暗くなってから京都駅前で、素晴らしい音楽噴水を見つけました。いろいろなクラシック音楽に合わせ、噴水の水が上がり虹の7色のライトが照らされ、幻想的な雰囲気が醸し出されます。そこにしばらく立って動画を撮りましたが、結局「オモチャの交響曲」のがマアマアの出来となったのでここに掲載します。このブログ初めての動画掲載なので、うまく出来るかどうかちょっと心配ですが…。(この噴水の正式な名前はAqua Fantasy−水の幻想−であることがわかりました)
2011年11月26日土曜日
2011年11月25日金曜日
日本旅行2011(4)
京都の宿は駅のすぐ東側にある徒歩2,3分のセンチュリーホテルだったので、食事やショッピング等で京都駅へ出向く機会が多くあった。そして行く度にこの駅の凄さに度肝を抜かれる思いがした。
正面から見た印象は正直言ってあまりいただけない。高さを60mに抑え、建物を分断して反対側にも人間の視線が行くように考慮されてある(建物を通して向こう側も見える)というが、やはり圧迫感があり京都を2分する衝立ての感じをぬぐえない。裏側に住む京都人は取り残されたような気がして不満だろうな、と想像する。
ところが一旦駅の中に入ると、思わず感嘆の声を上げてしまう。横幅470mあるこの建物の東側はグランヴィルホテルが、西側はデパートの伊勢丹が占めているが、4000枚のガラスと幾何学的な鉄骨の大屋根が覆う吹き抜け構造の中央コンコースを先ずご覧ください!私は世界各国の駅をいくつも見て来たが、こんなスケールのものは見た覚えがない。吹き抜け最上部(地上45m)にある空中経路(スカイウエー)を歩くのもすごく楽しい。
吹き抜けから東西へ171段の「大階段」がついており、一寸した渓谷のようだ。これは高低差35mあり、11階建てビルに相当するという。この階段に沿って長いエスカレーターがついているが屋根はない。また屋上庭園も各所に備わっているがここも大空の下にあり、雨や雪の日、風の吹きすさぶ季節はどう使うのだろうとか、エスカレーターが雨ざらしになって大丈夫なのかと、建造計画した人は考慮しているだろうが、こっちは余計な心配をした。この階段を座席に使ってコンサートとか、駆け上がり競争のイベントが行われるという。
駅前に京都タワーが出来たとき、古都の雰囲気を壊す建物だと総スカンを喰らったことを思い出す。京都駅も歴史ある京都と未来に向かう京都の調和を図って造られたというが、やはり外見はハーフミラーやアルミ材をふんだんに使ったモダンそのものの造りの建物だ。古都の景観を破壊するものと、主に仏教関係の保守的な人々からの批判が沢山寄せられたと聞く。何をしても新規なものに対する批判は当然出て来るだろう。
私個人の印象としては、どこへも自由に入って行って見られるという、この駅の開放性というか、友好的な雰囲気が気に入った。スカイウエーの終点のドアを開ければ「ラーメンストリート」があり、日本各地の名店のラーメンが食べられる庶民的な面を備えている。ターミナルとしての駅本来の機能はもちろん、食事、買い物、ただの見物、そぞろ歩き等にも便利で楽しいし、なんと言っても未来志向のモダンなデザインに心奪われた印象深い駅だった。
今年もイタリア、カナダ、日本と、健康にも恵まれ3回の大きな旅行をすることが出来たことを感謝している。ドイツは(日本もそうだったが)もうクリスマスシーズンの開始で、街のデコレーションも揃った感じだ。「四季折々のドイツ」も日本旅行記を終え本来のドイツに戻り、そちらにブログ書きを集中させるつもりでいる。
2011年11月22日火曜日
日本旅行2011(3)
3.京都
これまで何度も訪れた京都はほとんどの場合、地元の知人の家に泊めてもらい、案内つきで町を見て歩いただけだった。今回は妻と2人だけで駅前にホテルを取り、ガイドブック一切なし行きあたりばったりの観光しよう、という計画だった。
先ず駅の中にある「京都ナビ」案内所へ。入り口で観光地図を渡している人、そしてカウンターに座る何十人というバイリンガルのヘルパーさん!その微に入り細にわたる、てきぱきとした気持ちの良い対応•案内の仕方に驚き感心し、旅行者として身にしみて本当にありがたかった。
最初計画した京都御所は生憎一般公開の日ではなかったので、その南にある京都御苑の植物を徒歩で観察した後鴨川を渡り、京阪電鉄で祇園まで行ってショッピングを始めた。やはり古都京都だけのことはある、この通りも東京銀座や横浜元町とはまったく違った、伝統的で垢抜けた雰囲気がある。
特に京都らしい古い木造の家が立ち並び舞妓さんが2人歩いている通りがあったので、東大路通りから東へ折れしばらく歩く。道行く人から清水寺まで歩ける距離だ、ということを聞いたのでそのまま南東へ進む。その途中見た、自然の岩石を使った塀の続く、人もあまり通らない小路のすばらしかったこと!
