く異なるものである、と思うからである。

 モデルの名は分からない、否モデルはおらず画家が想像で自由に描いたものであるかもしれない。描かれている表情に一風変わった所が、時には誇張された所がある、そんな特長を持つ絵は「ポートレート」(肖像画)というよりは「トロニー」(Tronie)と名付けられる範疇に入る、という。これはこの映画から学んだ新しい点であった。この絵が描かれた17世紀は 海洋国として世界各地に進出し、大きな富を得ていた富裕国オランダの黄金時代であった。 そんな時期人々は自分の名声、権力、富を誇示するため競って肖像画を描かせその数は数百万枚に達したという。そんな中でモデル名も不明、制作意図も分からないこの絵は典型的トロニーと分類されるのである。

 この名画を所蔵するマウリッツハイス美術館はオランダのデン・ハーグにあリ、ここから車で精々3時間ほどだ。ホテルは北海海岸の町スへフェニンゲンに取り、6km離れたデン・ハーグまで路面電車で行くのが面白いと聞いた。長年の夢である「真珠の耳飾りの少女」に会うために、2月に入ったらすぐに出かける計画を立てている。すでに昨夜ホテルの予約も取れた。

2015年1月23日金曜日

新しい注文が入った!


 孫のジューンに「2月に来る誕生日プレゼントとして新しいドレスを縫って上げようか?」と訊いたら、自分のドレスも良いけど、着せ替え人形のLottaに今はスカートや女の子風ドレスしかないから、ジーンズのズボンが欲しいというリクエストが返ってきた!おじいちゃんには初めてのチャレンジだ。Lottaの寸法だけを知らせてもらっても、どんな体型なのかわからないのでは、どうにも覚束ない。それで大切なお人形をしばらく貸してもらうことにした。












 
 後日小包に窮屈そうに入れられたLottaが届いた。人形の衣装等縫ったことのない私はYou Tubeで先ず手がかりを探した。あった、あった!「ドール用ズボンの作り方」で検索したら、ウサコ洋裁工房というシリーズの中に見つけた。この動画はBGMだけで言葉の説明はなし、文字の説明も最小限で簡単・明瞭、本当に助かる。

 Lotta55cmの人形で重さもかなりある。先ず失礼して下着になってもらい寸法をはかる。その寸法に合わせて型紙作りを始める。スボンの場合股ぐりを浅くするのが前、後は深くする。残り布の箱の中に、ヒョウ柄に似た模様の生地で適当な厚さのものを見つけたので、これで試験的に一着縫ってみる。動画のおかげで縫い方の順序も良くわかる。これを大きいサイズにすれば大人用にでも子供用にでも、トレパンがすぐに縫えるはずだ。出来上がったのがこれ。人間のようにお尻がないのでズボンがぴったり合わないがまあ良いか。ついでに同じ生地で半パンツも作った。












 これでなんとか行けそうなのでデパートへ出かけ、色違いのジーンズ生地を2種類それぞれ50cmずつ買う。幅は1.4mありかなり残りそうだが、ついでにジャケットも作れば良いし、まだ沢山余れば子供用のパンツが縫えるかもしれない。

 Lottaは顔と首こそプラスティック製だが、腕、脚、身体は布に詰め物をしただけなので、人間の身体のように洋服を合わせるのは難しい。ズボンもなんとか履かせたが落ち着きが良いとは言えない。でも見ておかしくはないから、まあ許されるだろう。一着に腰のゴムバンドを入れたが、これはなくてもずり落ちないようなので後は省略した。

 ズボンにはポケットに銀色のリベットを打ち付けたら本物のジーンズの飾りみたいになったし、ジャケットはちょっと寂しいので、妻の亡母の古い裁縫箱にあった飾りレースを接着剤でつけたら可愛らしくなった。ジャケットはボタンはやめにして、子供の着せ替え遊びに通例のマジックテープをつけた。この方が着せ替えもしやすいだろう。ちょっと大きめのサイズだが、あまりぴっちりになると子供には着せにくいからこの方がベターだろう。


 色違いのジーンズで上下もう一揃いできた。さあこれでLottaは、2着のジャケットと4本のズボンといっしょに送り返すことが出来る。これからLottaの着せ替え遊びがいっそう楽しくなってくれれば、おじいちゃんも嬉しい!Juneの嬉しそうな顔が見えるようだ。

2015年1月21日水曜日

年中無休の店が!


