2012年3月26日月曜日

サンスーシ宮殿のジャガイモ


 ベルリン市の中心からポツダムまでは、郊外電車に乗れば1時間足らずで着く。駅前からバスに乗り終点のNeues Palais(新宮殿)までさらに15分ほど。プロイセン王国の皇族のため、また外国からの客の宿舎(迎賓館)として建てられたこの宮殿の大きさ、立派なことに先ず驚く。7年戦争後国家の財政が逼迫していた時に、国の威厳と名誉を保つため(欧州では当時まだ小国であったプロイセン王国だ)300室もあるこの豪華な建物を建てさせるには、フリードリヒ大王もずいぶんと苦労し無理をしたことだろう。

 そこから広大な庭園を散策しながら、サンスーシ宮殿まで歩く。3月半ばの庭や草原、林の樹々はまだ緑に飾られておらず寂しい限りだ。ほぼ半時間も歩いただろうか、丘の上にサンスーシの建物が現れる。そこで驚きまた落胆したのは、宮殿前の有名な階段庭園にまったく色彩がみられないことだった。これまで数回訪れたのはいつも夏のハイシーズンで、色とりどりの庭の草花と壁をつたわって伸びるブドウの蔓に目を奪われたものだ。観光ハイシーズン前のため池の噴水も上がっておらず、訪れる観光客の数も少ない。

 この宮殿の主であったフリードリヒ2世(大王)は、啓蒙思想でもって政治を行い、文芸,詩作、音楽の作曲と演奏(フルート演奏家としても有名)、哲学等の学術文化を奨励した皇帝として知られている。それだけではない、彼は戦略家としても優れており、小国ながら18世紀にオーストリア、フランス、ロシア等を相手に7年戦争を戦い抜いたのだ。私もドイツ・プロイセン史のかなり長い一章を翻訳したことがあり、他の本も読んで興味を抱いたドイツ人皇帝の一人だ。関心のある方は、中公新書の「フリードリヒ大王」−啓蒙君主のペンと剣−(飯塚信雄著)が手頃な伝記なのでお勧めする。

 今回も宮殿のはずれにある皇帝の墓を訪れた。大きな墓碑も彫像も立っておらず、君主の墓としては実に質素で、一般庶民の墓地に見られるような簡単なものだ。そしていつ来ても必ずおいてある「ジャガイモ」が、今年もやっぱり飾ってあった!今ではドイツ人の主食の最重要物であるジャガイモは、実は南米ベネズエラやアルゼンチンが原産地であり、庶民の食生活を確保し、豊かにしたいという思いからフリードリヒが18世紀半ばに導入したのだ。初めジャガイモはドイツ人の不評を買ったらしいが、皇帝自らその栽培を推奨し、率先して食したといわれている。現在ドイツ人の食生活はジャガイモなしでは考えられないから、この民族はこんなところにもプロイセン王の恩恵を蒙っているわけだ。

5 件のコメント:

  1. 立派なサンスーシ宮殿と比べてフリードリッヒ二世の墓の何と質素なこと!そしてドイツ人の食生活とは縁の深いジャガイモが今も導入を記念して供えられている光景はユーモラスでさえありますね。ベルリンからはチョッと離れているようですがポツダムも訪れたいところです。

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  2. baabaさん、
    彼の墓でもう一つユーモラスなこと。この隣に数個の墓石が並んでいるけど、それがみな彼の最愛の友であった犬たちのものなのです。人間よりも犬の方が好きだったらしい!
    来独の際にはベルリンやポツダム等、ご希望に添えるよういろいろ計画に入れますから、どんどんリクエストを寄せて下さい。

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  3. ポツダムはアメリカ、イギリス、ロシアの3首脳が日本の第2次大戦週末時の相談に集まった所だと思います。戦中に幼かった私の素直な印象はあまり良くないです。でも統一ドイツになった後、一度旅行では立ち寄ったことはあります。緑いっぱいの広々した庭園の印象が残っています。宮廷跡は良い所でした。大阪の山さん

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  4. 先に出したコメントでミスがありました。
    訂正します。

    日本の第2次大戦終末処理の相談に~ です。ごめんなさい。大阪の山さん

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  5. 山さん、
    ポツダム宣言作成の会議がなされたのは、「チェチーリエンホフ」宮殿でした。そこの建物も立派ですが、今回は時間がなく見学は断念しました。会議室、宿泊室など回っていると数時間はかかりますから。それにガイド付き団体でいつもいっぱいです。

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