清水寺近くなると、さすがに人込みがひどくなり、土産物屋の客引きの声も騒がしい。この辺り着物の女性が沢山目につく。やはり京都だ!と感心していたのだが、近寄って話しているのを聞くと…。なんと皆中国語なのだ。すぐに疑問解決。あちこちに「着物レンタル、着付けつきで3500円」という看板が立っていた!すると、さっき見た舞妓さんもそうか?歩き方がなにかぎこちなかった!?
「清水の舞台から飛び降りるつもりで」というのは、単に思い切ったことをするための言い回しだけではなく、実際にやった人が沢山いたそうだ。この13メートルほどの高さの舞台から飛び降り無事だった人は幸運をつかむ、ということで、江戸時代に飛んだ人の数は234人、生存率は85.4%!茂った樹木がクッションの役目を果たしたのだろう。明治の初めからそれが禁止された。
翌日の観光は案内つきとなった!ブログ友達のMさん(たまたま11月8日は彼女の誕生日)とお母さんが奈良から出て来て遠来の客のために一日費やして下さったのだ。先ず亀岡駅まで行き「嵯峨野観光鉄道」(通称トロッコ列車)で嵐山まで。旧山陰線を使った路線の途中の景色は、保津川峡谷を通る絶景だ。はるか眼下に保津川下りの船も見える。車内の案内アナウンスは日中両国語でなされていた。
トロッコを降り、観光客の群れに混じって歩く。この辺り至る所に見られる、明るいグリーンで真っすぐに延びる竹林の見事なこと!これほどの規模の竹林はここだけだろう。その後立ち寄った世界遺産の天龍寺の森も有名な嵐山渡月橋からの景色も、暖かい今年の気候のため、期待していた燃えるような紅葉には少し早すぎ残念だった。
嵯峨野までタクシーで数分、ここの茶寮「弁治」は伝統建築保存地区にあり、美しい庭を眺めながらの湯豆腐お膳の昼食も絶品だった。そこから嵯峨野散策が始まり、途中化野念仏寺や落柿舎に立ち寄る。これまでガイドブックでしか読んでいなかったこの散策路の落ち着いた雰囲気は、忙しい観光旅行の気分をぐっと癒してくれる。沿道の店も客引きの騒がしい声がなく、並ぶ土産物も趣味の良いものばかりで、ついつい買いたくなってしまう。
散策の終点嵯峨嵐山駅から京都駅までJRで夕刻までに帰る。すばらしい計画と案内をしてくださったMさん母娘に「ありがとうございました、忘れられない一日となりました」と、心から感謝したい。
2011年11月17日木曜日
日本旅行2011(2)
2. 福島県、裏磐梯
妹夫妻に日本国内の小旅行を計画して欲しいと依頼したら、福島県の裏磐梯を提案して来た。「福島県」と聞いて初めは躊躇したが、ホテルも通常通り営業しているし観光客もかなり来ているので別条ないだろう、それに今の時期福島という所を自分の目で見てみたいという関心もあったのでそこへ行くことに決めた。
東京駅から9時前に東北新幹線で郡山まで1時間強、そこからレンタカーで北へ1時間半。昼食時にはもう目的地のホテル、グランデコに着く。ここは有名なスキーリゾートだが、今のシーズンはホテルの裏庭から山上までゴンドラが運行しているので、さっそく活動開始した。ゴンドラの窓から見るカラマツ林は、紅葉の最盛時季は少し過ぎているがまだまだ美しい。冬のシーズンにはスキーヤーはこの山上から、傾斜のあるスロープ(中級から上級か)を滑り降りるのだろう。
山の上では尾根に沿って散策路がついている。クマザサが至る所に生えていて、「熊に注意」の標識がたっている。我々を追い越して行った若人のグループは皆腰に熊よけの鈴をつけていた。幸い熊には出会わなかったが、ホテルの庭には早朝沢山の野生猿が来て木に昇り木の実を食べているのが見られた。ホテルの露天風呂にも猿は出現するらしく「猿と目を合わせないで下さい。危険です」という張り紙がしてあった。
翌日はこの地方で最も有名な観光地「五色沼」へ。この辺りに散在する湖沼群は明治20年代の火山の大噴火の結果河川が埋められて誕生したもので、総数200−300に達するという。我々は五色沼入り口である毘沙門沼から裏磐梯高原バス停までの全長3.6㌔に及ぶトレッキングコースを歩く。目の前に次々現れる沼の水の色は、緑、青、水色(コバルトブルー)、茶、赤と、太陽の光の具合や、水質の違い、水中に生える植物や藻の種類によって様々に変化するが、その美しさはとても言葉では表すことが出来ない。ご自分で現場へ行くか掲載した写真で見ていただくよりほかないだろう。
