2015年4月21日火曜日

建築芸術Kö-Bogen


 デュッセルドルフ中心部の工事現場は未だにごった返しており、あちこちの通行止めや通行制限のためドライブにも歩くにも難儀する。

 しかし、そこからわずか10m離れた所にKö-Bogenという、すでに完成したすばらしい一帯が現れる。Kö-Bogenについてはこのブログで、建設開始の2012年から1314年と数回にわたって報告して来た。Bogenの意味は「湾曲、弓形」であり、直線に延びるKönigsalle(ドイツ国内で最も高級なショッピングストリートの一つ)の北端で、Hofgarten公園の池に沿って東に湾曲する地域なのでそう命名された。


 そこに立てられた5階建て高さ26mの建築物は、カメラを持ち歩く人間なら必ず、またふらりと立ち寄る人でも思わず目を惹かれるであろう。公園側から眺めると、先ずランダムに(無作為に。デザイナーには作為があるのだろうが!)並べられた窓の黒と壁の白の色のコントラストに驚かされる。それは平面だけに終わらず、所々鋭い切り込みが作られ凹凸の面白い変化と、えも言われぬ不思議な効果を与えている。そこには木が何本か植えられているが、同じような高層ビルの切り込み部に生きた木を植えた例を私はニューヨークのあちこちで目にしたことがある。ニューヨーク在住でここのプロジェクトを引き受けた建築デザイナーDaniel LiebeskindはKö-Bogenにもそれを用いたのかも知れない。とにかく何か芸術作品にも似たファサーデ(正面)をもつ建物であるので、「これは美術館でしょうか?」と訊く人もいるほどだ。


 縦縞模様が水に映り、白鳥が泳ぐ、新緑の緑の樹々の下で人々がベンチに座りゆったりと春の日差しを享受する…。そんな楽園が出現したことを市民は歓迎し心から喜んでいる。


 地下鉄開通までは路面電車が走る建物の反対側(南側)は一変して曲線の連続である。そこには高級服飾店、宝石店、カフェーにレストランがあり、いくつかのオフィスも入っている。2013年には全店営業開始の予定であったが、開店間際に火災があったため(反対派の放火だった、と報道された)、2014年まで延期された。開店早々我々夫婦も入ってみたが、余りに高級思考で高価な商品ばかり陳列されていたのでその後はずっと敬遠していた。


 今回写真撮影の後、半年ぶりにBreuningerショッピングモールに入ってみた。ここの雰囲気は、東京のデパートで言えば特別階のそれで、世界的有名ブランドを売るテナントがずらりと並んでいる。でもスペースが小さいため一店の規模が小さく、窮屈そうな感じがするのは否めない。男性服装専門店のThommy Hilfigerできょろきょろしていたら、色褪せもダメージ加工もしていない、きれいなブルー色のジーンズが目についた。100€のものが30%値引きされていたので早速買ってしまった。高級ショッピングモールでも、定期的に特別セールをしてくれれば庶民も入りやすくなることは確かだ。ここのApple Shopだけは出かけることがあるが、これからはその他の店も時々入ってみることにしよう。

2015年4月15日水曜日

その後のインマーマン通り


 春の訪れと共にデュッセルドルフ中心地の工事も活発になってきました。以前この町に住んでおられたOB、OGの皆さんに近況ご報告が遅れ申し訳ありません。皆さんにとって懐かしい日本人通りImmermannstr.のトンネルの完成が近いことを先ずお知らせします。


 ご覧の通り地上にはまだ掘り返した土や瓦礫、コンクリートが積まれていますが、トンネンル入り口はもうチャンと出来上がっています。従来、市の北から中心部に入って来る線は高架であり(以前の「ムカデ道路」で進入は南方面一方のみでした)、最高地点からまた下り、Immermannstr. Berliner Alleeに別れ平地に戻っていました。それがそっくり南北両方面行きのトンネルと様変わりし地下に潜ります。そしてその上に出現するスペースは、市民が散策を楽しむための緑地地帯となるのです。すでに新設なったKö-BogenHofgartenから延びる池が緑地帯の一部として完成、それを楽しむ市民の数も増加しています。



 鉄鋼関係の巨大企業として有名なTyssen-Kropp社が入っていたあのビルは、両者のルール地方への撤退と共にしばらく空き家となっていました。脇の方の壁が取り壊され、これであのユニークな形のビルが完全撤去されるのかと一時心配しました。しかしそうではなく、単なる改装工事だったようです。それも順調に進み、以前とは異なる新しいライトブルーのロゴがつきました。どこの企業が入るのでしょうか、そして以前のものに取って代わるビル名はどうなるのでしょう?


