Follow by Email

2015年10月31日土曜日

遂に新装開店!


 Immermannstr.の至る所に立っていた黄色の柵がほとんど取り除かれ、車も人もスムーズに走り、歩けるようになりました。いよいよトンネル開通の時期が迫って来ているようです。









 それに先立ち11番地に「丸安」の新しい店が開きました。Oststr.の店を立ち退いたのが今年の初めでしたから、半年以上の時間が経過したことになります。今度の店は本格的レストランも併設されているので、その許可とか設備充実に思ったより時間がかかった、と聞いています。

 1026日(月)正午、私は開店時間直後に入店しました。入り口は2つありますが今は南口しか入れません。店そのものは縦長のコの字型になっており、入ると左側に持ち帰りのお寿司などのガラスケースがあります。持ち帰らずその場で食べる人のための椅子とテーブルも右側に並んでいます。









 奥の正面は天婦羅カウンターとなり、以前の日本館のシェフUさんが目の前で揚げてくれます。その後はガラス張りで、料理をするコックさんたちの忙しそうな姿が見えます。明るい照明と広々としたスペースで、カウンター席は本当に快適です。そしてコの字のもう一方の側はレストラン料理を食べるための席がゆったりと並びます。

 私は最初の日のお昼に一人でエビ天丼を、そして次の日には妻共々天婦羅定食を食べに出かけました。ああ、あの懐かしい揚げたての天婦羅をドイツの地で味わえるとは!満足感で一杯になりました。

 開店早々で働いている人々(特にレジ係)は新しいシステムに慣れないのか、支払いの人の列ができました。それと日本の高速道路サービスエリア等でセルフサービスに使われる機器(携帯型で席に持って行き、料理ができたら呼び出されとりに行くもの。何という名前でしょうか?)が徹底せず、それを手にする人と、ウエイトレスに直接注文した人とマチマチで,客も従業員も一寸戸惑い時間がかかっていました。しかし新装開店の場合はよくあることで理解出来ます。来週くらいからは正常に戻るでしょう。

 明るく快適な店内、そしてどの壁にも趣味の良い絵がかかっている!これまたオーナーの良いセンスの現れでしょう。Kö-Bogenからも徒歩ですぐの場所ですから、これから顧客も増えるに違いありません。益々のご発展を祈っています。


追記、また今日土曜日(31日)の昼食に「丸安」に入り上記のセルフサービス機器を使いました。これの名称はLRS(Long Range System=広範囲システム)となっていました。注文品が出来た時ピカピカきれいに光って知らせてくれました。以前メッセなどで使っていたpaging(呼び出し)システムと同じですね。

2015年10月26日月曜日

ウイーン旅行 4


 ウイーン旅行も終わりに近づきました。残念なことに天候には恵まれず、雨と寒さに悩まされた数日となりました。しかしそんなことで旅の楽しみは殺がれません。雨風の日には美術館とか博物館とか、屋内でいろいろ見たり学んだり出来る施設が数多く揃っているのがこの町です。










1.Spanische Hofreitschule(スペイン宮廷乗馬学校)
 ここは16世紀以来スペインから導入された馬を調教している訓練施設です。週末には大規模な公演がありますが、平日も10時から「朝の訓練」が行われ一般公開されているので見学に行きました。沢山の白馬(グレーの混じったのもいる)が音楽と共に登場、調教師の指導の元砂地の馬場でゆっくり歩いて足慣らしです。しばらく見ていましたが少々退屈しました。 数分毎のアナウンスは「写真、ビデオ撮影はご遠慮下さい」と言うだけで、今何をやっているのか、どういう調教が必要なのか等々何の説明もありません。30分もそれが続くと,他の人も同じように感じるのか、席を立つ観客が増えました。おまけに馬アレルギーのある私と娘は涙目とくしゃみの連続で早々に退散しました。