 「もう白く可愛らしいガラントゥス=マツユキソウ(待つ雪草、Schneeglöckchen)が,咲き始めたかもしれない。散歩がてら探しに行って写真を撮りましょう」と妻が提案した。そこでここから車で1520分のRatingen Schwarzbachまで出かけることにした。そこは人里離れた畑と森の地帯で、ゴルフ場もある所。その朝は風が冷たく散歩する人は一組、ゴルフをする人はただ一人しか見かけなかった。昨年6月の大嵐で沢山の木が倒れたためか、森の様子が変わり、切り倒し短く切って積み上げた木材が至る所に見られた。

 しばらく丘を越え畑地を通って歩いたが、待つ雪草の花はほとんど顔を出していない。身体は少しも暖まらないし顔に当たる風も痛いほどの冷たさだったので、早々に引き上げることにした。そして帰路立ち寄ったのがBauerngarten(農民の庭=農園)だった。ここはアウトバーンから近く日曜の朝から営業するため、近隣の人が沢山やって来る。この日も駐車場は空きがないほどの盛況だった。


 今年初め12日に行ったBauernmarktに比べ、ここで売られている野菜や果物の数も少ないし、販売スペースも小さい。それでもせっかく立ち寄ったのだからということで、リンゴや野菜、ワイン、燻製ソーセージ等を買い入れた。

 一方ここで盛況だったのはレストランとカフェーバーだった。日曜の朝ゆっくり起きて来た人々は朝食兼昼食のブランチを閉店の午後1時まで楽しんでいるようで、もう空席はないほどの大入りだった。カフェーバーの方は、日曜午後のお茶のお菓子が沢山並び客を待っていた。


 それにも増してこの園の特長は、建物の前にある3棟のビニールハウスとその横の数百平米はある菜園・花壇である。今の季節ハウスは空であるが、カボチャの季節に何百(何千?)という,様々な形と色のカボチャが並び売られていたのは壮観だった(拙ブログ2011106日を参照ください)。暖かくなったらどんな野菜が育つのだろうか、今から楽しみだ。花壇の方も今咲いている花はなく、クリスマスシーズンの飾りがまだ残っており、鋏を持って自分で花を切り買って行く人はいない。しかしここも花のシーズンになれば、多くの買い物客で賑わうことだろう。


 ドイツに商店営業(閉店)時間法という厳しい決まりがあったのはいつ頃までだったのか。この地方では日曜は当然営業禁止、平日はデパートを初めどの商店も午後6時閉店、土曜は2時までと決まっていた。職を持つ女性たちが買い物の時間を見つけるのに一番苦労していた。現在でも一般的に日曜は閉店が決められているが(大きな見本市の期間や年末だけ「特別買い物日曜日」という例外の日はある)その他の点ではかなり緩和されている。このBauerngartenは例外の特別許可ではあろうが、年中無休で営業をしているというところは珍しい。日曜日までショッピングが出来るとは、買い物の時間に制限のある職業人たちにとって喜ばしい音信であるにちがいない。

2015年1月19日月曜日

音楽を聴き、楽譜を読む楽しさ


 何十年間かの間に買い集めた楽譜が、整理もされず戸棚の中に乱雑に並びかなりの数になっている!そのほとんどは私が学生の頃からやっているフルートの独奏曲のための楽譜である。いわゆるピース譜であるが、この3年ばかり先生についてリコーダーを習っている妻の楽譜もそれに付け加わり、ますます増えている。

 大判でスペースを取るのは合唱曲の楽譜で、以前入っていた合唱団で使ったバッハ、ヘンデル、ハイドン、モーツアルト等のオラトリオ、ミサ、受難曲(パッション)、鎮魂歌(レクイエム)で混声4部ピアノ伴奏(演奏会ではいつもプロオーケストラが伴奏した)がついているので分厚い。