 もう一つImmermannstr.の大きな変化をお知らせします。それはOststr.との角の辺りのビルの取り壊し作業が年頭から始まり、工事がかなり進んでいることです。スペインカフェー、フルーツショップ、コンピューター修理店(日本人専門)、そして日本人向けお総菜の店「丸安」とレストラン「Donドン」のあった所です。これらの店はすべて取り壊されました。その工事現場の様子を写真でご覧下さい。

 「丸安」の社長Aさんのお話では、新しい総菜店とレストランはImmermannstr.11番地、新トンネンルの出口のすぐ横辺りに移転するということで、3月には新装開店となる、と聞いていました。先日その場所に行ってみましたが、表のガラスに紙が貼られ中の様子は判りません。恐らく工事が遅れ開店は4月中(5月?)となるのでしょう。近辺で働くビジネスマンもお店の従業員さんたちも「お昼に食べるものを探すのに不便しています」と嘆いています。スペースは今までの何倍かの規模となり、レストランには天婦羅専門のカウンターも出来るということなので,日本館以来の名職人Uさんのすばらしい天婦羅が味わえることとでしょう。他のお客さん同様私も一日も早い再開店を心待ちにしています。

追記 上から4枚目の写真の建物とロゴについて。Dreischeibenhaus(三枚板のハウス)が名称。真ん中最高94mの建物を挟んだ3棟(枚)からなっている25階建て利用面積3万平米の建物。その3棟を表すのが新ロゴである。

2015年4月9日木曜日

アルザスへの旅(2)


 アルザス2日目はストラスブールから南下し、田舎の村や町を訪れるというプログラムを立てました。この10年ほどの間にこの辺りの自動車道も良く整備され、快適に車を走らせることが出来ます。 高速自動車道をはずれると、それにほぼ並行して伸びるのが「アルザス・ブドウ街道」です。 私の50歳の誕生日に初めて1週間のアルザス旅行をした時はインターネットなどなかった頃で、街道沿いの村々で毎日ホテルを探しては泊まったものでした。

 最初の目的地は古いリクイビール(Requiwihr)の村です。ここは起源を12世紀まで遡る、フランスで最も美しい「ブドウ畑の真珠」と呼ばれる村です。村役場の横にある入り口を入ると、1キロほどの道が続きます。観光一色の村となっており、道路の両脇はレストラン、カフェ、土産物屋の連続です。以前来たときはシーズン最中、人込みで歩くのも難しいほどでしたが、この日は朝早く着いたので観光客の姿もチラホラでした。その代わり配達用のバンや小型トラックが行き来しており一寸落ち着きませんでした。道路の突き当たりに建つのはこの村のシンボルとなっている25mの塔で、その昔は周辺から村を襲って来る盗賊などの見張りの塔であったということです。


 そこから10km弱しか離れていないカイザースベルク(Kaysersberg)は、アフリカへの伝道師またオルガニストとして有名なアルバート・シュヴァイツアー生誕の村です。彼の生家が博物館になっていると聞いていましたが、その日は小高い丘の上の古城の跡へ登ろうということになり、そちらへ向かいました。しかし、やっと見つけた登り口には立入禁止の立て札が!山道が壊れていたのでしょう。以前来た時この町の家々の屋根に沢山のコウノトリが巣を作り雛鳥に餌をやっているのを見ました。今は孵卵の季節ではないのでしょうか、残念ながらそんな光景は見られませんでした。この村のお土産の布巾やタオルはコウノトリがついているのが一番人気のようです。


