妻の両親がEssenの Borbeck地区に、子供6人計8人から成る家族のために大きな家をたてたのは1959年のことでした。それから36年後の1995年4月に妻の2番目の兄がこれを引き継ぎました。あれこれあり建築に長い時間がかかったけれども、数年後には建物の大きさも庭の広さも同じに保ちながら、まったく新しい家に改築しました。それがここに写真を載せた家ですが、内も外も「ハウス・アンド・ガーデン」(家と庭園)の専門雑誌に出てくるようなモダンな家となりました。
元々8人家族用の家と敷地だったところへ、夫婦2人だけが住むようになり、それでは大きすぎるのは当然のことでした。それで真ん中の部分だけを自分たちの住処として、あとはアパートに作り替え賃貸することにしました。ところが昨年その兄が事故で急死し、住人は未亡人一人だけとなったので、さらに賃貸する部分を増やさざるを得なくなりました。
住まいのことはそれでなんとか解決したけれど、そこについている大きな庭は大家である彼女自身で管理・手入れをしなければなりません。庭作りに情熱を燃やした夫が丹誠込めて作り上げた芝生あり、菜園あり、花壇ありで、一人でこれらすべての面倒を見るのは大変な仕事であることは言うまでもありません。それでも庭師も頼まず、時には薪割り等力の要る仕事は兄弟が手を貸すこともあるけど、その他は彼女一人で手入れを怠らず、きれいに整備されているのには感心させられます。「庭の仕事をしている時、亡くなった夫が一番近くにいてくれる気がします」。庭は彼女が夫との想い出を味わう最高の場所なのです。
去る日曜日(10日)、兄弟全員と配偶者たち総勢10人が集まりこの庭でガーデンパーティを開きました。これも未亡人一人が前菜、サラダ、スープ、パスタ、ソーセージ等食べ物すべてを準備し、我々は食べるだけのお客さんを決めこみ甘えることになりました。この日太陽が明るく照り、暑からず寒からず快適な天気でしたが、それでもテラスに食べ物とワインを並べ1時間以上も食事をしていると、やっぱり頭に照りつける太陽が暑くなり、また目を射る光もまぶしくなったので、日よけのガーデンパラソルを開かなければなりませんでした。
締めくくりはデザートとコーヒー。これは庭の隅の方に造られた小屋の方に全員移動し、そこに備えられているコーヒーマシーンで作った香りの良いコーヒーとお手製のチーズケーキを芝生の上で楽しみました。やっと空気が冷たく感じられる夕方になって楽しいガーデンパーティはお開きとなりました。日の長い夏の季節には、こんなパーティを何度か開きたいものだ、と皆同じ思いを抱いて家路につきました。
素晴らしいですね。 我々にとっては夢の世界ですね。
返信削除しかし、管理も大変でしょうね。
ムーミンパパさん、
返信削除亡くなった兄は情熱と愛をこめて(そして多額の投資もして!)この庭を造りました。2000平米もある大きな庭を今女手一つで管理しているのは、もう奇跡に近いものがあります。
三千男さん。ガーデンパーティーは楽しく、素晴らしいものですね。第二次大戦後のある年代層の皆さんのご苦労と敗戦国経済復興への60年のご努力がうかがえます。
返信削除それにしても日本では考えられない広い公園みたいなお庭ですね。未亡人はお一人で日常はどうしておられるのでしょう 大阪の山さん
山さん、
返信削除彼女も停年退職して終日家にいますが、やはり管理は大変なようで、我々親族一同いつも心配しています。これだけの広さの庭なのに、まだモーターつき芝刈り機は使っていないのです!それに少し傾斜のある敷地なので、それだけに作業も大変でしょう。
本当に素晴らしい家と庭です。
返信削除映画のグレート・ギャトビーを思い出します。
これだけの広さの庭を一人では大変過ぎるのでは?
でも旦那様との思い出の場所、そこで作業するのは楽しいのかも。
私なんか小さなテラスの植物管理で精一杯なんですが・・・
あ〜、、、情けないです。
Miluさん、
返信削除いろんなことに手を出す私も、園芸、庭の世話は一度もやったことがありません。手が汚れるのが嫌なわけではないのですが、バルコニーに花を植えるのだって上手く出来ず、もっぱら妻の仕事になっています。仕事の鬼みたいな妻と、面倒ぐさがり屋の私がもしこんな庭付きの家に住んだら…?!想像するだけでもゾッとします!