今秋またまたボタ山行きが実現した。9月4日写真をつけて「ハニエルボタ山」のブログを書いたのだが、それを見て姪の家族が「ドイツじゃない外国みたいなすごい景色!」と感嘆し、自分たちもぜひ行ってみたい、と申し出たのだ。それで、日本人小中学校の秋休みの最週末の土曜日(10月20日)一緒に出かけることにした。この2,3日来TVの天気情報が「黄金の10月」とくり返し報道する、素晴らしい高温・快晴の日が続いていたのだ。
ここのボタ山については前回詳しく書いたので、ここではもうくり返さない。ただ1ヶ月半後の今の時期は、周囲の山や野の樹々が美しく紅葉し、山道は一面落ち葉の絨毯が敷き詰められており、以前とはかなり違った印象を与えられた。
若い子供たちは歩くのを全く気にしない。特に中学1年のKは「大人なんかと一緒にノロノロ歩けるか!」とばかり、山道を走り抜けボタ山の頂上まで10分余りで登り切って、我々が着くと「ずいぶん待ったよ!」と不平をこぼしていた。
色とりどりのトーテムポールの並ぶてっぺんから、すり鉢状の底を眺めると、その壮大さに改めて息をのむ。だらだらと下る脇のスロープに沿って下へおり、その途中ルール工業地帯を眼下に望む土手の草に座り、オニギリの昼食をとる。目の前に紅葉の森を眺めつつ素晴らしいピクニックランチとなった。
時間はまだ早いので、もう一つボタ山を見に行こう、ということになった。そこから25キロ弱離れたゲルゼンキルヘン市のラインエルベ公園内に「ヒンメルストレッペ」(天国の階段)という名のボタ山があるのだ。
町の中に駐車し通行人の女性に尋ねると、「あそこです、歩いてすぐですよ」と指差して教えてくれる。丘の上になにやらコンクリートで作られた像が立っているのが見える。これはヘルマン・プリガンという芸術家が作ったもので、名付けて「アズテク」。なるほど、古代メキシコの原住民の像を模した形をしている。高さは10メートルと聞いた。ボタ山自体は85メートルで、グルグルとゆるい螺旋状の広い幅の道がついているので楽に歩いて登られる。でも子供達はまどろっこしいと、草も生えていない急な傾斜を駆け上って行った。像のある頂上までは数十段のコンクリート階段がついている。
山の上からはこれまた絶景が楽しめる。有名なサッカーチーム「シャルケ」のアレーナ(ゲルゼンキルヘン市)、数個の火力発電所、ガゾメーター(旧ガスタンクを改造した美術館、オーバーハウゼン市)、テトラエーダー(大展望台、ボトロップ市)、エッセン市市庁舎等がパノラマのように眼下に広がる。
これで私にとって、今秋3回目のボタ山ハイキングとなった。ルール炭田地帯には、かつて栄えたドイツの工業の遺産である炭坑やボタ山、それに関連する旧施設が、まだまだ沢山残っているはずである。これからも機会あるごとにそれらを訪ね、当時の繁栄と栄光の跡や、そこで働いていた多くの炭坑夫(韓国人、日本人炭坑夫もいた)の苦労を偲びたいものである。