 お昼のまでにはオー・ラン(ライン上流県)の町コルマールに着き、昼食をとりました。ここはジブリの映画「ハウルの動く城」のモデルとなった町と聞いています。町の木組みの家々の並びと屋根は、確かにお針子ゾフィーとハウルが空を飛びながら見る光景そっくりですが、城が動く背景はアルザス地方や黒い森の光景とはかけはなれた、むしろ峨々たるアルプスの山のそれですよね。この町で是非見るべきものはウンターリンデン美術館にある有名な画家M.グリューネヴァルトの「イーゼンハイム祭壇画」ですが、今回は時間がなくすぐにプティト・ヴェニスへ向かいました。

 ここもストラスブールのプティト・フランスと同じように、川の水の流れに沿って観光客用の船が行き来する絵のようなメールヒエンの世界です。両者ともに、以前は水を使い皮なめしを行った不潔な異臭を放つ場所で、とても人が喜んで出かける所ではなかったと言います。そんな時代はもう過去のこと、今では観光客が一番沢山集まる人気スポットとなっています。


 午後遅くなって天気が崩れ、ポツポツと雨が落ち始めました。我々も早々に駐車場に帰り車に乗り帰途につきました。お天気に恵まれた2日のアルザス観光を楽しんだ後は、またライン河を越えドイツ側に渡りその夜の宿泊地バーデンバーデンに向かいました。

2015年4月5日日曜日

アルザスへの旅(1)


 日本から来た姪一家を案内してアルザス地方へ旅行しました。デュッセルドルフからストラスブールまでの距離は約400キロ、車で4時間弱で走破しました。

 アルザスは私にとって今度で3回目です。と言ってもその間それぞれ1015年という間隔があるので、ずいぶんと変わっていました。以前訪れたのは欧州統一前のことで,国境もあり通貨もフランでした。

 北のバ・ラン(ライン下流圏)の首都ストラスブールのお目当ては,先ず何といっても大聖堂です。ホテルから一歩外に出ると家々の上に突き出ている尖塔が,散策のための良い目印となります。その高さは142mあり、19世紀末までヨーロッパで一番高い塔(建物)でした。でもあれだけの規模の聖堂に尖塔が一本しかないのはなぜ?正面から見ると塔は北側にしかなく、なにかアンバランスな感じがします。ロマネスク形式で始まりゴシックで装飾を加えていったポルタール(表玄関)細工のみごとなこと!


 そのすぐ上正面にあるロゼッテ(バラ型装飾)の豪華さは他の教会に例を見ないほどで、特に中に入って日の光を通して見るロゼッテはえも言われぬ美しさです。その他有名な「天文時計」があります。これは一種のからくり時計で時間毎に鐘の音と共に人形が現れます。私たちが見たのは3時でアッと言う間に終わったけど、正午12時のが最も面白く、死神が現れるという!教会内だけに「死をおぼえよ!」(memento mori)の教訓のためこんなものを作ったのでしょうか?














  会堂から一歩出ればすぐ脇に、4階建て75枚の窓をもつ15世紀建築の「カメルツェルの家」が目を引きます。そこから「プティ・フランス」まではすぐです。

 イル川とその支流に囲まれたこの地域は、ストラスブール散策で絶対見逃せない地域です。3月終わりとはいえイースター前の季節はまだ少し寒かったですが、水に映える木組みの家々を眺めつつ、カフェーに座りアルザス名物のグーゲルフップフというお菓子とコ−ヒーで休憩し、大道芸人の曲芸に感嘆し、職人手作りのデミタスを買いに店に入ったりした半日でした。


 夕日が西の空に傾きかけた頃、最後のプログラムとして、「欧州議会」まで往復タクシーを走らせました。ブルッセルと並んでいろいろな取り決めをする重要な会議場で、ルイーズ・ワイス・ビルという名のその建物は見事なものでした。

 このようにしてアルザス旅行第一日目は過ぎました。元々ドイツとして始まったこの地方、その後何世紀かの間に独・仏両国の間で所有権が行き来しました。今はフランス領ですが、建築方式、食べ物等もドイツ的なものが多く残っており、ドイツ語もよく通じます。それだけに何かゆったり、楽な気持で旅行出来る地方ではあります。