五色沼の散策路は4キロ足らずだが、途中で休んだり写真を撮ったりしたので1時間半以上は費やしただろう。最終点からはタクシーを使って駐車場まで帰ったが、「東日本大震災後観光客の数は激減しました」と寂しげに運転手が話していた。
それはホテル、グランデコでも同様。震災により、東北新幹線は不通、自動車道も寸断されたので1ヶ月閉館に追い込まれた由。これから始まるスキーシーズンに備え、ロープウエーは11月5日で営業終了し25日をめどにスキー客受け入れの準備にとりかかる、しかし今年の天候が暖かなので果たしてそれが可能かどうか心配だ、とマネージャーが語っていた。(昨日15日のインターネットには雪が降り始めた、というホテルの嬉しいニュースが載っていた。これでホテル営業も活気を取り戻すことだろう)。
今年は災害で大変な損失を蒙った福島県の人々をお気の毒と思う。でもどこへ行っても皆さんが健気に働いておられる様子を目の当たりに見てこちらの方が元気づけられたほどだ。郡山駅で買った駅弁にも「がんばってます!福島!!」の文字を発見した。あれから数ヶ月、寒い東北の冬がやって来るので生活はますます厳しくなることだろう。遠く異国の空から一日も早い復興を祈っている。
2011年11月14日月曜日
日本旅行2011(1)
1.東京
これまで東京滞在ではお茶の水にある「私学共済会」のガーデンパレスホテルを使っていたが、今回は六本木にホテルをとり数日滞在したので、この界隈を隈無く歩き回ることができた。中でも印象的だったのは「六本木ヒルズ」と「森タワー」だった。この地区は1980年代に都市再生の目的で計画•建設が開始され2000年代初期に完成したが、以来モダンな東京の目玉となっており、毎年4000万人以上の人が訪れる。
54階建ての「森タワー」の展望台シティービューに登って上から見物する。赤い「東京タワー」と高層建築物の並ぶ東京は目の下、はるか遠方には東京湾が。夕焼けを背景にした富士山も遠くに望むことができる。
ヒルズから「東京ミッドタウン」を通り北西の方角に全面ガラス張りでキラキラ光って見える建物は、黒川紀章のデザインした「国立新美術館」だ。折から「日展」が開催中と聞き出かける。 100年以上の歴史を持つこの公募展は、現在洋画、日本画、彫刻、美術工芸、書の5部門に分かれ、今年度の応募者数は1万4000点ほど、入選者には101歳から18歳までの人が含まれるという。最初の洋画と日本画にかなりの時間を取られ、彫刻の部屋に入ったころ我々夫婦はもう歩き疲れ疲労困憊の状態。これだけの規模の展覧会は半日だけではとても足りない。なにはともあれ、これだけの大作をもって応募する人が、日本にはこれほど大勢いることを知り驚くばかりだ。洋画の作風が保守的なのに対し、日本画の方に思いがけなく突飛なテーマや描き方が見られたのは意外だった。
翌日はがらりと趣向を変え「築地市場」へ出かける。ここ世界最大の卸売り市場の競り市は午前4時ごろから開かれるということだが、最近は見学者が多く本来の仕事の邪魔になるのでかなり敬遠されると聞く。我々はゆっくり都営地下鉄大江戸線で10時頃出かける。大規模な取引きビジネスはとっくに終わっている時刻だが、場内には特別な運搬車がひっきりなしに走り回り、まだ忙しく働いている人の数は多い。
今日のお目当ては魚河岸横町の見学と新鮮なネタを使った寿司を食べること。我々は観光客の群れに混じり適当な店を探し求める。「早朝の時間帯なら、ゴム長靴を履いた人が入っている店がいいのですが…」と、雑貨屋の店員さんが教えてくれる。築地で働く人は、どこが良い店か知っているからだ。でも、今の時間ではそれは無理、なるべく長い列を作って人々が待っている店の前に並ぶ。待つことしばし、やっとありついたのは「まぐろ、ウニ、(イクラ)」丼で値段は味噌汁、小付け、漬け物つきで1450円だった。
ここで印象的だったのは、どの店の人も観光客に対し本当に親切だ、ということ。いろいろ興味をもって尋ねる遠来のドイツ人の我が妻の質問に、忙しい仕事中にもかかわらず、いやな顔もせずお茶屋さんのお兄さんも鰹節屋さんのおじさんも実に丁寧に説明をしてくれたのはありがたかった。
この数日、どこへ行っても外国人観光客の数の少ないのに気づいた。中国人客数はまあまあだが、欧米人はめったに見かけないのだ。やはり東日本大震災の影響なのだろう。
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