それに加え私の趣味でドイツリート(主にシューベルト、シューマン)の独唱楽譜とピアノ曲もある。私はピアノは弾けないし、歌も歌えないのにCDを聴く時に見るのが楽しいので買い集めたものだ。

 そしてオーケストラの総譜(Score, Partitur)がある。これの読み方は中学2年の時クラシック音楽に詳しい近所の大学生のお兄さんから、「上から木管、金管楽器が並びその下が打楽器。 協奏曲の場合ソロ楽器がここに入り、一番下は4つの弦楽器だよ」という風に手ほどきを受けた。まだLPもない時代で98回転のレコードを電蓄で聴きつつの勉強だった。レコード一枚が分厚いので交響曲になるとずしりと重いアルバムとなる。「今第一バイオリンが主旋律を弾いている。次にそれを木管楽器が引き継いで…。ここではオケ全体がフォルテで鳴っているよ」という具合に総譜を見ながら音楽を聴くことが続いた。お陰でソナタ形式等曲の構造を理解し、オケのそれぞれの楽器の音にも慣れ区別することが出来るようになった。それ以来、気に入った曲を聴くと必ずその総譜を買うようになった。

 その内総譜の中のフルートのパートを五線紙に書き写すことを始めた。自筆のパート譜を作ったのだ。それは、CDをかけて一緒に演奏できるからだ。勿論難しい曲は手に負えない。ハイドンの「驚愕交響曲」やシューベルトの「未完成」くらいならいけると思い、筆写して吹いてみた。オケやブラスバンドの経験のある人なら判るだろうが問題は休止の部分で、そこは全休止符を書き何小節休むかは数字で表す。出だしを合図してくれる指揮者はいないので、演奏より休みを数えるのに苦労した。なんとか出来た時、有名なオーケストラと競演している気分に浸ることが出来嬉しかった。

 最近村上春樹の「小沢征爾さんと、音楽について話をする」を読んで以来、マーラーの交響曲に関心を持つようになった。それでまたCDと総譜を集め出した。それを聞いて妻の兄が「マーラーなら自分でTV番組からDVD録画したものが何枚かあるから貸すよ」と言ってくれた。お陰で13番、79番をコピーできた。早速ルツェルンフェスティバルでのクラウディオ・アバドの第一番(巨人)から総譜を見つつ聴き始めたが…。初めこそついて行けたが途中でどこかわからなくなった!それはTV画面に現れる演奏者やアバドの大写しの表情に気が散るからだ。やはり音楽の構造等を勉強するにはCDの音(聴く)と総譜(読む)だけに集中して、DVD(観る)はゆっくりそれだけを楽しむのが良い、ということが判った。

2015年1月14日水曜日

おめでとう、レオナード君!


 新年早々一つの朗報が入った。それは、2013年の5月から毎週私のところへ日本語の個人授業を受けに来ているLeonard(レオナード)君の日本留学が決まったという嬉しいニュースだった。

 最初会った頃のL君はまだ高校最後の学期で、大学入学資格試験であるAbiturをやっている最中だった。それまで約1年間まったく独学で日本語を勉強して来て、7月には日本語能力試験の5級を受験したいという希望があった。その試験には「聴解」の科目もあり、それまで一度も日本人と話したことがないので,文法や語彙の他に聴く訓練もしてもらいたい、ということだった。5級は無事合格、同年秋に大学生となったが、毎週の日本語授業は皆勤でいつも熱心に準備して来た彼は、続いて年末には4級もパスした。

 大学に入って数ヶ月後早速大学の外人局を訪ね、将来日本留学の機会があるかどうか打診を始めた。その結果、デュッセルドルフ大学は早稲田大学と姉妹校であり、そこでの1年間の留学プログラムがあることが判った。早稲田の奨学金もあるが、年間最優秀の学生1人にしか与えられず次の年の奨学生はすでに決まっていた。そこでL君は国家機関であるDAADの奨学金を目指し、すぐに登録手続きをした。留学の1年前に登録をすることが必要なのだ。

 DAAD (Deutscher Akademischer Austauschdienst)は大学間の国際交流を促進する目的で設置されている「ドイツ学術交流会」であり、世界各国で留学勉学を願うドイツ人学生、大学教員、研究者を援助している。(日本からドイツへの留学生奨学金援助をするプログラムもある)