2.Haus der Musik (音楽の家)
 ウイーンはやはり音楽の都です。割合新しい2000年創立(名誉館長は指揮者のズービン・メーター)のこの博物館は音楽ファンには見逃せないものです。入り口から2階に続く階段は鍵盤になっていて,人が歩くと音が鳴り出します。このことから判るように、ここの展示物には最新のエレクトロニクス技術を駆使した音響学的なものが沢山そろっており、サイコロを振ってのメロディ作りとか、大スクリーンに現れるウイーンフィル交響楽団をセンサーつきのタクトを振って指揮するなど、見学者は子供も大人も自分でいろいろ音を作り聴き楽しむことが出来ます。古典音楽の都ウイーンのことですから、「巨匠の部屋」ではハイドン、モーツアルト、ベートーベン,シューベルト等それぞれ一室が備えられ、彼らの音楽についていろいろ学ぶことが出来ます。(興味ある方はYou Tube の hausdermusikをご覧下さい)













3.Natur Historisches Museum (自然史博物館)
 ウイーン最終日も雨でしたが、ホテルから徒歩数分で行ける自然史博物館へ出かけました。元々王侯貴族の建物であったのでその外観も内部は驚くほど豪華です。人類学、動植物学、鉱石学、海洋学、先史時代、恐竜時代等々の分野に別れ3000万点の展示収蔵物を持つこの博物館は一日ではとても見切れません。我々も足早に見て回りましたが、ディノザウリアの骨を見たかったパパ、貴金属の原石に関心のあるママ、可愛い小動物の剥製に夢中の子供たち、皆それぞれの希望は十分にかなえられた数時間でした。











4.ウイーン名物の食べ物、飲み物、お菓子

 ウイーンへ行ったら絶対に本場の味を、と意気込んで注文したのはWiener Schnitzel(ウイーン風カツレツ)。日本のレシピでは豚肉も使っていますが、本場では必ず仔牛肉を使うようです。お皿からはみ出るほどの大きさに驚いたり喜んだり。
 町の至る所にあるのがカフェ。それが例外なく込んでいて入り口で列を作って待たされます。旧宮廷御用達だったDemelに行きましたが長蛇の列で諦めました。でも他の店でもウイーンカフェの雰囲気は十分に味わえました。
 日本の旅行ガイドにも必ず載っているチョコレート菓子のザッハトルテ。その本店とホテル、カフェは我々のペンションホテルからわずか数十mのところにあります。最終日娘はドイツのお友達のため買いに走っていました。日本までは一寸時間がかかりすぎて送れないのが残念です。

 このようにして56日のウイーン旅行を大いに楽しみ、良い想い出となりました。さて来年はどの町を訪れようか、今から夢が広がります。

2015年10月21日水曜日

ウイーン旅行 3


 ウイーン3日目(1012日)になって気温がグッと下がりました。なんと34℃という冬並みの寒さ、それに肌を刺すような寒風も吹いていたのです。ホテルを一歩出てすぐ「これはたまらん!」と震え上がり、部屋に戻り上下ともに長い下着をつけ厚いセーターも着込みました。












 その日の目的地はPrater(プラーター)です。そこは大観覧車で知られる一大遊園地ですが、これまた元は貴族の領地であったものが住民のために払い下げられたのです。この観覧車が世界に知られるようになったのは、1949年に制作された映画「第三の男」によるものです。私も高校生の頃見た覚えがある黒白の映画で、つい数週間前テレビで放映されることを知り録画の用意もしたのですが操作を誤ってとり損なったのは残念でした。

 光と影の効果を上手く使った印象的なその映画の中で主役のオースン・ウエールズとジョゼフ・コットンが会う場面がこの大観覧車の中です。戦後の混乱期で東西を結ぶ位置にあるウイーンは、当時米英仏ソ4カ国の軍隊が分割統治する都市であり、映画のテーマも密輸か何かを取り扱ったものだった、と覚えています。

 それから半世紀以上も経ち観覧車も何度か改築されたはずですが、14人乗りゴンドラは当時と変わらない大きさです。中にはテーブルを置いて食事の出来るものもあります。ゆっくり半時間かけて空から見たウイーンの町の遠景は印象的でした。目の下には遊園地の数々の乗り物が広がっており、そのスケールはライン河畔のキルメスを凌ぐほどです。でもその日の寒さと週末明け月曜の午前とが重なってほとんどが開店休業の様子、客はまばらで盛り上がらず、孫たちは23の乗り物には乗りましたが長居は無用とばかり早々にプラーターを去りました。









