2012年の秋以来、ルール地方のボタ山をすでに10箇所ほど見学したが、その各々の発端から歴史などをいろいろ勉強できたのは実に興味深い。今回訪れたのは、ルール地方に数ある山の中でも一番古い歴史あるものの一つとして知られている、オーバーハウゼン市「クナッペン・ボタ山」(Knappenhalde)である。
前もって予習してみると、この山は8ヘクタールの面積しかないという。今までで一番大きかったのが160ヘクタールの「景観公園のボタ山」であり、その他もすべて3桁か2桁の面積をもっている。にもかかわらずこの山は高さ100m余もあり、とんがり帽子型をしていてオーバーハウゼン市で最も高い山である。
元エッセンの女子修道院の所有したこの土地に、石炭の廃棄物が捨てられ始めたのは160年も以前のこと、ルール地方のボタ山で最古のものの一つである。その後絶えず廃棄が続けられ、第2次大戦後から50年代の終わりまでスラグ(鉱滓)、がれき、工業廃棄物の山が築かれた。その頃つけられたあだ名がイタリア語とドイツ語をつないでもじった“Monte Schlacko“(モンテ・シュラッコ=廃石の山)だ。60年代に入って初めてここを緑化しようという気運が起こり、ルール地方のボタ山美化・緑化運動の先駆者としての動きが始まった。憂鬱な灰色の山を新鮮な緑に変えようという運動が起こったのだ。
住民が動員され手分けして盛り土をし、25万本という数の柳の若木が植えられた。植物に詳しい我が妻の話では、この山には成長が早く、自然に対して耐久力の強いアメリカ原産のニセアカシアが今日一番多く見られると言う。頂上までの道を歩くと深い原始林に入ったような印象を与えられる。植林も結構だが、余りに樹が繁りすぎるのもどうかということで、70年代に入るとここを庶民の憩いの場にすべく林道作りが始まった。「今日は小規模のボタ山だ。大したことはないだろう…」とタカをくくって出かけてきた我々も、その大樹と、白いニワトコの花に飾られた教会結婚式のバージンロードさながらの散策路に驚き、快晴の半日を大いに楽しんだ。
102mの山頂には15mの展望台も造られ(今月11日に紹介した60mのTetraeder展望台と比較すると、かなりの規模の差が、そして建造費の差がある!)庶民の楽しめるクナッペンボタ山が完成したのは1981年だった。山上からの眺めはすばらしいの一語に尽きる。ガスタンクを改造した美術館「ガゾメーター」と、1996 年完成のルール地方最大のショッピンモール「チェントロ」がすぐ目の前に見える。帰り道にはチェントロに立ち寄り、日曜日にも営業している沢山のレストランの中からオランダ風パンケーキの店を選び昼食をした。
三千男さん。特別な例を除いて山が少ないドイツでボタ山は人工とは言え貴重な存在です。こんなに多くあちこちに残っているのはむしろ羨ましいことです。、緑化など炭田に替わる永年対策としてよい対応ですね。皆さんの健康や美感保持の為にも手ごろでいいですね、日本でもぜひ見習いたいものです。瞬間的な高齢者対策や、弱者イタワリ対策のことには予算があっても、こういう所への長い目で見る基本的な政治的注力には、財政的な投入が少ない国ですから残念ーー。大阪の山さん
返信削除日本のかつての炭坑町の様子は古い写真等で見たことがあります。坑夫と家族の住む貧しい長屋が続き、その背景には真っ黒な山肌をもつボタ山が聳える。大雨が降れば山崩れ、また石炭がらの自然発火の危険も常にある、そんな説明文もありました。それらを避けるための対策はドイツでは先ず、ボタ山の緑化だったようです。そこへさらに芸術作品と娯楽を兼ねたような建造物を造ったのは?もの凄い費用がかかっただろう、と思われるものはすでに数カ所見ました。それとエネルギー革命で石炭関係の大工場が使えなくなったものは、鉄骨構造のみ残し(撤去する費用が莫大となるため)他の目的のために使っている所もルール地方には多く残っています。これからはそんな場所も見学の目的地に入れたいと思います。
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