 その間2014年夏の3級試験にも合格、去る12月には2級も受験した。L君、結果は上々だったらしく,少しも落胆・挫折した様子は見せていない。発表までにはもう数週間かかるだろうが、パスしていればこれまでストレートで来たことになり、これは驚くべき業績と言わねばならない。

 しかし、2級の日本語能力では日本の大学で日本語の講義を聴きセミナーでの討論は不可能である。1年間の日本留学で必要となるのは英語である。そのためDAAD登録学生は英語能力試験(Toefl)に先ず合格する必要がある。幸いL君はこれも120点満点を108点で合格した。このように準備を重ね、ついにDAAD最後の面接がボンで開かれた。受験者は200人で合格率は5倍の40人であった。
 
 L君、それまで1年間いろいろ準備を整え遂に面接に出席した時、わずか10分間で数人の審査員に、いかに自分の願望と意志を伝えようか、と苦慮したという。年末に到着した結果はこれまた合格だった。これで1年間奨学金を得て早稲田大学で勉強することが現実となった。遂に長年の夢が叶ったのである。専攻は経営学・ビジネス管理だが、特に統計学を基にした実験・観察経済(empirical economics)を勉強する、という。

 勉強の場は決まっても、宿舎は自分で探さなければならない。L君はインターネットで、大学まで山手線でわずか3駅という便利な「サクラハウス」を新宿に見つけた。ここは外国籍の学生やビジターを専門に取り扱う宿舎で、彼の場合月額家賃は97,000円かかる。日本への学生の奨学金月額は1,150ユーロであり、これはアメリカやその他の先進諸国を抜いて世界最大額である。現在の為替ルートで換算してざっと156万円ほどになる。その内宿舎のサクラハウスの家賃を引くと残高はあまりない。「後は両親に頼るしかありません」、と彼は苦笑いしていた。

 準備万端整いL君は3月日本に向けて出発する。ドバイ経由で長時間かかるが格安のEtihad Airwaysも予約した。私との個人授業もあと3ヶ月弱だ。「今回の留学はスタートラインについただけだと思います。これを土台としてさらに進みたいと考えています。日本では能力試験の1級を目指し勉強しパスしたら冬学期には日本語の講座に出たいし、漢字検定も受けます」とL君の夢と希望はさらに広がる。彼の能力と気力からすれば、これも実現しかねない。この日本と日本語に魅された有能で勤勉な若者に幸運あれ、と心から声援を送りたい。

2015年1月9日金曜日

年頭の新作品


 ドイツは不順な天気が続く年の初めでした。時には太陽が顔を見せるのですが、すぐに曇り冷たい雨が降り、所によってはみぞれや雪になるというのが全国的な傾向でした。アウトバーンでの交通事故も頻繁に起こっていました。

 そうなるといきおい家の中に閉じこもることになり、そのお陰で初仕事がかなり捗りました。次の2葉の写真は、3日間の作業で出来上がったマチつきバッグとキャラメルポーチです。使った生地はクリスマスシーズンにデパートの特設売り場に出ていたもので、良い色で可愛いユニット作品になったと自負しています。他のほとんどがクリスマスツリー、サンタ,星、天使等のシーズンテーマの生地ばかりである中、これだけはニュートラルな模様で上質のものだったので、シーズン後も使えるなと思い買っておいたのです。案の定いろいろ面白いものが出来、数人の人にプレゼントできました。それでもまだ、キャラメルポーチが一個できるくらいは残っています。


 その時マチに使うため少しベージュがかった無地の生地を買いましたが、これもかなり残っているので上手に利用しなければと考えました。それで残りギレの箱をあれこれひっくり返して発見したのが、このお姫様やお城のアップリケでした。これは別個に売られているアップリケではなく,ピンク地に縫い付けられていたもので、こういう生地は特殊でかなり値段も張るものです。数年前孫のリュクサックを縫った時買って、切り抜いて使ったものがまだいくつか残っていたのです。