 お昼過ぎに着いた第2の目的地はNaschmarkt(ナッシュマルクト)です。ここは18世紀末に農民が主に酪農製品を売る市として始めたもので、2300ヘクタールの敷地に現在123ほどの常設スタンドが並びます。売られている商品の主なものは果物、野菜、パン類、魚、肉等ですが、それらの素材を使った加工製品も目につきました。私が最後にここに来たのは2003年のことですが、マルクトの様子がかなり変わっていることに気づき驚きました。以前はもっと素朴で庶民的な感じのスタンドが並んでいたのですが、今ではほとんどが明るく飾られ陳列ケースもガラス張りのものばかりです。

 変わったのはそれだけではありません。以前にはなかった飲食店が沢山営業しているのです。2000年を境にレストランの開業が続きこれにはいろいろ苦情が出て、市当局も2005年に一時スタンドをレストランにすることを禁じましたが、すぐその翌年再許可を与えたそうです。それだけでなく夏期には真夜中まで営業許可され、普段は午後6時頃で閉まるスタンドの方も夜間営業をしています。私たちもイタリアレストランでパスタの昼食をとりましたが、スペースの制限はあるものの内部は立派なテーブルと椅子を備えた快適なものでした。

 遅い昼食を終えた頃から太陽が顔を出し、気温も少しずつ上がって気持も盛り上がってきました。孫たちは午前中に乗り残したプラーターのことが残念で「もう一度行こうよ!」とせがみましたがそれは別の日にして、となだめ帰りました。

 お昼にレストランを使ったので、夕食にはマルクトで買い入れた大きなパンに各種チーズ、オリーブ、ディップソース、魚介類(タコと香草入りオリーブのマリネー)、野菜、果物、ビール、ワイン、ジュース等々を持ち帰り、ホテルの部屋で7人全員のピクニックとなりました。

2015年10月18日日曜日

ウイーン旅行 2


 旅の2日目(1011日)は日曜日、ウイーン旅行の目玉「シェーンブルン」宮殿の見学に出かけました。ヨーロッパの歴史を形成した2つの要素はキリスト教と各国の王朝だった、と言われます。その中でも東欧・西欧に及ぶ汎欧州的な統治範囲と700年の長い権勢の期間を誇ったハプスブルグ家の宮殿はこの旅行で絶対見逃せないものです。









 ホテルを出て左に曲がるとすぐオペラ劇場、その前に最寄りの地下鉄Karlsplatz駅があります。この日から始まる市内各地区への交通機関のため「ウイーンチケット」を旅行センターで買い入れました(72時間有効で21.90€)。これは博物館、劇場、商店、レストラン等での割引がつき15歳までの子供は無料となる便利な切符です。ウイーンの路面電車はほとんどが古くさい旧式車両のものが走っていますが、地下鉄は駅が明るく、行き先の路線案内も色分けしてあり大変判りやすいです。









 日曜で込むだろうと思い早い時間帯に着いたのですが、すでに大変な人の群が長い列を作っていました。我々は30分も列に並んでやっと見学者のグループに加わりました。周囲から聞こえて来るのはドイツ語の他に聞き慣れない外国語,恐らく東欧のチェコやハンガリーの言葉でしょう。この長蛇の列を見ていると、最近テレビでよく見る避難民の列の光景と重なってきました。今日も戦火を逃れ飲まず食わずで、ここからさして遠くない国境を越えてオーストリアに入って来る人たちがいる、一方我々は旅の楽しみのためここに列をなしている、なんと不公平な世界か…、そんな思いが胸を痛め罪悪感に似たものに襲われました。

 1400室もあるシェーンブルン宮殿ですがその日のオーディオガイドを使っての見学プログラムは40室、それぞれが特色ある造りと装飾に覆われ,「黒檀の間」、「謁見の間」、「中国の間」等と名付けられています。有名な「鏡の間」は神童モーツアルトがマリア・テレジア女帝やマリー・アントアネット王女の前でピアノを演奏したことで知られています。そんな豪華な部屋の数々も写真撮影禁止なので一枚も撮ることができず、ここに掲載出来ないのは残念です。

