10月30日朝、東京を新幹線で出発し名古屋まで。そこから中央本線の特急で中津川まで行ってローカルバスに乗り換え着いた先は馬籠(岐阜県)です。待ち時間を入れ数時間かかった旅でした。なぜこんな場所を選んだのか…?
「中山道:江戸時代に江戸−京都間を結んだ主要五街道の一つ。木曽谷の森の中をぬうクネクネした山道が多い。その中でも良く修復・整備された馬籠から妻籠にいたる7.8kmのルートを歩くのは、日本旅行の最も印象的な経験となるだろう」。こんな一節を妻がガイドブックで読んで、ぜひ行ってみたいと言い出した結果、今回の旅行計画に入れたのです。
馬籠はこのルートの最南端の村です。バス停から予約しておいた民宿「馬籠茶屋」まで約100m、ものすごい傾斜の坂道をスーツケースを引っぱり歩くのに汗びっしょり。ここは全長600mの傾斜のきつい石畳道(自然遊歩道)の両側に数十軒の民家や店が並ぶ村で、島崎藤村の生まれ故郷として知られています。昼間は大勢の観光客で賑わいますが,夕方からは店も閉まり、人通りもぱったり途絶えます。宿に荷物を置いて早速村周辺の散策をしましたが、恵那山(約2000m)を背景にした秋の木曽の風景は思わず息をのむ絶景でした。
翌日は早速ハイキングに出かけることにしましたが、歩くことに強い妻は朝早く徒歩で出発し上りのコースを歩き、脚に自信のない私は後からバスで追いかけ中間点の馬籠峠で落ち合い、妻籠までの易しい下りのコースを一緒に歩くという、出発前にたてた計画は実行不可能だと判りました。秋季にはバスの運行が減らされ、午前中は11時近くまで一本もないのです。それまで待つのは時間の無駄なので、結局峠まで二人でタクシーを使い下りを一緒に歩こう、と決めました。
次に出た問題はタクシーの確保です。通りを流している車は勿論なし、電話するにも番号は分からずはたと困りました。ところがなんという幸運か、もう一軒の民宿の前に一台のタクシーが停まっているではありませんか!運転手さんに訊いてみると、それは前日から予約したタクシーで「お客さんは外人さん、今出て来るから峠までなら便乗させてもらえるでしょう。英語で交渉してみてください」と。それも即刻快諾され,数分後我々夫婦は標高801mの馬籠峠に立つことが出来ました。その上、その中年の夫婦は南ドイツから来た人であることが判り、車中ではドイツ語で話に花が咲きました!
「木曽路はすべて山の中である」とは島崎藤村の「夜明け前」の冒頭の句ですが、実にその通りで、午前9時から数時間歩いた道は終始山の中でした。紅葉を始めた森を通りしばらく歩くともう長野県に入っており、「無料休憩所」と看板の出ている建物に着きました。そこでは72歳になるホストが、淹れたてのお茶とお茶受けの漬け物、そして本場の「木曽節」で歓待してくれました。途中妻籠側から登って来る人にはまったく出会いませんでした。時には熊が出るとのこと、熊よけの鐘が所々に吊ってありました。
やっとお昼前に森を抜け視界が開け、妻籠の村が見えてきました。先を急がず妻がいろいろな木の種類を調べながらゆっくり歩いたからです。妻籠村は江戸時代の宿場の様子を最もよく維持している所と高い評価を受けています。何度も火災に遇い再築された馬籠に比べ、500mほど続く妻籠の家並みは統一感があり、江戸時代に引き戻された気持になります。
40年ほど前には廃村になる瀬戸際だった妻籠も馬籠も,古き良き江戸の時代を記念するべき場所として、いつまでも大切に保存されて欲しいものだと、心から願ったことでした。
三千男さん。中年ごろのゴルフ行きなど以外は木曽路はあまり出かけたことがなく、僕は地理不案内ですが、貴君の場合、ハイキングの登りでラッキーにもタクシー同乗(しかもドイツ人)ができて良かったですね。ハイキング場所は”御嶽山”からはいくらか距離もあるのでしょうが、噴煙など遠望できましたか。いくらか観光客にも影響があるのでしょうね。山並みでの気温などはいかがでしたか。大阪の山さん
返信削除地元の観光案内所では,峠から妻籠までは下りで1時間半という情報を得て多少軽く見ていました。しかし実際に歩いてみると、石を敷いた道は靴底を通して足にゴツゴツと当たって痛かったです。トレッキング用の厚い靴底が必要です。それに下り道はある意味で登りより脚に大きな負担をかけるものだということが判りました。御嶽山のことはやはり気になったので訊いてみましたが、距離は直線で30キロほど、噴火の際の火山灰が降ることはなかった、ということです。山の気温は暑くも寒くもなくウォーキングには最適である、と思いました。
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