アルザス2日目はストラスブールから南下し、田舎の村や町を訪れるというプログラムを立てました。この10年ほどの間にこの辺りの自動車道も良く整備され、快適に車を走らせることが出来ます。 高速自動車道をはずれると、それにほぼ並行して伸びるのが「アルザス・ブドウ街道」です。
私の50歳の誕生日に初めて1週間のアルザス旅行をした時はインターネットなどなかった頃で、街道沿いの村々で毎日ホテルを探しては泊まったものでした。
最初の目的地は古いリクイビール(Requiwihr)の村です。ここは起源を12世紀まで遡る、フランスで最も美しい「ブドウ畑の真珠」と呼ばれる村です。村役場の横にある入り口を入ると、1キロほどの道が続きます。観光一色の村となっており、道路の両脇はレストラン、カフェ、土産物屋の連続です。以前来たときはシーズン最中、人込みで歩くのも難しいほどでしたが、この日は朝早く着いたので観光客の姿もチラホラでした。その代わり配達用のバンや小型トラックが行き来しており一寸落ち着きませんでした。道路の突き当たりに建つのはこの村のシンボルとなっている25mの塔で、その昔は周辺から村を襲って来る盗賊などの見張りの塔であったということです。
そこから10km弱しか離れていないカイザースベルク(Kaysersberg)は、アフリカへの伝道師またオルガニストとして有名なアルバート・シュヴァイツアー生誕の村です。彼の生家が博物館になっていると聞いていましたが、その日は小高い丘の上の古城の跡へ登ろうということになり、そちらへ向かいました。しかし、やっと見つけた登り口には立入禁止の立て札が!山道が壊れていたのでしょう。以前来た時この町の家々の屋根に沢山のコウノトリが巣を作り雛鳥に餌をやっているのを見ました。今は孵卵の季節ではないのでしょうか、残念ながらそんな光景は見られませんでした。この村のお土産の布巾やタオルはコウノトリがついているのが一番人気のようです。
お昼のまでにはオー・ラン(ライン上流県)の町コルマールに着き、昼食をとりました。ここはジブリの映画「ハウルの動く城」のモデルとなった町と聞いています。町の木組みの家々の並びと屋根は、確かにお針子ゾフィーとハウルが空を飛びながら見る光景そっくりですが、城が動く背景はアルザス地方や黒い森の光景とはかけはなれた、むしろ峨々たるアルプスの山のそれですよね。この町で是非見るべきものはウンターリンデン美術館にある有名な画家M.グリューネヴァルトの「イーゼンハイム祭壇画」ですが、今回は時間がなくすぐにプティト・ヴェニスへ向かいました。
ここもストラスブールのプティト・フランスと同じように、川の水の流れに沿って観光客用の船が行き来する絵のようなメールヒエンの世界です。両者ともに、以前は水を使い皮なめしを行った不潔な異臭を放つ場所で、とても人が喜んで出かける所ではなかったと言います。そんな時代はもう過去のこと、今では観光客が一番沢山集まる人気スポットとなっています。
午後遅くなって天気が崩れ、ポツポツと雨が落ち始めました。我々も早々に駐車場に帰り車に乗り帰途につきました。お天気に恵まれた2日のアルザス観光を楽しんだ後は、またライン河を越えドイツ側に渡りその夜の宿泊地バーデンバーデンに向かいました。
三千男さん。アルザスの話の中、シュバイツアー博士の出身地の話は思い出を持っています。大学卒業少し前、就職面接試験に出かける前、寮が同室の同級生S君が「誰を尊敬しているのか」と訊かれた時、誰がいいのかな、と言う質問。誰でもはっきり尊敬する人を言えば、というと困っているので「じゃシュバイツアー博士と言えば」とアドバイスした覚えがあります。たまたまシュバイツアー博士を知っていた僕はすでに就職先が決まっていたので、余裕から軽く言ったつもり。帰ってきてS君曰く、「ばっちり、尊敬する人物は?」の質問があり、シュバイツアーの名をいうと面接者がうなずいてくれ成功だったよ、でした。無事合格でしたがS君も5年前に死亡し既に無く、遠い昔の思い出です。貴台のアルザス関連投稿で思い出しました。カイザースブルクの名を覚えておきます。大阪の山さん
返信削除カイザースブルグを訪れたのはこれで3回目か?シュバイツアー博士のことはその度に思い出しても、彼の生家とか博物館はまだ見ていないのです。いつもほとんど素通りの状態で、本当に怠惰なことだと反省しています。この町もフランス領、シュバイツアーもフランス人であるのに、名前からするとどちらもドイツ風!やっぱりアルザス地方は独仏両国が長年奪い、奪い返して来た国境地帯ですね。よく調べれば血なまぐさい悲劇の歴史が判ることでしょう。現在の平和な時期に生き楽しく旅行が出来ることを、心から感謝しています。
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