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2012年6月28日木曜日

ルターとバッハ


 チューリンゲン州には 文化と交易で栄えた州都エルフルトを初めドイツの歴史上重要な都市が沢山ある。ゲーテ・シラーが活躍し、また憲法でも有名なワイマール、精密光学機械カール・ツァイス社のイエーナ等も挙げられる。

 今回の休暇は森と山野を中心にしたので、あまり沢山の町を訪れることが出来なかった。それでも「ヨーロッパのおじいちゃん」と呼ばれるゴータ(この町の貴族から欧州各国の皇族、王族を送り出した)や、小規模の町ながら10ほどの美しい公園や庭園をもつバート・ランゲンサルツァ(ここでは日本庭園やバラ園を訪れる)の町は、短い時間ではあったが見ることができた。

 もう一つ、かなりゆっくり時間をかけて歩けた町はアイゼナハだった。この町と切っても切り離せない歴史上の人物は宗教改革者のマルティン・ルターと楽聖ヨハン・セバスチャン・バッハだ。

 ルターは15歳の時から3年ほどこの町の教会付属学校で勉強するため、母方の親類の家に身を寄せていた。それが今日「ルター・ハウス」として残っている。彼は優秀な生徒で、ラテン語を読むことは勿論、それを自由に話し、書ける能力をもっていたという。

 町から見上げる小高い丘の上にあるのが、ワグナーの楽劇タンホイザーでも有名な「ヴァルトブルグ城」である。ルターは宗教改革を始めた初期に反対勢力の手が延びて捉えられそうになった時、この地方の貴族によりこの城に匿われ聖書のドイツ語訳をしたのだ。そのおかげでドイツの一般庶民も自国語で聖書が読めるようになったのである。今日城内にルターの部屋が残されている。

 バッハは1685年に宮廷音楽師の子としてこの家に生まれ、ここから徒歩で数分のところにある聖ゲオルグ教会で洗礼を受けた(その洗礼盤は教会の祭壇に残っている)。彼の生家は今日「バッハ・ハウス」の博物館として一般に公開されている。旧い建物の方には当時の鍵盤、管、弦楽器を初め、自筆の楽譜などのコレクションが展示されている。日曜の午後には、博物館の館員による古い鍵盤楽器の説明と演奏があり、来訪者の耳を楽しませてくれた。

 新館の方の造りはすごくモダンであり、その設備の優秀さと贅沢さに驚いた。バッハ作品の解説にはすべてi-Pod方式の機器とイヤホーンが備えられており、キーを押すだけで解説の音声と楽曲が流れるようになっている。そのいくつかに「東京バッハ・コレーギウム」の合唱団の曲も入っていることに気づいた。日本のグループの演奏が本場バッハの国の、しかもこの生家の博物館にまで使われていることは、バッハ作品の解釈が正しく、かつその演奏技術が優れていることの証明であろう。このことに驚くと共に大きな誇りを感じた。

 長時間の見学に疲れて腰を下ろしたのは博物館にあるカフェ「カンタータ」。これはバッハの「コーヒー・カンタータ」から名付けたものだろう。そこで飲んだエスプレッソとカプチーノは実に美味であったことを付け加えておく。

2012年6月21日木曜日

テューリンゲンの森


 
 数日間ドイツ中央部にあるテューリンゲン州で休暇を過ごした。この州名からすぐに「テューリンゲンの森」が思い出されるように、ここは古い森、それもいろいろな種類の樹に囲まれた原始林に覆われた土地として知られている。今回は植物に大きな関心を持つ妻の長年の希望にそって私もついて行くことにした。

 先ず訪れたのはハイニッヒ(Hainich)国立公園にあるBaumkronenpfadで、直訳すれば「樹の梢の散策路」となるだろうか。すなわち森の樹々を下からではなく、上から観察するための地上約20mに備えられた施設である(2005年開設)。さんさんと降り注ぐ太陽の光のもと、ブナやカシ、ボダイジュなどの大木がゆらゆらと風になびく様子を見ながら散策するとき、まるで緑の海と波に浮かんで歩いているような気分になる。風に吹かれてざわめく樹の葉の音を背景にいろいろな鳥がしきりに鳴き交わす声。この高さからは樹や鳥ばかりでなく、その他の昆虫や蝶、山猫などの小動物まで観察することが出来、専門家の研究者、森管理人にも役立つという。この路は車椅子やベビーカーの人でも上がれるし、途中にはモダンな屋根とベンチのついた休憩所も備わっている。

 この散策路の終点にあるのは高さ40メート余の観察塔である。散策路よりさらに高い所から樹の観察をし、また周囲の町や村の遠望を楽しむことが出来る。キラキラと輝く樹の梢のかなた遠くの丘の上には何十基と並ぶ風力発電のための風車が見えた。

 妻のもう一つの希望は、今では珍しくなった自然に生えるイチイを森の中で観察したいというものだった。そのため我々のBehringenの町にあるホテル(中世の城を改造した)から車で1時間半以上も離れたFürstenhagenという村まで出かけた。この日も快晴だったが、深い森の中までは太陽の光はあまり達しない。特徴はよく知っているという妻の言葉を信じつつ、あちこち1時間以上歩き回ったがイチイは1本も見つからない。ほとんど諦めて帰りかけたのだが、せっかく遠くまで来たのだからと、別の路をしばらく歩いた結果やっと数本のイチイを発見した。