 ハプスブルグ家が強力となるためとった政策は、各地の王家と結んだ結婚政策でした。そのため「産めよ増やせよ」を実行したため宮殿内にはいつも沢山の子供たちでいっぱいでした。マリア・テレジア自身16人の子供を生んだ女傑でした。そして女の子はローティーンの年齢に達すると世界各国の王家に嫁がされた結果、この王朝の勢力拡大が進んだのです。そんな伝統からか、構内には子供のための特別博物館もあります。うちの孫たちも興味を惹かれそちらにも入場しました。面白かったのは、着せ替え人形よろしく来訪者が自由に衣装を選び王様、女王様、王子・王女様になれる部屋があったこと。そこで皆が衣装をつけ鬘を被りあれこれアクセサリーをもって王族一家になり記念写真を撮りました。

 宮殿の外はほぼ1km四方の大きな庭園で,色とりどりの花の咲くフランス式花壇が続き両端は森や迷路の庭、動物園、植物園があります。庭園の端にはギリシャ神話ネプチューンの噴水が高く水を上げ、小高い丘の上には対プロイセン戦役で没した兵士のためのグロリエッテと呼ばれる建築物が聳えたっています。









 そこで遅い昼食をとった後、トロッコ風の車両数台からなる観光列車に乗って出口まで帰りました。朝早くから何時間も歩き続けた結果おじいちゃんはうとうとしてしまい、途中この宮殿の名称シェーンブルンの元になっている森の中の「美しい泉」(Schöner Brunnen)の前での説明もほとんど耳に入らず,見逃してしまったのは不覚の至りでした。

2015年10月16日金曜日

ウイーン旅行 1


 今ドイツの学校は秋休みです。それで例年通り3人の孫とその両親を連れての休暇を計画しました。この2年間に東京、ベルリン、ロンドンと各国の首都を巡る旅行をやってきたので、今年の目的地は彼らの誰もまだ行ったことのないオーストリアの首都ウイーンと決めました。 


 デュッセルドルフ・ウイーン間は飛行機で1時間20分の近い距離です。ウイーン空港から市の中心まではCAT(City-Airport-Train)という快適なノンストップ快速電車が走りわずか16分で着きます。我々全員それぞれ重いスーツケースはありましたが、駅からホテルまで,市立公園を通って歩きました。この公園にはウイーンに関係のある有名な音楽家たちの銅像があちこちにたっており、この音楽の都に来た!という感激に浸りたいため、数キロの距離はありましたがあえて歩くことにしたのです。これこそウイーンと思わせるすばらしい公園を訪れ、中でも金ピカに輝くヨハン・シュトラウスの銅像の前で記念写真を撮ったのは、旅のスタートとして良い想い出となりました。










 我々の宿舎アヴィアーノ・ペンションは、町のど真ん中の歴史的風格のある建物で、直ぐ横の繁華街ケルントナー通りに沿って建っており、シュテファン大聖堂まで750mという便利なところにあります。その外観も内部もいわゆるパトリチア(中世都市貴族風)の造りで,何か厳粛な気分にさせられます。










 着いた日(1010日)の最初の行動として、先ず週末の観光客で溢れるシュテファン寺院に入り、親族の物故者たちのために何本かのロウソクに灯をともし捧げました。寺院の回りに列をなして客を待っているのは,2頭だての市内観光用の馬車です。この馬車はフィアカー(Fiaker)と呼ばれますが、それはここの町に限られ使われます。この名は以前から聞いていましたが、その由来は知りませんでした。しかし今回ペンションの図書館で「ウイーンの方言」という本を見つけ遂にその意味が判りました。この語は元々フランス語であり、パリの貴族が知り合いのために提供した馬車に聖人Fiacreの絵がついていたのを通行人が「フィアカーの馬車だ!」と言ったのです。それがウイーンに伝わり、ここですべての馬車をフィアカーと呼ぶようになった、ということです。









 さて3人の孫を連れ半時間、石畳の道路にガタガタと音を立て揺れながら走る馬車の市内観光は、ウイーン最古の飲み屋、歴史の跡が感じられる邸宅、人出の少ない小路を通り、この町ならではの興味深いものとなりました。



 しかしフィアカー営業には問題が山積みしていることが知られています。先ず動物愛護協会からは全面禁止をしろ、という要求が出ています。年中観光のため馬を走らせるのは動物虐待であるということで、もう現在も酷寒の時期はやっていません(御者の収入ゼロになる!)。それと町に溢れる自動車と観光客の群の中をトコトコ馬車を走らせるのも御者にとって大変なことのようです。