 捨てなくて良かった!お城はまるまるそのまま一つ残っていて使えるし、お姫様は頭のてっぺんが欠けていますが、もう一枚のお城の一部を切り貼りすれば王冠として使えそうです。これを無地の布の裏と表に張り付け、一枚仕立てのフラットバッグにするつもりです。生地は麻の手触りですがバッグには一寸薄いかな?二枚合わせるか、それでも薄い感じなら中へ接着芯を入れようか、等と考慮中です。

 これで表の方へお姫様と花を二輪、裏はお城と太陽を張りつけ、色付きの始末用テープでアクセントと持ち手をつければ,可愛いフラットバッグになりそうです。フラットバッグは「裁ほう上手」の本の最初のページに載っていて、言わば「ボンドをどう使うか、貼り方のコツは」、というようなことを説明する入門のための作品ですから、最も簡単に出来そうです。準備が整ったらすぐに作り始めたいと思います。

2015年1月6日火曜日

初買い出し


 新しい年が明けて、気がついたらもう今日で5日目!時間の経つのは本当に早いものです。その間ドイツでは、快晴の日があるかと思うと次は雨とみぞれ、雪と変わりやすい天候が続いています。

 








 先ず元旦は明るい太陽と共に明けました。玄関には折り紙で作った羊、そして去年のクリスマスシーズンに買った羊を飾りました。地面一面に白く降りた霜を踏みしめながら今年初のノルディックウォーキングを1時間弱。やはり、新鮮な戸外の空気を吸うのは気持のいいものです。

 大晦日に買い入れた食料品も乏しくなったので、今年初の買い物に出かけました。2日から店やスーパーは営業開始で、ほとんどのものが買えます。しかし,そんな店は避け「新鮮なリンゴを!」という妻の提案で,かなり激しい雨の中、隣町のDuisburg近郊に出来た「リンゴの楽園(Apfel Paradies)」へ車を156分ほど走らせました。これは最近各地にできた各種リンゴを売る専門店であり、その他にも野菜、果物を沢山置いている店です。ところが着いてみるとクリスマス後から14日までは長期休店ということが判りました。

 そのまま帰るのも残念だ、と思いましたが、途中に「農民の市場(Bauernmarkt)」と看板の出ていた店を思い出し、そこへ初めて入って見ることにしました。これが予想以上に良い店であり、目指すリンゴを初め良い「初買い出し」が出来ました。造りは日本各地にある「道の駅」に一寸似ています。地方の農家が泥のついたニンジンや大根を運び込むほどには至りませんが、新鮮な色とりどりの野菜や果物が沢山並んでいました。冬の最中、こんな新鮮野菜が手に入るようになったのは「欧州連合」の暖かい南の各国のお陰か、また進んだ「温室栽培技術」によるものでしょう。


 以前は手に入らなかった東洋野菜のネギやショウガは、今では簡単に入手できます。それに赤い皮のカボチャは「ドイツビオ野菜」と銘打っているものの、種を日本から移入したものか「ホッカイドー」が一般的マーケット名です!その他嬉しいことに珍しいチンゲンサイやダイコンも並んでいます。これで後サトイモやホーレンソウもあれば言うことないのですが。

 ドイツの日常食材の値段は本当に安いものです。特に年末近くからオイル、ガソリンの値段が下がり、この国のインフレ率は1%そこそこで記録的に低くなっています。でもこの店で高い!と思ったのは輸入品の珍種果物のいくつかで、トルコのザクロ、スペインのカキ、南米のイチジク等はすべて一個売りの値段1.5-2.5€とついています。リンゴはどの種類でもキロ当たり1.5-4.0€ですから、その差は大きいです。かなりの大きさのカキやザクロはともかく、半分萎びたような小さなイチジク1個に2.50€を払う人がいるのでしょうか?

 車で少し時間はかかるけど、郊外の道路沿いに「道の駅」に似た店が各地に出来始めています。その中には日曜日も営業し、農家直売のキシュやパイ、スープ、チーズを食べさせる軽食レストラン、絞り立てジューススタンド、花を自分の手で切り取る花壇を併設する店もあります。これからこんな店が益々増え,ドイツ人の買い物計画も変わって行くことでしょう。