チューリンゲン州には 文化と交易で栄えた州都エルフルトを初めドイツの歴史上重要な都市が沢山ある。ゲーテ・シラーが活躍し、また憲法でも有名なワイマール、精密光学機械カール・ツァイス社のイエーナ等も挙げられる。
今回の休暇は森と山野を中心にしたので、あまり沢山の町を訪れることが出来なかった。それでも「ヨーロッパのおじいちゃん」と呼ばれるゴータ(この町の貴族から欧州各国の皇族、王族を送り出した)や、小規模の町ながら10ほどの美しい公園や庭園をもつバート・ランゲンサルツァ(ここでは日本庭園やバラ園を訪れる)の町は、短い時間ではあったが見ることができた。
もう一つ、かなりゆっくり時間をかけて歩けた町はアイゼナハだった。この町と切っても切り離せない歴史上の人物は宗教改革者のマルティン・ルターと楽聖ヨハン・セバスチャン・バッハだ。
ルターは15歳の時から3年ほどこの町の教会付属学校で勉強するため、母方の親類の家に身を寄せていた。それが今日「ルター・ハウス」として残っている。彼は優秀な生徒で、ラテン語を読むことは勿論、それを自由に話し、書ける能力をもっていたという。
町から見上げる小高い丘の上にあるのが、ワグナーの楽劇タンホイザーでも有名な「ヴァルトブルグ城」である。ルターは宗教改革を始めた初期に反対勢力の手が延びて捉えられそうになった時、この地方の貴族によりこの城に匿われ聖書のドイツ語訳をしたのだ。そのおかげでドイツの一般庶民も自国語で聖書が読めるようになったのである。今日城内にルターの部屋が残されている。
バッハは1685年に宮廷音楽師の子としてこの家に生まれ、ここから徒歩で数分のところにある聖ゲオルグ教会で洗礼を受けた(その洗礼盤は教会の祭壇に残っている)。彼の生家は今日「バッハ・ハウス」の博物館として一般に公開されている。旧い建物の方には当時の鍵盤、管、弦楽器を初め、自筆の楽譜などのコレクションが展示されている。日曜の午後には、博物館の館員による古い鍵盤楽器の説明と演奏があり、来訪者の耳を楽しませてくれた。
新館の方の造りはすごくモダンであり、その設備の優秀さと贅沢さに驚いた。バッハ作品の解説にはすべてi-Pod方式の機器とイヤホーンが備えられており、キーを押すだけで解説の音声と楽曲が流れるようになっている。そのいくつかに「東京バッハ・コレーギウム」の合唱団の曲も入っていることに気づいた。日本のグループの演奏が本場バッハの国の、しかもこの生家の博物館にまで使われていることは、バッハ作品の解釈が正しく、かつその演奏技術が優れていることの証明であろう。このことに驚くと共に大きな誇りを感じた。
長時間の見学に疲れて腰を下ろしたのは博物館にあるカフェ「カンタータ」。これはバッハの「コーヒー・カンタータ」から名付けたものだろう。そこで飲んだエスプレッソとカプチーノは実に美味であったことを付け加えておく。