 この樹は以前は森の中にも沢山生えていたのだが、木材として上質かつ貴重であるので人が競って伐採した。そしてイチイは強い毒性をもっており、これを食べて馬等の家畜が死ぬことが多かったため森から取り払った結果、稀少な樹木となったのだという。日本古来の名弓や家具にこの木が使われたことは有名である。今日では、園芸種として公園や墓地に植えられ、また盆栽や生け垣の材料としても愛用されている。

 森だけではなく、この地方はどこへ行ってもすばらしい自然に恵まれている。特に360度グルリと遥か彼方の地平線まで見回すことの出来る景色は、我々の住むこの地方ではとても望むことの出来ないスケールの大きさだった。

2012年6月12日火曜日

ガーデンパーティ


 
 妻の両親がEssen Borbeck地区に、子供6人計8人から成る家族のために大きな家をたてたのは1959年のことでした。それから36年後の1995年4月に妻の2番目の兄がこれを引き継ぎました。あれこれあり建築に長い時間がかかったけれども数年後には建物の大きさも庭の広さも同じに保ちながら、まったく新しい家に改築しました。それがここに写真を載せた家ですが、内も外も「ハウス・アンド・ガーデン」(家と庭園)の専門雑誌に出てくるようなモダンな家となりました。

 元々8人家族用の家と敷地だったところへ、夫婦2人だけが住むようになり、それでは大きすぎるのは当然のことでした。それで真ん中の部分だけを自分たちの住処として、あとはアパートに作り替え賃貸することにしました。ところが昨年その兄が事故で急死し、住人は未亡人一人だけとなったので、さらに賃貸する部分を増やさざるを得なくなりました。

 住まいのことはそれでなんとか解決したけれど、そこについている大きな庭は大家である彼女自身で管理・手入れをしなければなりません。庭作りに情熱を燃やした夫が丹誠込めて作り上げた芝生あり、菜園あり、花壇ありで、一人でこれらすべての面倒を見るのは大変な仕事であることは言うまでもありません。それでも庭師も頼まず、時には薪割り等力の要る仕事は兄弟が手を貸すこともあるけど、その他は彼女一人で手入れを怠らず、きれいに整備されているのには感心させられます。「庭の仕事をしている時、亡くなった夫が一番近くにいてくれる気がします」。庭は彼女が夫との想い出を味わう最高の場所なのです。

 去る日曜日(10日)、兄弟全員と配偶者たち総勢10人が集まりこの庭でガーデンパーティを開きました。これも未亡人一人が前菜、サラダ、スープ、パスタ、ソーセージ等食べ物すべてを準備し、我々は食べるだけのお客さんを決めこみ甘えることになりました。この日太陽が明るく照り、暑からず寒からず快適な天気でしたが、それでもテラスに食べ物とワインを並べ1時間以上も食事をしていると、やっぱり頭に照りつける太陽が暑くなり、また目を射る光もまぶしくなったので、日よけのガーデンパラソルを開かなければなりませんでした。

 締めくくりはデザートとコーヒー。これは庭の隅の方に造られた小屋の方に全員移動し、そこに備えられているコーヒーマシーンで作った香りの良いコーヒーとお手製のチーズケーキを芝生の上で楽しみました。やっと空気が冷たく感じられる夕方になって楽しいガーデンパーティはお開きとなりました。日の長い夏の季節には、こんなパーティを何度か開きたいものだ、と皆同じ思いを抱いて家路につきました。

2012年6月3日日曜日

日本デー2012



 今日(2日土曜日)は今年度のデュッセルドルフ「日本デー」、快晴の素晴らしい日となりました。それも数日前とはちがって少しも蒸し暑さのない、むしろ少し肌にひんやり感じられる冷気がある秋の季節みたいに快適な天気です。

 五感をフルに使い日本を「視、聴、味、香、触」しよう(今年のキーワード)、と銘打って、旧市街ライン河畔のプロムナード全部を使う恒例の年中行事となっているこの日。昨年は東日本震災のため秋まで延期されましたが、今年は一年で一番日の長い季節に開かれました。

 毎年何十万という人出があるので、あまり込まないうちにと私は正午頃会場に行きましたが、集まっている人の半分以上はコスプレ衣装です!これはこの数年間の傾向で、日本文化?を代表する漫画、劇画の影響でしょう。私が見た中ではそんな衣装を着た日本人の若者は一人もいませんでした。そもそも歩いている日本人もチラホラで、いるのはたこ焼き、寿司、焼きそば、ラーメンを売る屋台(テント)で売り子として働く人のみです。

 午後になり、催し物の舞台に出演するのは大多数が日本人です。それでも、空手や柔道その他のストリートデモンストレーションでは、そんな古典的武芸を習っているドイツ人も沢山出て来て、日頃の成果を発表します。その様子はローカルテレビ局が放映します。

 近郊の町々からの電車が到着する中央駅、そこから吐き出されるコスプレ軍団はそのまま旧市街に直行かと思いきや、日本人通りのインマーマン通り界隈に殺到します。彼らは先ずその辺りのレストラン、喫茶店、商店、スーパー、本屋に押し寄せ、買い物をし飲み食いし…。そのすざましさは、年に一度のことで、通りを歩くのも難しいほどです。
 
 これから56時間経って辺りが暗くなる午後11時から恒例の日本花火です。この町では他のどれよりも規模の大きな花火大会ということで、ライン河の両岸は人で埋め尽くされます。去年は秋開催だったので日暮れも早く、8時頃には始まったけど今年はずっと遅くなるため、小さいお子さんには難しくなりそうです。