 事実我々の滞在中にも、車のクラクションに驚いた馬が暴走し馬車が転覆するという事件がありました。幸い乗客には怪我がなく馬も警官が取り押さえたと新聞記事が報道していました。道理で建物や小路の説明をしている間にも我々の御者の口からは,自動車や歩行者に対する「畜生、気をつけろ!」という激しい言葉が度々出て来ました。実際馬車の上から街を眺めて,大変な仕事だろうなとうなずけました。だから初め「高いな!」と思った30分足らずの観光に55ユーロという料金も、乗った後では順当かも知れない、と思ったことでした。

2015年10月5日月曜日

「魚市?」日和


 旧市街ライン河畔で開かれる「魚市」に久しぶりに出かけてみた。 我々が最後に行ったのはもう何年前のことだろう。今年の開催はこれで4回目になり、良い天気に恵まれた今日の日曜日(4日)は相変わらず大変な人出だった。









 この催し物は15年前の2000年夏に始まったものである。当時私が毎月担当していた「ドイツニュースダイジェスト」(2000617日号)誌の「ドイツ遊歩道」欄に「デュッセルドルフ待望の魚市」というエッセーを書いた。計画したエージェント会社RehinLustの社長に会い書いたインタビューも残っている。

 会場は州議事堂を過ぎ今よりずっと南のハーフェン地区のKaistraßeで、現会場の半分以下の長さだった。最初の開催日72日は大群衆と混乱さで身動きできないほどで、ゆっくり買い物も出来ない状態だったことを今でも覚えている。

 











 エルベ河沿いのハンブルグの魚の朝市の向こうを張り、ライン河を背景にここでも同じような魚市をと計画が立てられた結果、30数店が参加し新鮮な魚を売れる業者8店も駆り出されることになった。その中に私のモロッコ人の友人シャラック氏もおり、当時の彼のやる気満々に溢れたコメントが載っている。曰く「世界各地から最高品質の魚を集め、寿司ブームに乗って寿司バーも出し新鮮なところを握ります。その他フィッシュスープや、ドイツ人の珍重する燻製魚もいろいろ揃えます」。ところが結果はさんざんだった!内陸のこの町は、岸壁に船が着いて魚を運び込めるハンブルグとは異なるのだ。日曜朝に鮮魚を買って帰ろうと思う人は、ここにはまあいないと言っていいだろう。売れ残った鮮魚を持て余した彼の店は2回目以降「魚市」からまったく姿を消してしまった!









 今朝行ってみて再度考えた。「魚市」(Fischmarkt)という名称が果たして適当だろうか、と。混乱を避けるため、何年後かにハーフェン地区からアルトシュタットに移転して売り場面積も店数も数倍に延びたが,今朝見た限りでは新鮮な魚を売っている屋台は、ワインをつけ生ガキを食べさせる店を除き一つもなかった。魚を扱っているオランダ人の数軒の屋台はすべて白身魚やイカリングを揚げて売り、客はその周囲のベンチに座るか立ち食いをしている。パンフレットにあるような生の蛸の脚や貝柱はどこで買えるのか?写真をご覧頂ければ明らかだが、食べ物屋台とその他の商品の屋台との割合は半々となっているのを見た。あれやこれや目にすると「魚市」の看板に偽りあり、と言わなければならないだろう。

 







 15年前の計画では毎月第一日曜日に開きたい、と主催者側は言っていた。 当時「やはり日が長く暖かい時期だけの催しものとなりますね」と訊いた私にエージェントは「とんでもない、各地の蚤の市は冬でもやっているではありませんか。寒い時期でも十分続けられる企画です。上手く行けば1年を通して毎月やるつもりです」と強気でいた。 現状では7月から11月まで月1回(年5回)の開催となっている。後にケルンにまで進出した「魚市」は年4回のみとなっている。開催頻度もこの辺りが限度だろう。

 







 新鮮な魚は買えなくても定着した「魚市」の名は続けて使って行くのか?それよりも「河辺の市」とか「ラインの流れ沿いの買い物を」とかの方が現状に合っているのではないだろうか?また久しぶりにエージェントの女社長さんに会っていろいろ話したい気持になっている。