私がパステル画を始めたのは30年以上も前のこと。その動機は何であったのか、はっきり思い出せない。娘のクレヨンでいたずら描きしていたら、案外良い調子で風景画が出来たのに気を良くしたのだったか?小中学校以来絵など一枚も描いたことがなかったのに、突然の絵心が湧いたのは不思議だった。
油絵は仰々しいので避け、画材屋でパステルを一箱買い、「ホビーとしてのパステル画」という100ページほどの入門書を読みつつ毎日塗りたくっていた。それ以来本も買わないし、絵の先生についたことも絵画教室に通ったこともない、全くの我流である。
その内絵のテーマとして娘たちの顔を描くようになった。と言っても小さな子供を何時間もモデルに座らせることは無理で、専ら映りの良い写真を模写したのだが、それが病み付きとなって以来9割以上は人物画、すなわち肖像画が占めることになった。
(まったくのフリーハンドで描いた孫たちの鉛筆画。使った色は白のみ。Schmincke社パステルの白は最高の白!)
肖像画は似顔絵ともいうように、似ていなくては意味がない。ところが何の技術的訓練もない者が描いてもおいそれとは似てくれないのだ。たまたま偶然に似ることはあるがそれもめったにない。子供の顔を描いても若い20代の女性になったりした。
ある時イタリア映画だったか画家を取り扱った作品で、主人公が格子状になった4角の枠を目の前にかざし、それを通してモデルの顔や身体のプロポーション(大きさ、釣り合い)を計りながら描いているのを見て「これだ!」と思った。その後世界の名画画集などでも,ミケランジェロやゴッホでも有名な画家が補助線や枠を使って自分の絵の釣り合い等を決めていることを発見した。何もない紙やキャンバスの上にそのまま描く必要はない、縦横の線や枠を助けとして用いてもそれは決して邪道ではないことに気づいた。
(無邪気でまた神秘性も感じさせるフェルメールの「真珠の耳飾りの少女−青いターバンの少女−は、何度でも挑戦したくなる魅力ある絵だ)
それ以後私もそんな方法を使って肖像画を描いているが、これで「似させる」ことがずっと楽になった。オランダの画家フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」の素晴らしい表情に魅せられて、これまでに何枚か模写した例を挙げると…。補助線のおかげで大体の輪郭は似た。この過程をある日本の画家は「客観的な段階」と呼び「これで誰でもお手本と似た絵が描けるのです」と言っている。そうすると、色を施し陰影等をつける段階は「主観的」となるのだろうか?「真珠…」の場合色をつけ完成させた後、額から目はかなり忠実に出来上がったと思ったが、どうしたわけか鼻から下が数ミリ長くなって、顔全体の感じが変わってしまった。それでこれをボツにして、今度はターバンの黄色の部分もすべて描き込んで完成させた。鮮やかな油彩画の頬や目の輝きはパステルの色調ではどうしても達成出来ない。それに全体の明るい表情に似させるにもまだまだ手が届かないでいる。輪郭だけではとても到達できない道のようである。
娘たちの世代の段階を経て今はもっぱら孫たちの顔を描いている。これまでに何十枚描いただろうか,百枚に達したか?良く撮れた写真をお手本にしているのは以前同様だ。沢山ある写真でも「これだ、この表情だ!」と、まず自らが感激し熱中し霊感を受けなければ決して良い作品は生まれないことが判った。我が家の各部屋の壁にはそんな絵が(ずぶの素人のまずい絵が)あちこちに飾られている。その前で満足しているのは本人のみでまったくおめでたい限りではあるが、しばらくは止めることはないだろう。