2014年1月20日月曜日

村上春樹の対談記事


 Die Zeit(ドイツの週刊新聞)18日号の学芸欄に村上春樹との対談が載った。大きな写真入りでほぼ2ページにわたる長いインタビュー記事である。彼の最新の小説「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」のドイツ語訳の発行・販売(19日)がされたのがその契機である。

 この小説の日本発売は20134月で、発売1週間で100万部を売った問題作である。ドイツでは入手困難なため、私はまだ読んでいないが、416日に出た大森望、豊崎由美の書評「色彩を持たない…メッタ斬り!」は電子書籍で読んだため「ネタバレ」はしており、その他の書評等から話の筋は大体判っている。「不可解な理由で4人の親友から絶交を言い渡された多崎つくるの物語。友人との違いは、彼らの名前(赤松、青海等)には色がついているのに多崎にはない。そこから始まった灰色の人生から逃れるために巡礼にでる多崎…」というのが物語の粗筋らしい。

 対談はハワイのホノルルで行われた。村上は現在ハワイ大学の「客員作家」(Writer in residence)として、契約の切れる来年末までハワイに住んでいる。そこでの生活は、午前4時起床、5時間の仕事、その後はジョギング、水泳をする。最近ハワイマラソンで走ったばかり、そしてトライアスロンにも参加する予定だ。そのお陰か、今年65歳の彼の体つきは30代のスポーツマン、顔の表情は40代で通る、と対談の相手が印象を語る。大学での授業はなく時折講演をするだけ。就寝は午後10時、有名になりすぎた日本でのわずらわしさから解放され、一人で独立した平和な暮らしだ。料理もするし、アイロンかけもする、ごく一般的な只の人間ですよ、と彼は言う。但し「書き物机をはなれれば」という条件がついている。

 長いインタビューでは数多くの点が取り扱われており、それをすべてここに紹介することは出来ない。その中で私に特に印象深かった点のみを取り上げたい。それは作家村上春樹の自己評価・自信とでも呼ぶべきものだろう。

 「私は想像力・表象力(Vorstellungskraft)を信じる。そして存在するのはリアリティ(現実)だけではない、ということを信じる。私の作品では、現実と非現実の世界が同時に存在し、相互に依存している。私が机に向かって集中すれば、その2つの世界を出たり入ったりできる。それが私の文学で起きるのだ。私は原始時代の『語り部』のような気持ちを抱いて、悲惨な洞窟内にいる人々に語る。私の周りには霊的なものが漂い、私は手をのべてそれを捉えるだけ。私の役目は洞窟内の人間に悲惨な生を忘れさせることである。そんな語り部の技術を私は習得したのだ。」

 そのような技術をどのようにして手に入れたのですか、というインタビュアーの質問に対し、村上は「只常に真剣に書き続けることにより私はそれを手にした。そうすることにより私の技術は自然に生まれた」と答える。「私にとって書くことは生きる意味そのものだ。書き机の前で私は只の人間から脱しスーパーマンになる。想像力を通して私は何ものでも創造出来る。書くことで世界を救うことが出来るのだ」。そして「一つの物語が読者をより良い人間にしないならば、それを書く価値がないだろう」と締めくくる。

 さて先週発売の「色彩を持たない…」(ドイツ語タイトルは“Die Pilgerjahre des farblosen Herrn Tazaki“で、巡礼の年は複数年、多崎は男性の姓であることを示すためHerr Tazaki−多崎氏の−となっている)は発売翌日に購入、妻は今日読破した。読後感を訊いてみると、「読み易く、良いエンターテーメント(娯楽)だった。人間は自分にないもの(ここでは赤、青、白、黒という色)を嘆かず自信を持って我が道を行くべきだ、というメッセージが伝わった。でも、ノーベル文学賞候補に値するかどうか…?」というものだった。上の「メッタ斬り」では、村上春樹の全作品中でワースト3に入るという酷評だった!さてドイツでもそろそろ読後評が発表されることだろう。どんな評価がされるか、しばらくは新聞・雑誌の文芸欄から目が離せない。

4 件のコメント:

  1. 三千男さん。村上春樹の翻訳本が出ているようでおお、ドイツでもと思っています。アメリカ留学後、妙に国際的な著書が多いのですが、なぜか中国では若い人に人気があると言います。僕は10数年前にちょっとこの作家に凝ったこともありましたが、文意が独特、筋が複雑でこちらが耐えられません。最近は読んでいません。一番どこらがいいのでしょう。ノーベル賞に毎年噂が上がるのになぜ選ばれないのでしょう。お気の毒ですね。大阪の山さん

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    1. 村上春樹は、もう何十年も以前からよく読まれていたのですね。何年か前、上の娘がかなり熱中して読んでいることを知らされ、気にはなっていたのですが、自分ではとんと目を通していませんでした。やっと最近になって、読み続けている次第でお恥ずかしいことです。読み易く、翻訳し易い文体であることは確か、それで国際的になったのかも?しかし、それだけでノーベル文学賞になるということはないでしょう。惹かれる点は多々あるものの、そこにまで達する要素はないのでは、というのが偽らざる感想です(まだ大して沢山は読んでいませんが)。

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  2. 以前「1Q84]ではじめて村上春樹を読んで難解だという印象を持ったのでそれからこの作者のものは読んでいません。「色彩を持たない・・・」は出たとき気にはなっていたのですが、そのままになっていました。ブログを見て読んでみようかなと、早速注文しました。解りやすい百田尚樹や池井戸潤に目下はまっている私ですが、村上春樹がはたしてくみ取れるかどうか・・・・

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    1. 現実(リアリティ)と非現実の世界を自由に(恣意的に?)出たり入ったりする春樹の文章には、魅力的な点もあれば不可解な(とてもついて行けないな)要素もありますね。そこが面白いと言うことも出来るのですが…。しかし、心を真底から動かされる文学作品であるか、と問われると、肯定は出来かねます(今のところ)。

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